禁忌の山

12/12
前へ
/12ページ
次へ
 集会所に戻ると、男衆に囲まれて畝さんが頭を項垂れていた。  脇には、お膳が置かれていた。  慌てて近寄ると、お膳から饐えたにおいが漂った。 「お膳が腐っているんだよ」  隣に立った男の人が教えてくれた。  祖父の言葉が急に脳裏に浮かんだ。 『誰も見ていないからいいだろうとやったこともすべて、神さんは観ているからな』 「申し訳ありません!」  僕は、直角に頭を下げた。  姉だ。姉のせいだ。  神さまの領域へ足を踏み入れるとき、祖父は普段から控えてはいたが、必ず肉断ちを徹底した。肉の成分が入っているものも避けた。  お山に登る一週間前からは、卵さえ食べなかった。  前日からは玄米食を徹底していた。  料理をする祖母にさえ、肉を触るなと厳しく言っていた。 「姉が、不浄をしたせいです」  僕は救急隊員に言われたことを包み隠さず話した。  班長が、僕の前へ進み出た。 「頭を上げなさい。君が悪いんじゃない。わしら全員の傲慢に、神さんが怒っているんだろうから」  そっと顔を上げると、顔じゅうに深いしわを刻んだ、白髪の老人が静かな目を僕に向けていた。 「神さんはものを言わんで、わしらに告げるからのう」  その場が、しいんと静まり返った。 「祭祀は行わねばならない。いまからお膳の支度をする。うちのばあさんに頼んでくれ。鍵はわしがうちへもっていく」  誰かが、さっと扉から飛び出ていった。  僕はすみません、と小声で謝った。  どれだけの手間をかけやり直すのか、僕にはわからない。わかっているのは、日が暮れるまでに山に入って祭祀を終わらせ降りてこなければ、安全ではないということだ。僕はそれが本当に申し訳ないと思った。 「心配せんでも、うちのばあさんは慣れているからすぐに作り終える。それより、みんなの写真と祭祀の記録を頼むよ」 「わかりました」  僕は深くうなずくと、カメラを握りしめた。 「君は、山に入っても体調を崩さなんだな。ちゃんと肉断ちをしていたということだ。よかったよ」  班長は、肉断ちをしないで入山した者の末路を話してくれた。  姉のように嘔吐が止まらない者、頭痛でのたうち回る者、下痢が止まらない者と、とにかく肉体へのダメージが大きいのだということだった。    僕たちは、再び山へと入っていった。今度は班長が同行した。  雨は少し小降りになりはしたが、やむ気配はなかった。  雨濡れた衣服は重かった。  だれも口を利かなかった。  僕は改めて道中の写真を撮った。  シャッターを切っていても、うなじのちりちりした感覚のほかに、あちこちからの視線を感じた。  みんなは気がついているだろうか。僕らのまわりだけ、空気が冷たい。ちょっと離れたところの枝は動かないのに、僕らのまわりにだけ時折向かい風が通っていった。  祭祀は班長が取り仕切った。  班長の祝詞が終わると、雨はすぐに止んだ。  雲が切れて、夕日が顔を出した。  空を見て、班長は改めて祠に深々と頭を下げた。  僕たちは再び、急ぎ足で下山した。  下りの道を足早に進む間中、あの、恐ろしく鋭い、深淵から注がれるような視線は途切れることなく感じられた。  僕は後ろを決して振り返らなかった。 『お山は命懸けぞ』と言った祖父の言葉が耳の奥で聞こえた。
/12ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加