おかえりが聞きたくて

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 本当は杖なんか要らない健脚なのだ。だが今はもう、走り疲れ、体中がきしみ、前に進むには握りしめたこの木の枝頼みだった。  恐ろしい速度でくねって伸びながら追ってくる荊。見たこともない巨大な毒虫。ありえない出没の仕方で攻撃してくる謎の浮遊体。  そんな得体の知れないものに命の危険にさらされ、戦い、逃げまどい……体力、気力共にとっくに限界を超えていた。全身泥や血まみれで、そのうち朽ちたり腫れ上がったりの箇所は数え切れず、手足は思うように動かないままボロくずのような格好になり……  それでも俺は帰ってきた。そんないわゆる、悪夢のパラレルワールドから。  我が家へ。瓦屋根、蔓の透かしの入った門扉、花いっぱいの庭、マイカーがすっぽり収まる自作の車庫。理想的な居心地の良いマイホームへ。 「おかえりなさい」と。いつも柔らかい声で妻が迎えてくれたこの家へ。ただその一言を聞きたいがために、俺は、帰ってきたのだ。
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