第3話 90年代の打ち上げなんてこんなものですがな

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「で、今日も、打ち上げを途中で脱走(ぶっち)しました、か」  そうつぶやくイキに、ぽりぽりとFAVはほっぺたをひっかく。だが、汗をかかないためにしっかり定着していた厚塗りファンデーションが取れて爪の間に入るのが嫌なので慌てて手を引っ込めた。 「奴にとっちゃ、大事なことなんだろーな」  イキはあっさりと同僚の感想を述べる。 「そーゆーもんかね」 「やはりねぇ」 「生理的欲求? あたしにゃ判らねーや」 「まぁそんなとこだろーな」  ライヴの後、FAVはそれなりに知り合いの所へ顔を出した後、イキと一緒に呑んでいた。まあようするに打ち上げという奴である。PH7のメンバーが別の席で呑んでいるのも見える。  オキシドール7の入っている同じビルの地下につい最近になって、チェーン店の居酒屋が開店した。夏祭りの頃はまだ空きになっていた店舗で、夜中遅くまでやっているので、バンドの打ち上げにはもってこい、とよく使われる。 「こーしておっ酒がのっめるのはっ」  何処かで一気呑みをしている。あまりにそのヴォリュームがでかいんで、何処かと振り向くと、それがPH7の連中のいるテーブルだった。  幾つかのテーブルを動かしてくっつけている真ん中に、二人の女が立ち上がってコップを手にしていた。一人はプラチナブロンドに色を抜いた長い髪がゆらゆらとしている。  フロントには居なかったから、きっとこれがドラムを演ってるリーダーって奴だろーな、とFAVは思う。  そしてもう一人は、真っ赤な髪がこれも長く、バンダナを巻いている。髪の色に見覚えがある。ギタリストだった。  あれ、と思ってFAVはそのあたりをきょろきょろと見渡した。あの派手なベーシストは。……いた。  酔っているらしく、真っ赤な顔になって、手をぱしぱしと叩いている。結構大きい手だ。だが単に叩いているのではなく、横のはちみつ色の金髪の子をぐいんと引き寄せたまま、という感じで。  中では小さい方だから、きっとこれがヴォーカリストだろう。顔は見えないけれど。ベーシストが守っているようにも見える。 「ほれ一気!」  二人とも周りがだんだん静かになっていく中、だんだんとコップを空にしていく。ほとんど同時に二人が空けてしまったとき、周りからうぉーっ、と声が上がった。 「やるなぁ……」 「ほんじゃ次あたしーっ、誰か相手いねぇっ?」  絡めていた腕をほどいて、ベーシストが立ち上がった。十分酔っているみたいだったけれど。立ち上がる瞬間に大きな胸と何連にもつけたペンダントがぽん、と跳ねた。彼女はきょろきょろとあたりを見渡すと、ふとFAV達の方へ視線を移した。  と。 「FAVさん?」  思わず視線が合ってしまい。FAVの心臓がばくんと動いた。  ベーシストの彼女はにっと笑うと、どいてねー、とか言いつつ、狭い座席をかき分けてFAVの前に来た。 「ふらっとのFAVさんーっ?」 「はにゃ?」 「一気しましょうっ」  何て強引な女なんだ、と思いはしたが、ベーシストの彼女は確実に酔っている。そしてそのでかい手でFAVの手首を掴むと、何処にこんな力あるんだ、と思うくらいに酒の席の前で一気に引き上げた。 「そーですねーっ、親睦をふかめましょーっ」  プラチナプロンドのリーダーが実ににこやかにそんなことを叫んでいる。…よく目を凝らすと、異常に美人だ。これがさっきの地獄の重戦車のツインバス踏んでたなんて。 「それではカウントようございますかぁ?」  多少間延びした低めの声が赤毛のギタリストの口からもれる。この女は全く酔っていないらしく、一気した後に満たしたコップがもう空になりかかってる。 「いっきまーす」  ヴォーカリストの声に、FAVは思わず渡されるコップを素直に受け取ってしまっていた。何故かは全く判らない。だけど、この声に言われたら、そうしなくてはいけないんじゃないんか、という気がしてしまったのだ。  不釣り合いなくらい大きな黒革のリストバンドをつけたヴォーカリストの手が高々と上がり、FAVは強引にベーシストに肩を組まされてしまった。FAVは心中、悲鳴をあげる。  ひえい。胸が当たるっ。 「おーい大丈夫かぁ?」  遠くからイキがおそるおそる声をかける。ええい、こうなったら意地じゃ。FAVは周囲のカウントに合わせてコップの中身をあおった。
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