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おれはいったい、なにをしているのだろう――虚空に訊いても、答えはない。
気がつけば裸だった。ウェアをはだけ、雪塊に抱きついていた。凍え痺れる手足には、すでに指先の感覚がない。腰を上げようにも力が入らない。
周りには誰もいない。いるはずもない。ここは「絶望の山」L3の山頂付近、人がいるはずなどない。……さきほどまで誰かと会っていたような気もする、が、きっとそれは低体温症による幻覚だ。
不意に、脳裏に誰かの声が響き渡る。
(望みは、叶えましたよ)
脳裏に浮かび上がったのは、いつかの自宅リビングの様子だった。サテラコネクトから受け取った契約書を、俺はおざなりに妻の前へ出した。通り一遍の確認を済ませ、妻はおれに書類を戻す。だが一瞬だけ、無気力な目に光が宿る瞬間があった。
見つめる先は、死亡保険欄だった。
リビングが薄れ、代わって最寄りの神社が浮かび上がる。祈る妻の心の声を、俺は確かに聞いた。
(こんどこそ、あのひとが、もどってきませんように)
二礼、二拍手、一礼。
俺は、不意に理解した。
俺はなにも征服していない。征服できてなどいなかった。
俺は山頂を踏んだ。身体を繋げた。だが、ただそれだけだった。
頂を踏みしだけども、山はただそこに在る。身体を暴けども、女どもはただそこに在る。
俺はなにひとつ、手に入れていなかった。
身体が急速に冷えていく。意識が薄れていく。
俺はこのまま雪に埋もれるのか。雪洞の中で服を脱いでいる、不可解で愚かな遺体が、いつか誰かに見つかることはあるのだろうか――
それ以上を考える力は、俺に、残されていなかった。
【終】
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