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「かつてアイドルとして活躍した『真白小羽』の妹『宝生美羽』が芸能事務所を設立」
そんな地元のテレビニュースを見たのは、娘の梨里を学校に送り出したとある昼下がりだった。
昔職場の先輩が待ち受けにする程好きだったアイドルの正体を、こんな形で知ることになるなんて思わなかった。当時は彼女の名前すら教えて貰えなかったものだと、懐かしく感じる。
あの時好きだった先輩と結ばれていたなら、シングルマザーなんて苦労する人生にはならなかっただろうかと、家事の手を止め思わず物思いに耽る。
そして、次いで流れてきた新人アイドルオーディションの告知を見て、ついこの間まで靴下を失くしてぎゃんぎゃんと泣き喚いていたはずの梨里がアイドルとしての対象年齢になっていることに気付いて、改めて時の流れを感じた。
私だって、昔はアイドルのような煌びやかな世界に憧れたことがある。キラキラのスポットライトに、ひらひらの衣装、鮮やかなペンライトの海に、響き渡る歌声と歓声。
けれどいつの間にか、そんな夢を見なくなって、現実に流されるまま会社勤めをして、安定のために然して好きでもなかった相手と結婚して、今はこうして働きながら家事をこなし、一人で娘を育てている。
娘が生まれてから私は『梨里ママ』になって、忙しなく流れる日々の中、かつての夢を忘れたように、私という個を何処かに置いてきてしまった気がする。
「アイドル、ねぇ……」
ふと思い浮かんだ『自分の夢を娘に託す』なんていうのは、押し付けに他ならならないだろうか。
梨里はもう中三だ。帰ってくれば家事も手伝ってくれるし、反抗期もなくクラスでも真面目な優等生。生徒会長だってやっている。
事実何処に出しても恥ずかしくないとても良い子に育ったのに、どうにも『いいこ』に拘りすぎているようにも見えた。
進路だって特に目標も夢もなく、お金のことを考えてか、受験先は歩いて通える範囲の公立を選んだ。梨里の成績と内申点なら、それこそ少し離れた私立の女子高なんかの、もっと上のランクも狙えるはずなのに。
そこまで考えて、不意に梨里にアイドルの道を示してみるのも悪くないと思い始めた。
梨里は親の欲目なしにも可愛い。近頃背が伸びて来たから、ダンス映えもするだろう。きっとアイドルにも向いている。
可能性が広がるのは大事だ。『いいこ』のあの子が、私の期待に応えて私の進めなかった非日常のレールの上を走ってくれるかも知れない。
「ただいまー」
「おかえりなさい……って、え、やだ、もうこんな時間!? ごめんなさいね、梨里。夕飯の支度まだ出来てないの……!」
「……あ、ううん。いいよ。何か手伝う?」
「ああもう、本当にいいこね……! ねえ、梨里……アイドル、やってみない?」
「……、へ?」
娘の将来の可能性を広げるだなんて大義名分を引っ提げて、私は自分が選べなかった夢を無責任に押し付ける。
そのことに罪悪感がなかったわけではないけれど、梨里ならきっと、受け入れてくれるはずだ。
「……いや、アイドルって……?」
「今度ね、地元でオーディションがあるのよ。十五歳から応募出来て……ほら、地下アイドルっていうの? そんなに大がかりじゃないから、まずは経験っていうか……ほら、自薦他薦問わず、経験も問わないって」
「いや、あの、待って?」
「いろんな魅力のある女の子を複数採用予定って言ってたわ、きっとアイドルユニットとか組むのね! 素敵……!」
「……えっと……、ちょっと……」
「梨里は可愛いから、大丈夫よ!」
珍しく渋る様子の梨里を不思議に思いつつも、私は話を進める。押しの強さだけは昔から変わらない。
無理強いをするつもりはないけれど、梨里はいつも、私の言うことに口答えなんかしなかった。
「ホームページからオーディションの参加希望が出せるって言ってたわ、ご飯を食べたら早速……」
「む……無理だよ、ボクは……『リサト』は、『リリ』じゃない……女の子じゃないんだから……」
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