1.夜半の電話、夜半の告白

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「確かにおれは痩せていますが、前より痩せ細ったってこともないし、食事としてバランスは取れていると思います」 「君がこれ以上痩せたら、抱き心地が悪くなってしまう」  ウィルクスの頬がわずかに染まり、三白眼気味の目は、操り糸が切れたように天井を向いた。 「別にいいじゃないですか。どうせ絶対服を着たまま抱き締めるんだから。おれがどれだけ痩せようと、別に」 「確かにそうだが」  ハイドはどこか面白がっているようだ。それが、ウィルクスには少し恨めしい。  いや――それでいいんだと、すぐに思い直した。  肉体を交わしてしまえば、後戻りはできなくなる。すでに抜き差しならないところまで来ているのに、なにを今さらと思いつつ、それだけは、してはいけないとウィルクスは思っている。例えどれだけ自分が飢えても。  今だって、欲望が兆している。だが、ウィルクスはむりやり抑え込んだ。  話を逸らすように、彼は話題をハイドに向けた。 「ハイドさんこそ、今夜はなにを食べたんですか?」 「オマール海老のポワレ、栗のポタージュ、カブと柿のサラダ、バゲット……その他いろいろ。デザートは林檎とチョコレートのタルトだった」 「飲み物は?」 「四十五年物のワイン」 「……<PAPILLON(パピヨン)>に行ったんですか?」 「ご明察。誰と行ったか聞きたいか?」 「聞かないほうがいいでしょう」 「君はしっかりしてるな」 「危機管理能力がしっかりしてるんです」  なにせイギリスの四分の一を牛耳っている犯罪シンジケート――マフィアの首領と、恋人同士なのだから。そしてよりにもよって、ウィルクスはスコットランドヤード(ロンドン警視庁)のSCO1(殺人・重大犯罪対策指令部)に勤める刑事だ。  絶対に世間にバレるわけにはいかない。  それなのに、ハイドのほうからいつも電話を掛けてくる。ときには「こんなこと」――ビデオ通話までしようとしてくるのだ。  カメラがアクセスしようとしている、というメッセージがスマートフォンの画面に出て、ウィルクスは飛び起きた。足元の姿見に目を走らせ、素早く寝癖を押さえる。臍の辺りまで捲れていた白いカットソーの裾を直し、震える手と弾けそうな鼓動を抱いて、ビデオ通話を許可した。  ハイドの笑顔が映る。半ば白髪になった黒髪と、未だに黒々した眉(ハイドは二十七歳のウィルクスの十四歳上、四十一歳だ)。薄い青の瞳は森の奥深くに広がる湖のようだった。その瞳はしんとしているかと思えば、穏やかにさざ波が立ち、湖面に朝の光が反射するように、きらきらと輝く。  賢い狼に似たハイド。バストショットしか映っていないので、身長などはビデオ通話ではわからないが、実際に何度も会っているウィルクスは知っている。ハイドはウィルクスよりもさらに高い、一八八センチだ。  白いシャツを着ていても、がっしりした首筋や肩周りや、胸の厚みはわかる。  ウィルクスは思わず見惚れた。その焦げ茶色の瞳に、愛慕の情が膨らんでいく。まるで膨らし粉をたっぷり入れられて、オーブンの中で焼かれるケーキのように。  ハイドは陽射しのように微笑んでいた。
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