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嫌な記憶を引きずり出された気分だったが、臭いのせいだと思いさっさと下山してきた。
家まで戻ると、じい様が縁側でこちらを見ていた。
「……山へ入ったのか」
「ああ、いや、そのさ」
「それ、持ち出してきたのか?」
「え、ああ、持ってきちゃったか」
トロフィー。捨てくれば良いものを未練がましく握りしめていたのか。
そう思い、手元に視線を落とした。
単なる鉄くずだった。金色に輝いて見えたはずのそれは、鈍色の歪な物体でしかなかった。
「……なん、で?」
違うものを見ていた? 幻覚? だとするなら、あの場所は一体?
「改めて聞きたいが」
戸惑っている俺に、じい様が声を投げて来る。
「俺はボケているか?」
その問いが、さっきの見間違いが気のせいではないと突き付けて来る。
ならば、これは--。
「ボケているよりも、タチが悪くないか」
「どうだかな」
「いつから?」
「一年前か、そこらだな。弥吉が山に無断で入っていると教えてもらってな。様子を見に行った時、香代子に会った」
「それを会ったって言うのかよ」
じい様は、ボケてはいない。だが真っ当でもないだろ、これは。
親父になんて言えばいい。
「もう死ぬまでただ生きるだけの人生だと思っていた」
じい様がぼそりと呟く。その言葉に、心を見透かされた気がした。
「そこにまだ色が付いた。十分じゃねえか」
待てよ、と思う。
朝霧の家は謙哉が居て、だからまだ、じい様にはこの先があるんだ。
あんなゴミ捨て場で発生する幻覚なんてヤバいに決まってる。寿命だって縮めるかもしれない。
待てよ、と思う。わかっていて言葉を継いでしまう。
「じい様、ひ孫が出来ただろ。これから謙哉が顔を見せに何度も来るはずだ。なのにこんなの、先をどれだけ縮めるかもわからないだろ」
言葉にして、うすら寒さを覚えた。目の前に居る俺ではなく、謙哉がじい様の先を作る。なんと薄っぺらい言葉だ。
「悪いな、俺は十分なんだ。後は、俺の頭が壊れちまってるんだとしても、残りをあいつと--」
「……わかったよ、いいよ」
俺には無理だと思った。じい様の言い分に納得してしまっている。
反論できる奴が居るなら、代わりにしてくれ。
「いいよ。じい様が手放したくねえって言うなら、そのばあちゃんの幻覚を」
あえて幻覚と言い切る。それでじい様が考えを変える訳がない。
「ただ、ひとりでは居させられない。今は問題はないかもしれない。だが、急に状況が悪くなるかもしれない」
定期的に通院させて、影響が出ていないか確認が必要だ。それと山の管理もしなければいけない。あんな幻覚常習化するヤバい場所を誰でも近づける状態で放置して良い訳がない。後始末を担わなければならない。
「ひとりではって、謙久、お前」
「俺がこっちに住んで、問題は片付ける。ばあちゃんと二人じゃなくて悪いが我慢してくれ」
「馬鹿言え、お前にはお前で生活があるだろ」
「俺はさ、もういいんだよ。謙哉の邪魔にならないようにだけしてれば」
気づけば、じい様と似たようなことを口にしていた。
我が朝霧家は次男がハッピーであれば、それで良い。あまりに早いとあいつも戸惑うだろうから、それなりに時間を生きないとだけどさ。
じい様が、俺の言葉に眉間を寄せ厳めしい顔を作った。
「お前はまだ三十二だろ。何を悟ったようなことを」
「ふざけんな。あんたは良くて、俺はダメだってか。んな理屈が通るかよ」
「女々しいことを抜かすな、男だろうが」
「今はそういう時代じゃねえっての。それを言うならじい様こと女々しいだろうが」
同じことを言い返すとそのまま相手にも刺さった。重みは違うかもしれない。でも刺さればいいのだ、こんなもの。
刺し違える気概なんてない。ただ嫌なことからは逃げたいものだ。俺の滞在許可くらいは引き出せるだろう。
疲れたようにじい様が息を吐く。
「……わかった。聞いてられんな」
何が、を明確に言えと反抗的に視線で問う。
「しみったれた言い草が、まんま今の自分のようで聞いていられんと言った」
じい様がしばらく瞑目して、呼吸を深くする。
「あのゴミ山は潰す」
「は?」
さっきの今だ。何を急に前言撤回しているのか。
「いや、だって、いいのかよ」
「香代子に現を抜かしている場合ではなかったわ。孫がこれほどどうしようもないとは」
「俺のせいかよ」
「老い先短い人生だが、先を見て何か見出すとしよう。謙久、その手伝いをしろ。代わりにお前の生き方も一緒に探してやる」
「ん、な、こと、言われたって、俺は……わかんねぇよ」
「わかってたら、そうはなっていないだろうな」
だが、と続けてじい様が笑う。
「わかればいいだけのことだ。手伝ってやる」
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