おかえりが聞きたくて

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 あのときもこのときも。  今初めて気づいた。そういえば俺は一度も「ただいま」と言ったことはなかったのだ。帰ったぞ、おい、ドアを開けろ――。 「そんなとき、ばあちゃんは空の異なる者の波長を感知した。そうして夫への呪いの言葉を授かった」 「……バカな。バカバカしい。たかがそんな一言を言わなかったくらいで呪だと?」  だが、目の前の、妻そっくりで妻じゃない、――孫娘? は鼻で笑った。 「それが象徴だっただけでしょう。それ一つがあなたのすべての言動に通じてた」  そうして孫娘は目を閉じて何やらつぶやき始めた。 「ʩëgĢĠɛʚɝɣʩʩʩ……」  聞き覚えのある不可解な文言が孫娘の口から流れてくる。不吉な。謎の。 「ま、待て。それは、どういうマジナイだ?」 「ん? そっちの水へお行きなさい、とでもいうのかな」  そっちの水へお行きなさい――どこか遠い場所へ行ってくれ。側にはいてほしくない。そういう願い?   バカな。いや、俺があんなグロテスクな世界に飛ばされたのは、トラックに撥ねられたからだと思っていたが、まさか。 「本当はトラックの前に突き飛ばして殺す気だったってさ。でもな、最後の情として、異世界へ飛ばす呪文で勘弁しといた。ってことだよな」  男――この孫娘の恋人か、旦那か。  孫娘が無礼にも俺に人差し指を向けた。一体どういう教育をするとこうなるのか。娘に言っておかなくては。……いや、娘と話すこともなくなったのは一体いつのことだったか思い出せない。 「ね、おじいちゃん。自分だけは高いスーツを買い、バーや料亭通いで妻の待つ食卓をすっぽかし手料理を無駄にする。車は次々と買い替え、周りには景気よくおごってやって家にはほとんど金を入れやしない。外面は良く、子育て任せきりのくせに会社のデスクに家族写真を飾るだけで、たまに花なんか買って帰るだけでいい亭主ヅラ。けれど妻には『女は年取ると終わり』とか『女房と畳は新しい方がいい』などと吐いていたんじゃない?」  ぐうの音も出なかった。見て来たかのようにあっさり言い当てられた。 「そういうのをこの時代じゃ『モラハラ』っていうのよ」
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