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ターゲットの医者
「お大事に~」
「ありがとうございました」
診察室を出ていく本日最後の患者さんを見送ったおれは、かけていた眼鏡をはずした。
はぁ~、と深い深いため息を吐き出す。
「……疲れた」
笑みを浮かべて愛想よく。分かりやすい説明を心掛けて、よく話すお祖母ちゃんの世間話に付き合って、かっこいいなんて呟く惚れっぽい女性を軽く受け流して……。
ここ病院なんだが? と内心では思いつつ、おれは患者さん一人一人を大事にしたいという思いから対話をしてしまう。
まぁ、個人診療所だからできることであって、大きな病院とかだったら一人の患者に時間を掛けすぎとだと怒られるのかもしれない。
おれは外していた眼鏡を掛けなおし、さっきの患者さんのカルテを仕上げた。
今日の仕事が粗方終わったころ、診察室の戸が開けられた。
「先生、お疲れ様です。差し入れのコーヒーです」
「あぁ、宮さんお疲れ様。今日もありがとう」
「いえ、そんな。……私たち先に上がりますね」
「うん。また明日もよろしくね」
「はい、お疲れ様です」
事務を請け負ってくれている宮さんのあとからも、戸の前を数人の事務員さんと看護師さんが「お疲れ様です」と挨拶をしながら通り過ぎて行く。おれはそれぞれに「お疲れ様」と笑顔を返した。
おれもそろそろ帰ろうかと白衣を脱いでいると、誰もいないはずの廊下からコツコツと靴音が聞こえてきた。
おれ以外の皆はもう帰っているはずだ。
不審者だろうかと体が強張る。
もしも不審者だったとして、運動音痴のおれが向かい打てるはずもない。
警察か? 通報したとしてどのくらいで到着する? それまでおれは生きていられるのか?
頭の中でぐるぐると考えている間に、靴音が止まった。
丁度おれがいる診察室の前だ。
今開けられても、おれが手に持っているのは脱いだばかりの白衣だけ。
金属バットでもあれば安心かもしれないが、診察室にそんなものはない。
点滴スタンドならいけるか? そもそもそれを持ち上げられるか? 壁にぶつかったら意味ないぞ。
またぐるぐると頭を動かしながら部屋の奥へと後退る。
ーーガラガラ。
結局何も手に掴めないまま、何の抵抗もなく戸が開いた。
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