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水神様の「推し」
優希くんは屋上の中心まで行く。
そこには、透明なガラスケースのようなものがある。ううん、ガラスケースなんかじゃない。これは、なに?
「なんなの?」
透明なものは、よくテレビアニメとかで見る「結界」を思わせた。もし触ったらブヨブヨしそうな、弾力のありそうなもので中身が覆われている。そして、中に動いているのは、小さな蛇。青みがかった色をしていて、目は紅い。プラスチックなどでできてるわけではなかった。その蛇の目はわたしを確かに睨んでいる。
「森嶋の腕についてたやつ。ここに隠しといたんだぞ。ずっと昔のこの地域では『おろち様』って呼ばれて崇拝されてたみたいだけれど、それはかつての話。信仰を失った神は妖怪になりうる。ま、神職見習いのお前が、ちゃんとコイツにご奉仕してれば、俺も『こんなこと』はせずに済んだんだけどな。土地神さまだったらしいからさ」
優希くんはそう言うと、手の中に紫色の何か、パチパチしたものを生み出した。
なんだろう。雷?
その雷を見ていると、不穏な、ざわざわした気持ちがますます強まっていく。
「俺って、『こういう職業』の見習いなんだ。掃除屋、って俗語で言われてる。この神は俺が『殺す』から。お前も古い神社の神様に囚われて、なんか可哀想だもんな」
可哀想、という響きに、憐れみを感じた。優希くんの目を見ると、そこには深い悲しみが見えた。
わたしに言えない、わたしが聞いたらいけない秘密を、彼はきっと持ってる。
でも。
「だめ。殺したらだめだよ!!!」
「あぁ?! 困ってたのはそっちだろ。この蛇、ちゃんと供養してやるから。大丈夫だから!」
言葉は乱暴だけれど、彼は心配してくれてる。本心から。でも。
「だめだよ。絶対!!!」
どちらがわがままを言ってるのだろう。
思いながらも、わたしが叫んだ途端、蛇を覆っていた「結界」が弾け飛んだ。蛇は青い着物を着た女性の形になると、すぐに形を変えて、わたしの右腕にアザとして巻きつく。鮮やかな青色。
このアザの色! 今度こそ、先生に怒られるよね。
ペインティングしたって疑われちゃうよ。
前は黒だったのに。
「全く、いらん手間をかけさせて。でも、俺、お前みたいな根暗な子、意外とタイプだから、さ」
優希くんはくしゃりと笑う。わたしの髪をわしゃわしゃと撫でると、その手を頬に当てて、顔を近づけてきた。唇同士が触れ合ったのは一瞬のこと。
でも、その一瞬で、わたしは「なにか巨大なもの」を吸われたような気持ちになる。
落とし穴に落ちたみたい。ううん、視界がクラクラするだけ?
こんななの? キスって、みんな。
わたしは屋上のコンクリートの床にしゃがみ込んでしまう。
「栄養補給、終了。かな。良かったら、定期的に屋上で『キス』しような。ここなら人目につかないし」
優希くんに、エナジードリンクみたいな言い方をされて、わたしは傷ついていた。深く。
「バカ。あっち行って」
泣きそうになりながら、怒鳴る。
「じゃあな」
爽やかに、彼は屋上から出ていってしまった。
青いアザがうっすら光る。アザはわたしの右腕からリボンがとれるように離れて、先ほどの青い着物をした女性の姿になった。長い黒髪で、紅い目をした美貌の女神様の姿に。
「あやつ、『神』も『妖怪』も葬れる力。掃除屋、と言ったか。陰陽師のようなものかしら」
蛇の神様は、よく通る声で言った。そしてわたしを紅いその目で見る。
「わたくしを救ったのは、神職見習いとしての立派なお役目でしたわね。しましては。わたくしの更なる、お願いといたしましては」
神様のお願い。ごくりとわたしがツバを飲み込んでいると。
神様は急にもじもじと恥ずかしがって、
「あなたの『推し』の韓流アイドルとやら、わたくしにも、もっと見せてくださいな」
ええ? 蛇の神様は、イケメンが好きだったの?
「わたくしはあのグループでは『シンラ』を推してますのよ」
韓流アイドルの話。わたしがクラスメイトとしたかった、その話。
屋上で、ひとしきり盛り上がってしまう。
「お仲間ですね。家に帰りましょうか」
たくさん話しすぎた! わたしはちょっと疲れてた。こんなに話したの、お父さん、お母さんが亡くなって以来、なかったよね。
「おろち様」に、わたしの右腕に戻ってもらった。
アザはもう、嫌ではなくなっていた。
帰り際に、まだ教室に残っていたクラスの女子たちからいろいろ陰口を言われたような気がするけれど、ちっとも気にならなかった。
アザは、わたしの敵なんかじゃない。
わたしを守ってくれるもの。
✳︎ ✳︎ ✳︎
「まあ。すごくすごく綺麗ですわね。わたくしが村娘として生きてた頃は、こんな『綺麗な存在』は見られませんでしたわ。シンラ!!!」
真夜中の十二時ごろまで、「おろち様」は、わたしの手持ちの韓流ブルーレイを見まくって、すごく熱狂していた。
「朝のお勤めも、これ。このブルーレイ鑑賞がいいですわ」
そうなの? そりゃ、わたしとしては願ってもないんだけれど。
「おろち様」に対して、面倒だな、と思っていた過去のわたしを少し恥じて、わたしは彼女より早く眠りにつく。
おばあさまには、夕飯時に、この「おろち様」をちゃんと見せている。(さすがに、腰をぬかしてたよね)
わたしの腕から、今では彼女の意思で、自在に外に出られるようになったこの蛇神さま。
第二の人生、満喫してるのかもね。
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