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 私をひととして扱ったがために、騎士さまは隣国との戦の最前線に送られた。神殿と対立したがゆえの、あからさまな見せしめだった。 「どうか泣かないで。俺は必ず戻ってくる。いつか、君の歌を聴かせておくれ」  ああ、騎士さま。そんなことおっしゃらないでください。  私のせいで騎士さまが大変な目に遭っているというのに、私のために力を尽くしてくださったことがめまいがするほど嬉しくてたまらない。どうしても離れがたくて、騎士さまにしがみついた。最初に出会ったときと同じように困ったような顔をしている騎士さまは、私を突き放さずに受け入れてくれた。もしかしたら、騎士さまも戦場に出るのは恐ろしかったのかもしれない。  初めての口づけは火傷しそうに熱かった。与えられた痛みも快感も声を上げずにいられなかったはずなのに、それでも私の口から漏れ出るものは何もない。  甘い嬌声ひとつ出せない女はたいそう面白みに欠けただろうけれど、それでも騎士さまは辺りが白く明るくなるまで、私を乱し続けた。そうして私が意識をなくしている間に、騎士さまは戦場へ旅立ってしまったらしい。目覚めた寝台でひとりきり、声も出せないまま涙を流し続けた。  出した手紙は星の数ほど。けれどいつの間にか返事は途絶えがちになり、やがて完全になくなった。ちょうど同じころ私は、再び神殿の奥に閉じ込められることになった。かつて過ごしたはずの自室は、さらに陰鬱さを増していた。  そして初雪の降った日、あの方が亡くなったという知らせが届いたのだ。敵襲から逃げ遅れた部下を庇ったのだそうだ。最期まであの方らしい。それでも、どんなみっともない生き方だったとしても生きていてほしかった。  呆然と座り込む私の前で、大神官さまは楽しそうに騎士さまの死にざまを伝えてきた。ひとの死を喜ぶ下衆が大神官だなんて神さまはどうかしている。本当に私に災厄の力があるのだとしたら、この男に(いかずち)を落としてやるのに。  間違いであってほしいと思ったし、そう祈り続けたけれど、いくら待ったところで騎士さまは戻ってこない。ゆっくりと私の中で、柔らかな部分が腐り落ちていく。あの方に育てられた人間らしさが。  気が付けば、騎士さまが美しいと褒めてくださった瞳が、髪が、真っ黒に染まっていた。指先まで墨を含ませたような色に変わっているのを見て、私は唐突に理解した。その時が来たのだと。  ――君を愛している―― 「ええ、私も愛しているわ」  幻聴が耳を通り抜けていく。春風によく似た、甘く優しい騎士さまの声。  ひとりぼっちの私は自分自身を両腕で抱きしめる。ひどく寒くて、今にも凍え死んでしまいそうだ。白い息が立ち上った。  さあ、歌を届けましょう。愚かで哀れなひとの世を終わらせる、滅びの歌を。騎士さまのいない世界に、存在する価値などないのだから。  抑えられない律動が、私の内側から湧き上がる。禍々しい憎しみ、焼けつくような怒り、ひりつくほどの悲しみ。溺れてしまいそうな負の感情が濁流となり、私を呑み込んでいく。  あの方が望み、願ってくれた声で、いびつな旋律を高らかに歌い上げる。遠くから雷鳴と地響きが聞こえた。
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