0人が本棚に入れています
本棚に追加
震える声で告げられた言葉に、私は夕飯を作る手を止め、包丁を片手に振り返る。
眉を下げ今にも泣きそうな可愛らしい顔立ちに、肩に届くくらいのさらさらの髪。最近少し背が伸びて、それでも緩めの男女共通のブレザーの制服に、下はスカートではなくスラックス。
今時は男女平等だとかで、どちらでも好きな方を選べるのだ。梨里は、確か入学時に「スカートは足が冷えるから」とスラックスを選んだ。きっとスカートも似合うのに、もったいない。でも女の子が足を冷やすのは良くないからと、梨里の選択を尊重した。
「……何言ってるの、梨里ったら」
「ねえ、お母さん……家では『リリ』でいいよ、ちゃんとお姉ちゃんの代わりで居る……でも、ボクは男の子だから、アイドルには……」
「梨里?」
「違うよ、お母さん……ボクはリリじゃない、リサトだよ……」
「……里怜なんて知らないわ。私には、梨里が居ればいいの」
「っ……!」
「……ねえ、梨里。私の可愛い梨里。あなたは、お父さんみたいに私を見捨てたりしないわよね?」
「……っ、……う、ん。お母さん……ボクは、ここにいるよ」
「ああ、いい子ね。梨里は本当に、自慢の娘だわ」
幼い頃に居なくなってしまった、一人娘の梨里。しばらくして帰ってきた梨里は、どういう訳かまた赤ちゃんからやり直したけれど。おかえりなさいと受け入れて、また愛する我が子を育てられるのは楽しかった。
夫はそれから帰ってきたリリをリサトと呼ぶし、いくらどちらでも読めるとはいえ、読み方を間違えるなんて親失格だ。梨里もそのせいで、幼い頃から時折自分をリサトと呼ぶことがあった。
本人が呼ぶ分にはあだ名のような感覚で聞き流してはいたが、夫が繰り返しリサトと呼び続けるのは何故か耐え難かった。私の梨里が、消されてしまう気がしたのだ。
度重なる口論の末「お前はおかしい」なんて捨て台詞と共に夫は出て行ってしまったけれど、愛する梨里はその分いい子に育ってくれた。
「……ボク、いい子でいるから……オーディションも受けるから……お母さんも、ボクを捨てないで……」
「ふふ、当たり前じゃない。あなたは私の宝物よ」
「本当……?」
「ええ、おかえりなさい。私の可愛い梨里……もう変なこと言っちゃだめよ?」
「……うん、ただいま……お母さん」
私の愛しい梨里。抱き締めた腕の中の記憶よりもしっかりとしてきた体つきには、気付かないふりをした。
最初のコメントを投稿しよう!