第1話 音に殴られる。そんな感触があった。

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第1話 音に殴られる。そんな感触があった。

 身体の芯が揺さぶられる。気がつくと足が腰が腕がカウントを取っている。追いつけないくらいの速さのリズムは、それでもついてらっしゃいとばかりに彼女に巻き付く。  それだけじゃない。  「何なの」音の正体は。  ライヴハウス「オキシドール7」。本日は二バンド。  狭いステージに視線を走らす。バンドの音のかたまり。そう言ってしまえばおしまいだけど、その中に、確かに。  スピーカーの音が大きすぎる?  それだけじゃない。違う。低音の、一直線に、走りまくる…ドラムじゃない。確かにツインバス・ドラムで異常な速さで叩きまくってはいるけれど、…それじゃなくて。  直接、振動が、あたしの中で。  視界に入ったのは、動くたびに髪の大きく広がる大柄な女。とりあえず彼女はこう言うしかなかった。 「派手…… あのベース」 「お前人のこと言えるの?」  昔からの友人はあっさりと言う。確かにそうだが。  言っている彼女の方がずっと派手かもしれない。プラチナブロンドに色を抜いた髪の中にところどころ赤が飛び、重力に逆らって、ほうきやすすきのようにつっ立たり跳ねさせていては、他人に言う資格はない。 「あれ何ってバンド? イキ? 知ってる?」 「あれFAV(ファヴ)知らんの? ちょっと待てよ、お前さあ、対バン知らん、なんて言ったら殴られるぜぇ」  冗談半分、あきれ半分でイキは言う。 「知らんわ。初めて見る」 「お前なぁ。まぁ確かに今回のはここの店長さんが勝手に決めたんだけど」  はぁ、とイキはむきだしの肩をすくめた。俺は友達として情けないっ、とか言ってウーロン茶を飲み干す。  出番待ちもただじっとしているだけなんてつまんないのだ。  と、言うことで、ステージメイクのまま、FAV達は「出番前の一杯」を引っかけていた。  だが客のいるフロアに出ていったら、一応彼女のバンド目当ての子も多いわけなので、パニックになるのは判っている。だからそんなことはしない。カウンターの陰からそっと、という奴である。  ライヴハウスと言ったって、ピンからキリまである。  彼女達がこの日出る予定になっていた「オキシドール7」というのは、ライヴのできるステージとフロアの後方に、何かしらのドリンクが頼めるようになっているところだった。チケットに「1DRINK付き」と書いてあるようなタイプである。  他の所では、もうミニ・ホールとしか言えないようなものも、もう少し規模のでかいものになればあるのだけど、まだ彼女達のバンドはそう言った所を埋めるくらいの客を動員できるほどではなかったので、このクラスの所を転々としている。オールスタンディング・対バン有り・チケットも二千円前後位の。  F・W・Aと言うのが彼女のバンドの名前だった。  フラット・ウィズ・アスピリン。長い名前が格好いいじゃん、とか言って彼女が高校生の頃つけた名前である。  恰好いいかどうかは、聞く人の判断にまかせるとして、長ったらしくて憶えられにくいのも確かではある。だがその長ったらしい名にも関わらず、わりあいこの界隈では人気が出てきたバンドと言ってもいい。  ロック系の雑誌の、インディーズ・インフォメーションのコーナーでその月の状況が三~四行位書かれる。と、いうことは、全国規模の「雑誌」と言う中でそうなんだから、その地域内ではかなり「知られている」部類に入っているらしい。  とりあえず、この時点では、ロック系の雑誌はあまり多くなかった。ハードロック中心の雑誌が邦楽中心と洋楽中心に一つか二つ。パンク系、ニューウェイヴ、はてにはゲテモノ扱いされそうなものまでぐちょんぐちょんに盛り込んである雑誌が一つ。  まあそういうところは、固定客はついても、新規の客はなかなか増えないような店、のようなノリがある。だが、情報源としては上等な部類かもしれない。  その他、ポップスなのかどうなのか判らないものはそれなりに出回っているようだけど、彼女の目は拒否しているらしく、本屋で立ち読みした、という記憶もない。  F・W・Aというバンド名は、「アスピリン呑んでやっと正常」とかそんな意味あいを絡めてつけたものだった。果たして本当にその意味でいいのかは今はどうだって良い。英語の成績とそれを遊びで使う才能は決して比例しない。  そして彼女はこのバンドでFAV(ファヴ)と言う名前でもう四年くらいギターを弾いている。  本名は本名で別にあるのだが、そっちの名で呼ぶ人は音楽関係の知り合いではほとんどいないので、時々忘れそうになって、昼間に生活費稼ぎの仕事で呼ばれても、ついぼんやりとしてしまうことがある。  もともとはアルファベットを適当に並べたものだったけど、結構気に入っていて、本名よりもしっくりきている。  読みにくい名前ではある。Fの発音なんて日本人には馴染みにくい者なのだ。だけどその割には案外覚えられているのは、女のハードロック・ギタリストしての物珍しさもあるのかも知れない、と彼女は考える。  何しろ女性プレーヤーというのは実に少ないし、上手いとなると更に限られてしまうのだから。FAVは自分が上手いなんて考えたこともないが。
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