夜の季節に浮かぶ月

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 吐いた息が白い塊となって目の前を漂う。  ヨウは、すうっ、と空気を吸い込むと、息を止めて外の様子をうかがった。  三ヶ月前からはじまった夜は、かわらず天を漆黒の色で染めている。  夜の季節になると空は二種類の色しか持つことができない。  晴れているときの黒、曇っているときの灰色のどちらかだ。  今日は晴れていた。  おかげで地上の熱が逃げてしまい、狩りのためにじっとしていると体の芯まで凍りついてしまいそうだった。  もっとも、晴れていなければ雪が降っているという気候なので、どちらにしても寒いのは変わらない。  二週間前から昨日までずっとブリザードが吹き荒れていたことを思えば、こうして建物の外で体を動かせることが嬉しかった。 「ヨウ。なにか見えるか?」  後ろからタツの声が聞こえた。  見渡せる限りの地面と、そこにある物体はすべて雪によって白く染めあげられている。  例外は前方にある小さな森の緑色だけだ。  木々の間にじっと目を凝らす。  月明かりが雪に乱反射して幹の形までくっきりと識別できるが、動くものはなにも見えない。   ヨウは頭を下げると、ふっ、と息を吐き出した。  外の様子を見るときは呼吸を止めておかないと、白く流れる息で獲物に気づかれる。 「だめだね」 「なんとかしろよぉ」 「ボクに言うなよっ」  思わず語気が荒くなってしまう。  そもそも、こんなところで寒さに震えているのは目の前にいるタツのせいだった。  昨日の夕食の集まりでのことだ。  村での食事は、食糧の備蓄量を村民に徹底させる意味もこめて全員でとるのが決まりだった。  自然と大人は大人、子供は子供のグループができる。  ヨウとタツが渡された食事を持ってテーブルにつくと、すぐ近くでハナが男の子たちにからかわれていた。 「本当に見たんだもん!」とヒステリックな声をあげているハナに、まわりの少年たちはバカにしたような笑みを向けている。  そこに乗り出していったのが、前々からハナのことが気にかかっているタツだ。首をつっこんでいくタツを見ながら、ヨウは「またか」とため息をつきたい気分だった。  なんというか、考える前に行動するタイプなのだ。タツは。  仕方なく一緒に事情を聞くと、ブリザードが始まる前にハナが村はずれの森でウサギを見たという。  ウサギといえば昼の季節の動物で、夜の季節の続く半年間は眠っているはずだ。  ヨウもまわりの少年たちと一緒に「うそだ」と決めつけたい気分ではあったが、すぐ横に「じゃあ、オレがとってきてやる!」と言い放つバカがいるのではそれすらも許されなかった。  そして現在にいたる。 「いるはずないんだよ。だいたい」  ヨウはライフルの動作を点検しながら「夜の間は寝てるんだからさ」とぼやいた。  ボルトを固定位置から持ち上げ、カシャッと手前に引く。  オープンになった薬室に弾を込めて、またボルトを奥に押し込み、固定位置へと戻した。 「でもハナは見たって言ってたぜ」 「ハナが月がみっつになったって言えば、信じるの?」  コンクリートの壁に向けてライフルを構える。  久しぶりの感覚。照準が狂ってないといいが。 「オレ……信じるかも」  そのひと言に脱力してしまう。  ヨウはさきほどと同じ操作をして弾を取り出した。 「そんなんじゃ、ライフルが何丁あってもたりないよ」  少年たちと売り言葉に買い言葉になったタツは、もしもウサギをとれなかった場合、自分のライフルを渡すと約束してしまった。  今年、十五歳を迎えたお祝いとしてタツの父親から贈られたものだ。  タツはいまになって不安に体を震わせていた。 「どうしよう? オレ、親父にぶっ殺されちゃうよ」 「だからボクに言うなって。点検は?」 「あ、ああ」  うなずいて、タツもヨウと同じようにライフルの点検をはじめる。  ヨウは心の中で肩をすくめながら、備えつけの食糧箱から干し肉を取り出し、口に入れた。  ふたりがいるこの穴は、村民から〝狩り穴〟と呼ばれている。  簡単にいえばコンクリートで四角く作った箱を土の中に埋めているだけだが、その上端にはすこしだけ地面から出た細長い隙間があり、狩人はそこから外の様子を確認し、獲物を発見した場合もそこから狙撃をする。  必要とあらば一週間ぐらいこもっていることもあるので、中にはちょっとした食糧と簡易便所、厚手の毛布も何枚か用意されていた。  ヨウは長期戦になる覚悟をして、身にまとっている毛皮の上から毛布をかぶった。 「ほら」と、一枚をタツに渡す。  タツはそれを受け取りながら口を開いた。 「おまえ、なれてるよな」 「そりゃあ、十歳の頃からやってるからね」 「そ、か」  タツがなんともいえない表情になる。  ヨウの父親は五年前に死んだ。狩りの途中、クマに襲われたのだ。  十歳にして家長になってしまったヨウは、その頃から大人にまじって狩りを行い、いまではすっかり一人前の狩人になっていた。  ヨウが狩りに出発するとき、毎回、タツはうらやましそうな、それでいてヨウを怖がっているような表情で見送ってくれる。  それは父親を失ったヨウに対する同情と、すっかり大人の仲間入りを果たしてしまった幼なじみに対する距離感を表したものかもしれなかった。 「昼の季節になったらさ」  ヨウは隙間からちらりと外をのぞいた。  あと三ヶ月は続く真っ黒な空には満天の星が輝いていた。 「街に行こうか」 「西の町か?」 「ううん。トウキョウの街」  タツが驚きで目を見開いた。 「モービルでも二週間はかかるっていうぜ」 「うん。だから狩りをしながら行くんだ。それで昼の間はずっと向こうで暮らしてさ。どう?」  タツはポリポリと穴の頭をかいていたが、ややあってニヤリと笑った。 「面白そうだ」 「でしょ」  ヨウもニコリと笑い返す。 「じゃあ、オレも狩りの腕、鍛えなきゃだな」  言いながらタツがライフルを構えた。 「つきあうよ」  村民は小さい頃から銃の扱いを教わる。  五歳の子供から九十歳の長老まで、みなが銃の撃ちかたは知っているのだが、狩猟に出たときの心得は実際に経験してみないと身につかない。  こればかりは数をこなす必要があるのだ。 「昔、このへんが暖かかったって本当かな?」  点検を終えたタツが弾を抜きながら言った。 「ん。らしいね」  ヨウとタツが生まれるずっと前、このあたりは温暖な気候だったという。  大人たちの話を信じるならば、巨大な隕石が衝突して地球の回転の仕方が変わってしまったのだとか。 「親父たちの言うことは、もうひとつ信じらんねえよな」 「あはは。みんな、酔っ払いだしね」  そのあたりのことも街に行けばわかるかもしれない。  じつは、村を出ることはずっと以前から考えていたことなのだ。  生まれてから死ぬまで同じ村で暮らす。  それが村民たちの間には当たり前の考えとして根付いているが、ヨウはそれに抵抗をしてみたかった。  どうしてそう思うようになったのかはよくわからない。父親が早くに死んだため、まわりのだれよりも早く大人の仲間入りをしてしまったことが原因かもしれなかった。  手にしたライフルに視線を落とす。  銃の扱いは大人顔負け。経験だって十分に積んでいる。  これさえあれば、どこまででも行ける。  そんな自信があった。  ふと――。  外で雪を踏む気配がかすかに感じられた。  鋭く手を上げて異変を知らせると、タツの表情に緊張が走った。  息を止めて、そっと外をのぞき見る。  その横でタツもおそるおそる顔を出した。  イヌだ。  真っ白な毛並みを持ったイヌが、森から姿を現すところだった。  しきりに空気の臭いをかいでいるが、こちらが風下になっているため、待ち伏せを気取られることはないだろう。  驚くべきはその大きさ。  三メートル、いや、四メートルはあるだろうか。  イヌの平均的なサイズが二メートルぐらいなので、めったにお目にかかれない大物だった。  ヨウは頭を下げると、すぐさま弾を手に取った。  横ではタツがパニックに陥っている。 「な、なんだよ、あれ? どうする? どうするよ?」 「狩ろう」  ヨウは落ち着いて、音をたてないようにライフルに弾をこめる。 「あいつ一頭だけみたいだ。たぶん、はぐれ。だいじょうぶ、近くに仲間はいない」  イヌは基本的に集団生活を営んでいるが、たまに単独行動を好む〝はぐれ〟と呼ばれる個体もいる。  群れであれば、一頭を殺したところでよってたかってこちらが八つ裂きにされるのがオチだが、単体であればその心配はない。  タツのライフルにも弾が入ったことを確認して、ヨウはうなずいた。 「銃口を外に出さないように。狙うのは頭。ボクの合図で撃つんだ」 「わ、わかった」  ヨウの矢継ぎ早の指示を、タツが了承する。 「よし」  天井の低い狩り穴の中で、ヨウは中腰になって銃を構えた。  タツもそれに続く。  銃床をしっかりと肩にあてて、狙いを定める。  イヌは雪の臭いをかぎながらそこいらを歩き回っている。  風は弱く、しかも雪は音を吸収する性質を持っているため、聞こえてくるのはイヌの鼻息と緊張したタツのツバを飲む音だけだ。  呼吸を整える。  相手は巨大な頭を持っているので狙いをつけるのは楽だった。  引き金に指をかける。  ふっ、とイヌが頭をあげた。  目が合う。 「撃て!」  ドドンッと続けざまに二発の銃声が穴の中に響いた。 「やった!」  獲物が血を撒き散らしながら雪の上に倒れたのを見て、タツが歓声をあげる。  だが、ヨウは「まだッ」と言い放つと薬室から空薬莢を取り出し、すばやく次弾を装填した。  タツが戸惑っている間にも、それらの作業は完了し、ふたたび射撃体勢に入る。  銃口の先に見える巨体は、よろよろと起き上がろうとしていた。  首と鼻面から血が出ている。  ヨウと目が合った瞬間、この獣はとっさに頭を振ったのだ。  賢いやつだった。だから、群れの力を使わずにいままで生きてこられたのだろう。  村から出て、外の世界に飛び出していくつもりなら、見習うべき姿かも知れない。  そんなことを思いながら、もう一度、引き金をひいた。  ***  念のためにライフルを撃てる状態にして外に出る。  白い息を吐きながら、サクサクと雪を踏み越えて獲物に近づくと、完全に息の根が止まっていることが確認できた。  ヨウの放ったとどめの一発は見事に額に命中しており、そのまわりの毛を血で赤く染めていた。 「だいじょぶか?」  後ろからタツがおそるおそるやってくる。 「うん」 「ひゃー、でっけえなぁ」  タツは驚嘆しながら倒れている巨体に蹴りを入れた。 「じゃあ、タっちゃん。モービル持ってきて」 「え? ウサギはどうすんだよ?」  思わず苦笑してしまう。 「これで許してもらおうよ」  タツはそれでも不満気な表情を浮かべていたが、「ちぇっ」と言うと、村からここまで来るのに使用したスノーモービルを取りに走っていった。オイルの臭いで獣に警戒されてはいけないので、すこし離れたところに隠してあるのだ。  これだけの大物は老人たちでも驚くに違いない。少年たちだってこれだけの獲物をしとめてきた者のライフルを取り上げたりするほど、恥知らずではあるまい。いったい、なにが不満だというのか。  まあ、タツらしいといえばそうなのだろう。  ヨウはイヌの体に寄りかかると、空を見上げた。  満点の星の海をふたつの月が泳いでいる。  ひとつは真っ白な光を放つ丸い月。  もうひとつは赤い光を放つ、ゆがんだ月だ。  これも胡散臭い大人たちの話だが、赤くいびつな月は、地球にぶつかった隕石がその一部をもぎとっていったものらしい。  まだ時間がそんなに経っていないから丸くなりきれていないのだとか。  地球が失った土がどうして空にあって天を回るのか。  そもそも、どうして昼と夜があるのか。  よくわからない。  地球を飛び出した月。  群れを飛び出したイヌ。  赤い月は醜く、巨大な獣は血にまみれて倒れている。  それでもボクは外の世界を見たいのだ、とふたつの月に願った。  余談だが、村人の歓声と驚愕を浴びながらイヌの腹を開いてみると、胃袋からバラバラになったウサギの体が出てきた。  どうやらヨウとタツに狩られるまえに、どこかの穴ぐらで寝込みを襲ったものらしい。  約束は完璧に達成され、タツはライフルを奪われずにすんだ。  さらに余談だが、ハナは約束を果たしたタツにではなく、ヨウに興味を持ったようだ。  最近、やけに話しかけられるのだが、後ろから嫉妬のこもったタツの視線を向けられることを思えば素直によろこべなかった。  ヨウは「やれやれ」と天を仰いだ。  昼の季節はまだ来ない。
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