あの山に

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 いつからだろう、山に行きたいと思うようになったのは。きっと、あのときからではあるけれど本当はずっとどこかで思っていたのかもしれない。  都会生まれ都会育ちかつ天涯孤独で山に連れて行ってくれるような身近な人間のいない俺が山に行ったのなんて数えるほどしかない。学校の行事と……と考え込んでみるが多分小学校で一回、中学校で二回、高校で一回の合計四回以外には思い出せないから本当に学校の行事でしか行ったことがないのだろう。けれどいつも何か違和感があった。その違和感が多分山に行きたいという気持ちの元で、でもそれが山に行きたいという形に結んだのはあの山をテレビで見てからだろう。  あの山はここから行こうとすると行き帰りを合わせて三日は見る必要があるくらいのところにあって、あまり人が来ない秘境のような紹介をされていた。テレビクルーたちはそれほど高い山ではないから油断していたのか人を寄せ付けないような道なき道を通って山頂まで行こうとしていたが、迷っていつの間にか元の道に戻るということを何度も繰り返していた。現代にそんな山があるのかと驚いたけれど、ネットの情報曰く、あの山にも山頂まで続く道はあるけれどそこを管理するおじさんが本当に行かなければいけない人しか通そうとしないらしい。そしてその道以外ではどうやっても山頂にたどり着けないらしい。道がないということこそ勘違いだったが、それでもその道以外では山頂にたどり着けないという神秘の残っている山が現代にもあると知ってどうしても行きたくなった。いや違う、俺の行くべき山はあの山であってほかの山じゃない、だから今まで行った山に違和感があったんだろう。ここじゃない、って。  そこからしばらくは何もしなかったのに、頭からあの山のことが離れることもなかった。あの山に行きたい、あの山が俺の行くべき山だ、そういった考えがずっと頭にあるだけじゃなくて、どんどんと大きくなっていった。きっとあの山以外の山への違和感がずっと俺の中にあったせいだろう。それがあの山への思いを強くするための肥沃な土壌となっていたのだろう。あの山を知ってから数日だけでもうほかのことは考えられなくなっていて、そしてようやく俺はあの山へ行く準備を始めた。俺は本来アウトドア派かインドア派かというとインドア派の方なので山に行きたいなんて思うタイプじゃなかった。いやあの山以外が違うから、そのせいでインドア派だと思い込んでいただけなのかもしれない。別に俺はスポーツが嫌いというわけではなかったように思うし。ただずっと自分はインドア派だと思っていた。  下調べもしっかりとして必要なものも揃えて、会社に休むという連絡を入れて、それでようやく出発をした。金が多いわけではないから適度に安いルートを選びながら、その山に向かう。道中はスマホをいじることもなくずっと景色を見ていた。別にころころ見えるものが変わるような場所を通っていたわけでもないからいつもの俺なら数分で飽きると思うのにどうしてかずっと景色だけを見ていた。  そうして一日がかりで山の近くまでたどり着く。その日は宿に泊まって翌日に山に向かう予定だったけれど、どうしても我慢できなくて宿もまだ受付が開いてないからと理由をつけてまず山の方へ向かった。宿がもう開いていたとしてもきっと俺は我慢できなかっただろう。  そうしてたどり着いた山頂への入り口の道には確かに前情報通りちょっとした小屋があった。ここにはいつも山を管理しているおじさんがいるらしいという話だったけれど、なぜかいなかった。まあおじさんがいつもいると言ったって普通に暮らしているのだろうから寝たり食べたり必要なものを買い出しに行ったりというときには当然いないこともあるだろう。そもそも山の管理というのは山に入って行くことも多いんだろうからこの小屋にいないことはおかしくない。けれど前情報では本当にいつ何時行ってもそのおじさんはいるということだったから変だという気持ちそのものはあった。  おじさんがいない、なら入れるだろう。別にその道はフェンスやら何やらでふさがれているわけでもなくて、ただ小屋があるだけの道だから止める人がいないならそのまま入って行けてしまう。俺は緊張しながらゆっくりと歩みを進める。ここからが山だ、となぜか思った。そう思った境界を越えた瞬間、全てが頭の中に入ってくる。全て、俺の知らなかったはずのこと全て。俺の足は勝手に進む。どんどんと山を登って行く。  開けたところに着いて、ここだ、と思った。 「ただいま、母さん」
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