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「お隣さんじゃないのか?」俺はそう言った。
隣には若夫婦が住んでいる。彼らの嬌声だろう。俺は妻の不安を取り除くように言った。
だが、不安は次第に大きくなっていった。
どす黒い池に小石を落とすと放射状に広がる波のように・・
すると傍らで寝ていた娘が「パパ、お庭に女の人がいるよ」と言った。
どうしてカーテンを閉めているのに外の様子が見えるのか。そんな疑問を他所に、俺はカーテンを開けた。
庭の様子を眺めたが、何もない。月明かりに照らされた草木があるだけだ。
だが妙な違和感がある。
それは俺の口の中だ。
口に中がむず痒い。異物が入っているような感じだ。
「あなた、すごい寝癖よ」
半身を起こした妻が言った。頭に触れると確かに髪が立っている。だがそんな事はどうってことない。問題は口の中だ。舌で口腔を舐めると髪の毛みたいな感触がある。細いものだが、気になる。寝ている時に無意識に口に入ったのだろうか。
懸命に舌を動かし、ようやく髪の毛らしきものを探り当てた俺は、そうっと指を口の中に差し入れた。
すぐに髪の毛は指で摘まめたが、どうもおかしい。髪を除去できないのだ。引き出そうとすると、舌が痛む。まるで何かの力で引っ張られるようだ。
「手鏡を取ってくれないか」俺は明かりを点け、妻に言った。
手渡された鏡を覗き込むと、有り得ない物を見た。俺が摘まんだものは確かに髪の毛だったが、問題は、その髪が舌にくっ付いていることだ。つんつんと髪を引っ張ると、舌の肉が引っ張られ、痛みが走る。
更に妻の裁縫具のハサミを借り、髪を切ろうとすると、激痛が走った。まるで髪の毛が体の一部になったようだ。いや、舌から髪が生えていると言った方が正しいかもしれない。
いずれにせよ、これ以上、髪を切ろうと試みるのは危険だ。
「あなた、さっきから何をやっているの?」妻が不思議そうに言った。
「いや、何でもない」
体の異常は隠さずに妻に言っているが、これは言ってはいけない。そんな気がした。
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