ヒトグイの娘

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 夜の森の中をウラカは走っていた。  樹冠の隙間からは満月が見え隠れしている。  そのわずかな明かりを頼りに、森の奥へ奥へと逃げていく。  もう長い時間、走り続けているが、背後からせまる恐怖を引き離すことができない。  肺はとっくに限界を超えていて、ひと息ごとに焼けるような痛みを訴えてくる。  パシッ、と近くの枝が破裂し、ほぼ同時に背後から射撃音が聞こえる。つづいて男の笑い声が響き渡った。  ウラカを殺そうと思えばいつでも殺せるはずだ。  ついさきほど、暖かな夕飯の食卓を囲んでいた両親を殺したように、頭か胸を撃ち抜けばいい。  そうしないのは、ウラカを追いかけることを楽しんでいるからだ。  ウラカは簡単に殺せる、反撃するための武器すら持たない、か弱い獲物だった。 「あっ!」  足が木の根を踏み外し、ウラカは走ってきた勢いをそのままに転倒した。  身体が降り積もった落ち葉の上をすべり、小枝にひっかかれた手足に傷ができた。 「はあっ! はあっ!」  地面に横たわったまま、荒い呼吸を繰り返す。  このまま眠ってしまいたい。  弱音を吐く心に負けそうになるが、背後の闇の中から聞こえてくる足音に突き動かされるように立ち上がった。 「うっ……」  ころんだときに挫いたのか、右足に激痛が走る。  それでも、すこしでも先に進もうと、近くの木に手をつきながら歩きつづけた。  ふと視界が開けた。森の中に、そこだけ木の生えていない空間があったのだ。  遮るもののなくなった月光が地上にふり注ぐ。  ウラカは、その空間の中央にたたずんでいる巨大な黒い影に目を奪われた。  その大きさから建物かと思ったが、よく見るとタイヤがついている。どうやら車両のようだ。  金属の塊のような車体が、ただ静かに、そこにあった。 「もう諦めちまったのか」  背後の声に振り返る。  闇の中に、酷薄な笑みを浮かべた男が立っていた。  手にはライフルを持ち、その銃口をウラカに向けている。 「あ……」  足から力が抜け、ウラカはその場にへたりこんだ。  父親は、ノックされたドアを開けた途端に頭を撃たれた。  そのドアが開ききる前に、テーブルに料理を運んでいた母親は胸を撃ち抜かれた。  あまりに突然すぎる両親の死を受け入れられないウラカは、食卓につきながら、ぼんやりと男を見ていた。 「逃げてみろよ」  家の中に入ってきた男は、テーブルの上のシチューを勝手に食べながらウラカに言った。 「楽しませろ」  男にとって、ウラカはただの狩りの対象でしかない。そしてついに捕獲され、これから殺されるのだ。  闇の中の男は、ちっ、と舌打ちした。 「つまらねえな」 「そうかな?」  あたりに別の声が響き渡った。  大人の男の声だが、どこか違和感がある。抑揚のない声。まるで人間以外のモノがしゃべっているような――。  とつぜんの光が暗闇を引き裂く。  その光は、ウラカの背後、森の中の開けた場所から発せられていた。 「くそっ」  ライフルを構えながら男が毒づいた。 「ヒトグイかよ」  バンッ、と銃口が火を吹く。  反射的に、ウラカは耳をふさいで地面に身体をふせた。  二度三度と発砲は繰り返され、そのたびに銃弾が金属を叩く音がする。 「それで終わりかな?」  また、あの声だ。 「ならば、わたしの番だ」  ライフルとは別の射撃音がウラカの鼓膜を強く打つ。短く、一発だけ。  ウラカを追いかけていた男がその場に倒れ込んだ。 「うっ……」  死んではいないようだ。  男はゆっくりと立ち上がると、よろめきながら森の中へと姿を消していった。  ウラカは、しばらくの間、呆然と森の中を見ていた。 「無事かい?」  背後の声にふりむく。  そこには、ライトから煌々とした光を放つ、巨大な車両の姿があった。  その眩しさに、手で目をかばいながらウラカは尋ねた。 「あなた……しゃべれるの?」 「まあね。きみの名前を教えてくれるかな」 「ウラカ」 「ウラカ。もしよければ」  その車両はこう続けた。 「わたしに食べられてくれないか?」  ***  ようやく太陽がのぼり始め、多少は暖かくなってきた。  まだ暗さの残る早朝。  ライフルに装着したスコープの十字の先に、ウラカは鹿の姿を捉えていた。  距離は二百メートルというところか。  鹿は木々の間をゆっくりと歩き続けている。命中確率をあげるため、止まるのを待つ。  ウラカは先日、十七歳になった。森の中を逃げていたあの日から、五年の歳月が経とうとしていた。  腰まで伸びた、黒く、すこしウェーブのかかった髪を、いまは狩りの邪魔にならないように、うなじのところでまとめている。  日焼けをした肌。  軍隊から流出したと思われるカーキ色のジャケットとズボンは、近くの村で鹿の皮と交換したものだが、ウラカにはすこしサイズが大きかった。  同じく村で購入した黒いダウンベストを着てはいるが、茂みの中で伏せた姿勢のまま、何時間も息を潜めているには、つらい季節になってきた。もう秋が終わり、冬に入っている。  白い息で獲物に気取られないよう、ゆっくりと呼吸をする。  鹿は足を止めると、頭を地面に向けて草を食べはじめた。  ウラカは、スコープの中の十字を鹿の胸に合わせ、息を静かに吐ききった。  引き金をひく。  バンッ、という発射音とともに反動が肩を襲った。何度、経験しても痛い。  スコープを覗き直すと、鹿の胸から血煙があがり、その場に倒れるところだった。  ライフルの右側についているボルトを引いて排莢。押し込んで装填を完了し、また鹿に狙いをつける。  鹿は、よろめきながらも必死に立ち上がろうとしていた。  内臓が傷ついているにもかかわらず、なんとか生き延びようとしている。 「ごめんね」  ウラカは小さくつぶやくと、再び、引き金をひいた。  鹿の両足に括り付けられたロープを引っ張りながら、森の中を進んでいく。  鹿の身体にはダニがいるので、なるべく触りたくない。以前、噛まれてひどい目にあったことがあるから、なおさらだ。 「はあ、はあ」  重たい動物をひきずってきたため、息が上がる。  自分で食べるのであれば、放血や内臓を抜くなどして重量を減らせるのだが、今回は自分用ではない。なんなら毛皮についたダニも含めて、すこしでも多くのタンパク質がある方がよかった。  しばらく進むと、細い川のそばに出た。  簡単にまたげるような川だが、水分補給や身体の洗浄、または現在位置の把握にと、ウラカの生活にはなくてはならない存在になっている。  五年前の場所からは移動していた。あのときの男がまたくるかもしれないという、バタリオンの判断だ。  川の音を聞きながら上流方面へ向かっていくと、さほど時間もかからず、木がまばらになっている場所に到達した。  そこに巨大な戦闘車両の姿がある。 「おかえり、ウラカ」 「ふう、ただいま」  かつてウラカが住んでいた家よりも大きな車体の上には、旋回式の砲塔がついている。本人によると「百ミリ砲」だそうだ。その下には「十二ミリ機関銃」の銃口がひとつ、顔をのぞかせている。  全体的な色彩は濃い灰色。  車体の下にはウラカの肩までの高さがある、これまた巨大なタイヤが左右に四つずつついているが、よく見ると、だいぶ表面が擦り切れているのがわかった。  正面部分に小型のクレーンが備え付けられており、最初に見たときは違和感を覚えた記憶がある。戦争をする車に大砲や銃があるのはわかるが、なぜクレーンなのかと。  これも本人によると、彼ら独立作戦遂行戦闘車、通称「ヒトグイ」は自分自身で燃料補給ができないらしい。  仲間のクレーンによって、背後にあるミキサーに燃料を投入してもらう必要があるのだ。  いま、バタリオンに燃料補給をするのはウラカの役目になっている。 「なかなかのサイズだ」 「ひきずってくるの大変だったんだから」  ウラカは、このしゃべる戦闘車両をバタリオンと呼んでいる。  出会った直後に名前を聞いた際、「昔は大隊(バタリオン)と呼ばれていたな」と答えがあったからだ。  それが固有名詞ではないと知ったのは翌年のことだが、すっかり慣れてしまった呼称を、いまさら変えることもできなかった。  バタリオンの背後は丸みを帯びており、上下に開くスライド式のドアがあった。  ウラカは、ドアについている取っ手にロープを巻き付けると「あけて」と告げた。ドアが上に開いていき、それと共に鹿が持ち上がっていく。  ドアの中からは強烈な腐臭がただよってきたが、それがわかっていたので、ウラカは息を止めたまま、開いていくドアを見守った。  ドアの奥に、大きく鋭利な刃物を備えたミキサーがあらわれ、ところどころに動物の血や毛が付着しているのが見えた。たまに洗ってあげるのだが、どうしても悪臭はとれない。  ウラカが手早く鹿の足のロープをほどくと、どさっと鹿の死体がミキサーの中に落ちた。 「閉じていいよ」  しまるドアに挟まれないように気を付けつつ、取っ手に結んだ方のロープもほどく。それを巻きながらバタリオンの横にまわった。  すぐにミキサーが回転しはじめ、鹿の肉や骨や内臓を引き裂きはじめる。 「もうちょっと獲ってこようか?」 「いや、最近は大物ばかりだったからな。しばらくは大丈夫だろう。ウラカも自分で体温調整できるようになったことだし」 「親鳥みたいなこと言わないでよ」 「似たようなものだろう?」  たしかにバタリオンと出会った最初の年は、小屋の立て方すら知らなかった。冬の厳しさは、バタリオンのエンジン熱に助けられてなんとか乗り越えることができたのだ。  そのための燃料は、たまたま近くを通過しただけの、不運な野生動物によってまかなわれた。  燃料とはつまり、バタリオンの機銃の正確な一発によって頭を吹き飛ばされた、鹿や熊やバッファローの死体のことだ。  なにをどうして、そういう思考に至ったものか。すこし前の時代に生きていた人間は、兵器の燃料として生き物の死体を使えばいいと考えた。  それならば戦争をしているかぎり、燃料不足におちいることはない。  ただし、ガソリンや天然ガスと違って、発電機が死体を直接利用することはできない。タンパク質を、燃える物質に変換する必要があるからだ。  そのための機構を備えた結果、車体は家ほどもある大きさになった。  バタリオンは、そう説明してくれた。 「今年は雪が少ないといいな」 「そうね。去年は大変だった」  初期の頃は、バタリオンに長い枝を何本も立てかけて作った即席の小屋で雨風をしのいでいたが、とうぜん、快適の対極にあるような環境だった。  バタリオンから石器時代の住居の構造や、斧や鋸のような道具の使い方まで説明してもらいながら、ウラカはすこしずつ、住み家を形作っていった。  ついに昨年は、雨漏りをしない草ぶきの屋根を作ることに成功したが、大雪の年となってしまい、雪の重みで小屋ごと潰されないよう、雪下ろし作業で眠る暇すらなかった。つらかった。  多少の雨避け効果を期待して、太い木のそばに作ったその小屋は、ウラカがひとり横になるのがやっとの広さしかない。高さもなく、中で立ち上がることすらできないが、乾いた寝床と温かい毛布のある空間には、とても満足していた。 「ドアが傷んできている」 「ほんと?」  指摘されて見ると、たしかにドアを形作っている木材がやわらかくなっていた。腐りかけているようだ。  ドアを開け閉めして確認する。動きは問題ないが、そのうち穴が空くかもしれない。 「塗料のぬり方?」 「かもしれないな」 「補修は、無理か。作り直しね」  面倒だがしかたがない。むしろ、本格的な冬に入る前に気づけて良かったのだろう。 「あした村に行ってくるわ」 「さっきの鹿の皮を残しておけばよかったな」 「大丈夫。まだ貸しの方が多いから」  言いながら、ウラカは腐りかけたドアを閉めた。  その日は、洗濯や薪拾いで一日が終わった。  薪は、よく乾いているものを選び、木材で屋根と床だけ作ってある薪小屋に積み上げていく。これも大事な冬ごしらえだ。  そうこうしているうちに日は落ち、空には冬の星座があらわれた。  ウラカは、バタリオンの上にのぼり、寝そべりながらそれを見ていた。  エンジンを動かしてくれているので、金属の上とはいえ、暖かさを感じる。もちろん燃料は使っているのだが、どうせそれを補給するのはウラカの役目なのだから、多少は無駄遣いしてもらってもいいだろう。 「星を見上げて季節を感じるなんて、自分は原始的な生活をしてるんだなって思うわ」 「原始の定義によるな。狩猟採集の民のことを指すのか、ヒトがまだアフリカから出ていなかったころを指すのか」 「さすがにそこまで戻らないよ」  くすくすと笑う。 「そうかな。わたしには、ホモ・サピエンスはホモ・サピエンスという動物の性質のまま、変わっていないように見える」 「たとえば?」 「集団同士で線を引く。線のあちら側は敵で、こちら側は味方だ。あれはそういう本能だろう」 「バタリオンにとってのわたしはこっち? それともあっち?」 「わたしは機械であってヒトではない」 「でも、わたしを助けてくれた」 「燃料供給をしてくれそうだったからな」  森の中から、パサッと落ち葉が巻きあがる音が聞こえた。  きっと、フクロウがネズミを捕まえたのだろう。  目を向けてみるが、とうぜんなにも見えない。ただ、木々の間に暗闇があるだけだ。 「わたしはヒトだから、なんでもストーリーとして理解しちゃうの。人類を滅ぼしかけた兵器の最後の一台が、わたしを助けてくれた意味とかね」 「燃料補給をしてくれそうだったからな」 「まったくもう」  手で軽く叩いてやる。  ウラカは、バタリオンと話しながら過ごす夜が好きだった。  バタリオンはいろいろなことを知っていた。歴史、地理、哲学、生物学、軍事や料理のことまで。  ウラカは会話をしながら、それらを少しずつ吸収していき、実際の生活に役立てることもあった。 「もう寝るといい」 「昔みたいに、ここで寝ていいかな?」 「燃料がもったいない。それに風邪をひくからだめだ」 「ケチ」  ウラカはしぶしぶ起き上がると、梯子を下りて自作の小屋へと向かった。  ***  村は、森を抜けた先にあった。  赤茶色をしたレンガ造りの建物が二十軒ほどで、人口もさほど多くはなく、周囲の麦畑からの収穫と、森での狩猟によって生活を成り立たせている。  ウラカはたまに村を訪れると、鹿の皮や肉と交換で、服や工具、ライフルの弾を入手していた。  商店などといった立派なものはない。村の中央にある酒場が、生活必需品も扱っている程度だ。  酒場の名前は「森の端亭」  まったくヒネりのない名づけだった。  テーブルが四つあり、詰め込めばなんとか十人は入るだろうか。決して広いとは言えないが、娯楽の少ない村では唯一の社交場となっていた。 「わたしの貸しはどうなった」  ライフルを背負ったウラカは、腕をカウンターに乗せて、その向こうにいる少年に詰め寄った。 「前回の釘と弾。塩と生理用品で相殺したよ」  ウラカの圧を受けながらも、ふてぶてしい笑顔を浮かべる少年は名前をエミリオという。ウラカよりもやや年下のはずだ。  肩まである栗色の髪を、頭の後ろで無造作に束ねていた。  村人はだいたい同じ服装だが、エミリオも麻のチュニックとズボンを身に着け、防寒着として羊毛のベストを着ていた。  すこし前まではウラカの方が背が高かったのだが、最近になって並んでしまった。すぐに追い抜かれるのかと思うと、なんだか面白くない。  森の端亭は、もともとはエミリオの母親が切り盛りしていたが、その母親が二年前に亡くなってからは、エミリオがカウンターに立つようになった。  父親はいるが、ウラカが初めて訪れたときからずっと、昼間から客と一緒に酒を飲んでいる姿しか見たことがない。  いまも窓際の席で、村の男たちと歓談していた。  ウラカは、エミリオをにらみつけながら続けた。 「鹿一頭分、多く渡していたはずだ」 「だから、サービスして木材と瓶詰めはあげるよ。洗剤まで欲しければ、鹿の皮、もう一枚ってところかな」 「納得いかない」 「わかる。そういうときってあるよね」  心の底から同情しています、という表情に腹が立つ。演技だとわかっているからなおさらだ。  鹿の皮を持ってきても「脂の落とし方が甘い」とかなんとか文句をつけて、価値を低く見積もるようなやつだ。  こちらは森の中で殺人兵器と一緒に暮らしている身で、交渉術などというものからは縁遠い。つまり、口では勝ち目がない。  せめて呪いの言葉でもぶつけて気を晴らすことにした。 「エミリオ。あんたはいつか、ひどい目にあう」 「なにそれ」  キィ、と酒場のドアが開いた。 「いらっしゃい」  脊椎反射でそう口にしたエミリオは、相手の姿を見た途端、すぐに表情を曇らせた。  さっきまで店内に笑い声を響かせていたエミリオの父親たちも、押し黙っている。  入り口を見ると男がふたり立っていた。  あきらかに村人ではない、暴力に慣れた雰囲気を感じさせる男たちだ。  どちらも薄汚れた青い色の戦闘服に身を包んでいるが、ひとりは防寒のためか、フードつきのポンチョを頭までかぶっていて表情は見えなかった。  男たちは黙ったまま、近くのテーブルにつくと、静かに「酒」とエミリオに伝えた。  無言でグラスを置いてきたエミリオに、目線だけで「何者?」と問いかける。  ウラカの意図を察したエミリオは口を閉じたまま、手招きした。こっちへこい、ということか。  カウンターを回って店の奥に入る。  酒や食材、販売している生活必需品の在庫を置く棚を通り過ぎ、二階への階段を通り過ぎ、さらに奥へと向かう。  ついには裏口から外に出てしまった。  ここまできて、ようやくエミリオが口を開く。 「最近、村の近くをうろついてるやつらだ。今日は二人だけど、もっといるみたい」 「なんのために?」 「ヒトグイを探してるらしい」  ゾクッと血の気が引いた。  緊張で視界が狭まり、鼓動が早くなる。  ヒトグイを探している。  それはもちろん、バタリオンのことだろう。  ヒトグイは人間たちを殺戮してきた。そのことを恨みに思っている者もいるに違いないし、バタリオンから戦況が逆転した以後の話を聞いたこともある。  人間は、同じ人間が生み出した兵器を執拗に恐怖し、憎悪し、破壊しつくしてきたのだ。 「弾」  ぽつりとウラカは言った。 「え?」 「木材も瓶詰もいらない。弾を売れるだけ売って」  その言葉は、ウラカとヒトグイになにかしら関係があると自白しているようなものだったに違いない。  だが、エミリオは何も言わずに建物に戻ると、両手に一箱ずつライフルの弾をもって戻ってきた。 「おまけしておいた」 「ありがとう」  ズシリとした重量のあるそれを受け取り、リュックサックに詰める。  そのまま去ろうとすると、エミリオが口を開いた。 「ねえ、ウラカ」 「なに?」 「きみは、ひどい目に合わない」  なんのことかと考え、さっきのやりとりの続きだと気づいた。 「あんたもね、エミリオ」  おまけに免じて、呪いはなしにしておいてあげよう。  すぐに森に入るのはやめた。  ときおり背後を振り向き、つけられていないことを確認したが、念には念に入れるべきだ。  森の淵を、なるべく遠くまで歩き、十分だと思ったところで、ようやく森に足を踏み入れた。  正確な現在位置を把握しているわけではないが、太陽の向きと地形とを組み合わせれば、バタリオンのもとまで戻ることはできる。  だが、まっすぐ進むようなことはしない。  関係のない方向に歩き、適当なところで右へ曲がる。またしばらくいくと、勾配のある地形を見つけたので、わざと足元が悪くて歩きにくい場所を通過する。このぐらいでいいだろうと思えるまで進んで、そこで足を止めた。  正確に自分の足跡を踏みながら後ろ向きに戻っていき、そこにあった木を見上げる。  太い蔦が絡まっていて登りやすそうだし、高いところには葉が茂っている。  ウラカは、ライフルとリュックサックがしっかりと身体に固定されていることを確認すると、その木に登りはじめた。  ライフル弾の入ったリュックサックが肩に食い込んで、油断するとバランスを崩しそうだ。手を滑らせないように気を付けながら、すこしずつ登っていき、なんとか樹冠に身を隠せる位置まであがることができた。  なるべく太い枝を見つけ、その上にゆっくりと体重をかけていく。簡単に折れないか。揺れたときに大きな音を立てないかを確認してから合格をだした。  ライフルとリュックサックが固定されているかをもう一度、確かめてから、枝の上でできるだけ楽な姿勢を取る。  あとは、じっと待つだけだ。  目をつむって聴覚に集中する。  ときおり風が吹くと、落ち葉が飛ばされる音や、枝同士がこすれる音が聞こえた。  カラスの鳴き声は遠くまでよく響く。  鹿の求愛の声。初夏には子供を連れた姿を見ることができるだろう。  時を忘れて音の世界を楽しんでいると、パキ、と小枝を踏む音が聞こえた。  目を開く。  ウラカが歩いてきたのと同じ方向から、何者かが向かってくる音がする。  動物はこんなに大きな足音を立てない。間違いなく人間だった。  身動きをすると音が出る。ウラカは、目だけで足音の方向を確認した。  ややあって姿を現したのは、戦闘服に身を包んだふたりの男。ひとりは頭からポンチョをかぶっている。  間違いなく、酒場にいた男たちだ。  たまたま偶然、こんなところで出会うわけはない。もちろん、ウラカのあとをつけてきたのだ。  ふたりはウラカのいる枝の下を通り過ぎ、しばらくすると足跡が途切れたことに気づいたらしく、引き返してきた。 「くそっ、どうなってんだ」  悪態が聞こえる。  それにつづいて聞こえてきた声は、どこか楽し気な色を帯びていた。 「やるじゃねえか」  ポンチョの男が笑っている。  その声を聞いた途端、ウラカの背筋が凍りついた。  聞き覚えのある声。五年前の、悪夢のような出来事の中で聞いた声だ。 「あいつはヒトグイの場所を知ってる」 「なんでわかる?」 「あいつが持ってるのは、俺のライフルだからだ」  男たちが、木の下を通過していった。 「あの村をもらおう。ヒトグイ捜索の基地にする」 「住んでる連中は?」 「殺す」  男たちの姿が見えなくなり、やがて足音も離れていった。  安全だと確信できるだけの時間が経っても、ウラカは木の上で動けないでいた。  ***  村に到着するころには、すっかり日が沈んでいた。  慎重に、あの男たちがいないことを確かめてから、ウラカは酒場のドアを開いた。  カウンターに立っているエミリオが目を見開く。まさか、引き返してくるとは思わなかったのだろう。 「どうしたの?」 「ああ、うん」  酒場の中は、いくつかのランプがあるとはいえ、薄暗い。  窓際の席では、エミリオの父親とその仲間たちが、昼間とまったく同じ様子で酒を飲んでいた。夜にウラカが現れるのが珍しいらしく、視線をこちらに向けている。  どう切り出したものか、ずっと考えながら森の中を歩いてきたが、単刀直入に言うしかないと結論していた。 「エミリオ。昼間の男たちが村を襲いにくる」 「どういうこと?」 「森の中で聞いたんだ。村人を殺すと」 「そいつはおかしい」  エミリオの父親が口を開いた。  そちらに視線を向けると、酔いが混じりつつも、十分な意思、そして経験を感じさせるまなざしがこちらを見据えていた。 「あいつらはヒトグイを探してるんだろ? この村は関係ない」 「ヒトグイの捜索拠点にすると言っていた」 「そのために俺たちを皆殺しか。よくわかんねえな」 「わたしは警告しにきただけだ。信じないなら」  知ったことじゃない、と言いかけ、口をつぐんだ。  ここで見捨てたら、なにをしにきたのかわからない。 「あいつ……昼間の男は」  言葉を続けるのに勇気がいった。 「わたしの両親を殺したやつだ」  酒場の中が静まりかえる。  エミリオの父親はポリポリと頭をかくと、ふたたび口を開いた。 「おまえさんが、はずれに移住してきた家の娘だってことは気づいてたよ。なにが起こったのかも、なんとなくな」  客の何人かが、気まずそうにうなずく。孤児だと気づいていながら、なにもしなかったことに罪悪感があるのだろうか。ウラカにとっては、どうでもいいことだ。  エミリオの父親の視線が鋭さを取り戻す。 「だが、森の中でどうやって生き延びた? 昼間の連中はヒトグイを探してるという。おまえさん、もしかしたら」  遠くから銃声が響いた。 「なんだ?」 「早い」  ウラカは背負っていたライフルを素早く正面にまわし、ボルトを操作して弾を装填した。  窓に歩み寄って慎重に外を覗く。暗くて状況は把握できないが、ときおり発砲にともなう光が見えた。 「エミリオ、ランプを消して」 「う、うん」  敵の数はわからないが、ウラカひとりで撃退するのは難しそうだ。 「森に逃げる」 「あいつらか?」  振り向くと、エミリオの父親が後ろに立っていた。 「そうだ」 「そうか」  また、ポリポリと頭をかいた。癖なのだろうか。 「おまえたちは裏口からいけ。俺たちが正面から出る」  ウラカはなにかを言おうとして、うなずくにとどめた。 「親父」 「嬢ちゃんを守ってやれ。俺たちを助けにきてくれんだ」  エミリオに告げると、今度はウラカの方に向き直った。 「信じなくて悪かったな」  それだけ言うと、エミリオの父親は仲間たちに「いこう」と声をかけ、明かりが点ったままのランプを手に取って森に向けて走っていった。  ランプがなくなり、窓からさしこむ月明りだけになる。 「わたしたちもいこう。手探りで裏口までいけるか?」 「いける」  昼間も通った場所だが、明かりがないと勝手が違う。エミリオが先頭になって進み、互いに声をかけあいながら裏口まで移動した。  エミリオが裏口のドアを開けると、またいくつも銃声が聞こえた。流れ込んできた冬の夜気が、緊張した身体を冷やしていく。  外に出る。星空と燃えている民家が目に入り、エミリオは悪態をついた。 「くそっ」 「まってたぜ」  暗がりから声が聞こえた。  同時に、ぐっ、とエミリオが苦悶のうめきをあげる。  気が付けばエミリオは地面に倒れ、かたわらにはポンチョの男が立っていた。  どうやら待ち伏せされていたようだ。もしかしたら、ウラカはおびき出されたのかもしれない。  男は、拳銃をエミリオの胸に向けている。 「よお、久しぶりだな。いや、昼間に会ったばかりだったか」  男はウラカに向けて話しながらフードをとった。  顔の左側にひどい傷が走っており、耳がちぎれてなくなっている。 「それ、バタリオンの」 「やっぱり、あのときのガキか」  片耳の男が楽しそうに笑ってみせる。その表情は、五年前の悪夢そのものだった。  足が震えそうになるのを、意思の力でなんとか抑え込む。 「あんたは、わたしの母さんと父さんを殺した」 「ああ、何日か分のメシになってくれたよ。味は忘れちまったけどな」  怒りで視界が真っ白になった。  感情に押し流されながらライフルを構えようとした瞬間、ドンッと男がエミリオに向けて発砲した。  ウラカの手が止まる。 「おっと、はずしたか」  目だけを動かして確認する。男のいうとおり、エミリオは無傷のようだ。 「夜が明けたら、ヒトグイを連れてこい。さもなきゃ朝飯はこいつの肉だ。いけ」 「あんたは」  地面に倒れたままのエミリオが、片耳の男をにらみつけた。 「ものすごくひどい目にあう」  男は、にたりと口の端をゆがめた。 「やってみろ」  男とエミリオを背後に残し、ウラカは森に向けて駆けていった。  ***  森に到達すると、足を止めて息を整えた。  月明りもほとんど届かない暗闇の中を、足元を確かめながら、ゆっくりと歩いていく。  村では、あの男がエミリオを人質にとっている。  バタリオンを引き出さねばエミリオが死ぬ。  エミリオを助けようとすれば、バタリオンを引き出さなくてはならない。 「はあ、はあ」  胸が締め付けられるような感覚に襲われ、ウラカは地面に座り込んだ。  自分自身をぎゅっと抱きしめる。  怖かった。  あの男が、ではない。  バタリオンと出会ってからの生活は本当に満ち足りたものだった。もちろん、我慢を求められることもあったが、いろいろな知識や経験を積み上げていき、いまのウラカを形作ったのは、この五年間だったと言える。  ウラカはまた、自分を守ってくれる存在を失うかもしれない。 「く、う」  涙がこぼれ落ちる。  無力な自分が、心の底から情けなかった。  するとどこからか、メキメキと、なにかが地面に落ちた木の枝を踏み潰しながら移動する音が聞こえてきた。  どんな陸上動物よりも重たいそれは、ウラカの近くまで来ると、まばゆい明かりを放った。  咄嗟に片手で目を守る。 「大きくなったと思っていたが、出会った頃と同じように泣くんだな」 「うん……わたし、変わってないんだ」  ウラカは涙を拭うと、バタリオンに向けて微笑んでみせた。  村人たちは、かなりの人数が森に逃げ込んできていた。  森のすぐそばにある村だ。なにかあれば森に逃げろ、が浸透していたのだろう。  とはいえ、自分の手の平も見えない夜の森の中で、みんな身動きができなくなっていた。  そんな村人たちを、バタリオンの強烈なライトがひとりひとり照らし出していく。  ヒトグイの姿を知っている年配の人間は悲鳴をあげて逃げ出そうとしたが、夜の森の中で逃げる宛もなく、ウラカの呼びかけもあって、すこしずつ合流していった。  若者たちにとってのヒトグイは伝説にすぎず、たいした抵抗はないようだ。むしろ、見たこともない巨大な戦闘車両に興奮し、じろじろとバタリオンのことを見ては、大人たちに怒られていた。  最後にエミリオの父親と、その仲間たちが合流して捜索を終えた。 「本当に、まだ動いてるやつがいたとはな」  そう言うエミリオの父親の表情は、どこか苦々しいものがこもっているように見えた。 「こいつがなにか知ってるか?」  ウラカがうなずいてみせる。 「人を燃料にして動く殺戮兵器、ヒトグイだ。わたしはバタリオンと呼んでいる」 「名前だと? こいつらに」 「あの男たちを引き寄せたのはこのヒトグイたちだろう! 早く出ていけ!」  村人のひとりが叫ぶと、大人たちがいっせいに騒ぎ出した。 「そうだ! おふくろはあいつらに殺された! おまえたちのせいだ!」 「出ていけ!」 「だまれ!」  バタリオンの前にいるウラカが叫び返す。 「わたしはヒトグイの娘だ! バタリオンを傷つける者は、わたしが許さない!」  ライフルに両手を添える。  必要とあらば撃つ覚悟だった。 「みんな敵を間違えている」  バタリオンが言葉を発した。  ウラカと、村人たちが視線を向ける。 「ウラカ。村人は線のこっち側か、それとも向こう側か?」  なんのことだろうと考え、昨夜のバタリオンとの会話を思い出した。 「線の向こうにいるのはだれだ?」 「……あいつ」  叱られたような気分で銃口を下げると、バタリオンが話をつづけた。 「村人たちよ。わたしは、きみたちを助けたい。信じられないかもしれないが、他者を助ける。それがわたしの性質なんだ」 「助けたいだと。あれだけ人間を殺しておいて」  また村人たちから攻撃的な気配が伝わってくる。  それだけ、ヒトグイは人類を追い詰めてきたのだろう。 「あんたは信じられない。絶対にな」  黙っていたエミリオの父親が口を開いた。 「だが、嬢ちゃんは俺たちに警告しにきてくれた。俺は、今度は嬢ちゃんを信じるよ。だから」  エミリオの父親はウラカに向き直ると、立ったまま、深く頭を下げた。 「エミリオを助けてくれ」  そのひと言によって、村人たちの敵対的な雰囲気がすこしやわらいだ。  いつも酒ばかり飲んでいると思っていたが、まとめ役としての役割を担っているのかもしれない。 「ならば、作戦会議といこう」  バタリオンの声で、エミリオの父親は姿勢を戻した。 「あんたが突っ込んで片付けるってのはどうだ?」 「人間用の弾はそんなに残っていない。森での燃料確保に使ったからな」  ウラカがライフルを扱えるようになるまでは、バタリオンの機関銃が頼りだったのだ。 「使えねえな。なんのための兵器だ」 「わたしがやる」  バタリオンが貶されているのが気に食わず、会話に割って入る。 「ひとりでは無理だ」 「ああ、そりゃそうだ」  双方から否定されたが、ウラカは負けなかった。 「バタリオンとふたりでやる。だって、武器はそれしかないし」 「ふん」  エミリオの父親は腕組みをすると、ニヤリと笑ってみせた。 「森になにか隠してるのは、嬢ちゃんだけじゃないんだぜ」  ***  すこしずつ夜が明けてきた。  バタリオンは、まだ暗いうちから、村から姿が見える場所に位置していた。  ウラカのいう、片耳の男の目的は自分だ。こうして姿を見せておけば、人質に危害を加える理由もないだろう。  やがて村を占領している男たちの姿が現れ、人質を村の外に並べ始めた。  人質は、年齢も性別もバラバラだ。中には血を流している者もいる。  人質たちはひざまずき、その後ろでは襲撃者がふたり、拳銃を持って立っていた。  何人か少年の姿もある。そのうちのどれかがエミリオだろうか。 「あーあー。ヒトグイ、聞こえるか」  朝の静寂を打ち破るように、村から大音量の声が響く。スピーカーを持ち込んでいるようだ。  しゃべっている男の姿は見えないが、これもウラカに聞いた印象からして片耳の男だろう。こちらも音量を最大にして答えた。 「聞こえている。人質は、並んでいる者たちで全員か?」  言いながら、ゆっくりと村に向けて前進を開始する。相手を刺激しない程度の速度を意識した。 「ああ。抵抗したやつは殺したがな」 「目的を聞こう。耳の仇をとるつもりか?」 「はっ!」  男の笑い声が響いた。 「それも悪かねえが、おまえには俺たちの仲間になってもらおうと思ってな」 「冗談だとしたら笑えない」 「俺は楽しいぜ。よし、そこで止まれ」 「了解した」  返事とは裏腹に、バタリオンは一気に加速した。  人質がいる方向へ、全速力で向かう。 「ちっ。おい、やれ」  襲撃者のひとりが、ひざまずいている人質に拳銃を向けた。その瞬間、パッと頭の一部が砕け、身体が崩れ落ちる。  一拍置いて、ターンッと射撃音が追いかけてきた。ウラカによる狙撃だ。バタリオンたちの右方向から援護してくれている。  もうひとりの男は、状況を把握する前に首を撃ち抜かれた。自ら作り出した血溜まりの中でもがいていたが、しばらくして動かなくなった。  村の建物から、襲撃者の仲間が何人か姿を現す。  そちらはウラカの死角になっているので、バタリオンの機銃によって無力化した。弾がもったいないので連射はせず、ひとり一発ずつだ。  人質の手前に到達すると同時に、車体の前方両側についている発射筒から煙幕弾を連続で射出する。  煙幕弾は、ある程度の高さまで撃ちあがると、そこで炸裂し、バタリオンと人質たちを完全に覆い隠した。 「出てきていい」 「ああ、くっせえ! 二度とこんなところには入らねえ!」  バタリオンの後部にあるミキサーから、ライフルや散弾銃を持った村人たちが出てきた。エミリオの父親を筆頭に、戦争に従事した経験のある者が志願したのだ。  武器は、森の中の地下倉庫に隠されていた。  酒場で販売することもあるらしいが、村になにかあった場合の対抗手段として用意していたようだ。したたかな人間たちだった。  人質に「森まで走れ!」と声をかけると、エミリオの父親は戦士たちに号令した。 「いくぞ! まずは酒場だ!」  バタリオンの車体に、敵の銃弾がぶつかる。 「前進する。わたしの後ろにいろ」  煙幕の中から誰かが飛び出してきた。  村人が反射的に銃を向けるが、バタリオンは、仲間だ、と声で制止した。 「親父!」 「おい、撃つなよ! エミリオ、無事か」  エミリオの手には、襲撃者が持っていた拳銃が握られている。 「おれも戦う」 「でも、おまえ……」  エミリオの顔は、ひどく腫れていた。何度も殴られたのだろう。  だが、その眼光は強く、父親にまっすぐに向けられていた。 「戦う」 「わかったよ。ついてこい」  そのとき、シュッと音を立てて、なにかが飛来し、勢いよく地面に突き刺さった。  村人たちが「なんだ?」と不安そうな表情を浮かべる。 「対戦車ロケット。さいわい不発だったが、狙いはわたしだな。やはり離れた方がいい」 「そんなもんまで持ってんのか。散れ! 家を盾にしろ!」  村人たちは建物の陰を目指して走っていった。  さらにロケットが飛んできて、バタリオンの前方の地面で爆発する。  すこしずつ、煙幕が薄れてきていた。  いまごろ、ウラカはやきもきしていることだろう。  ***  煙幕で様子はわからないが、爆発が起きたようだ。  ウラカは、村から三百メートルほど離れた木の上で、ライフルのスコープを覗いていた。  バタリオンや、エミリオの父親との打ち合わせを終えると、単身でまだ暗いうちから移動し、ここに潜んでいた。  太い枝の上に立っているので、村から見ると、木の幹の向こうに身体が隠れている状態だ。  狩猟の際に、地形に溶け込むために使っていた、泥で汚した毛布を頭からかぶっている。村にいる襲撃者が目を凝らしたところで、発見することは困難だろう。  逃げ出した人質たちは森に到達していた。そこで待機している村人が、安全な場所まで誘導する手はずになっている。  エミリオの姿は見えないが、どうしたのだろうか。  ひざまずいているところまでは確認していたのだが、バタリオンたちの突入のあと、見失ってしまった。父親たちと合流していればいいのだが。  また爆発音。どうやら、襲撃者たちは対戦車兵器まで持ち込んでいたようだ。  だんだんと煙幕が晴れてきたが、バタリオンたちの姿は建物に隠れてしまったので、ここからでは様子が伺えない。ただ、機銃の発射音によって、健在であることがわかるだけだ。  スコープごしに村を探る。  片耳の男が見えたらすぐにでも撃つつもりだったが、よほど用心深いのか姿を現さない。  ウラカが使っている銃は、もとはあの男の物なのだから当然といえば当然だ。 「動こう」  この場所でできることはもうなさそうだ。  ウラカは身軽な動作で木からおりると、ライフルから弾倉をはずして地面に落とした。  木の根の間に置いてあったリュックサックから新しい弾倉を取り出し、装填する。  ジャケットのポケットに入っている予備の弾倉と合わせれば、弾数としては十分だろう。リュックサックをその場に残して、村に向けて走り出す。  刈り取りが終わった麦畑を通り過ぎ、最初の建物に到達した。  レンガ造りの壁に背を預けながら、銃声が聞こえてくる方向を覗きこむ。敵がいないことを確認すると、また走り出した。  別の建物の角を曲がったところで、バタリオンの姿があらわれた。 「バタリオン!」 「ウラカ。あまり、わたしに近づくな。跳弾がいくかもしれない」 「タイヤが……」  バタリオンの右前方のタイヤ二輪が破壊されていた。対戦車ロケットの直撃をくらったようだ。 「移動速度は落ちたが、戦闘能力に影響はない」 「ウラカ」  名前を呼ばれて目を向けると、別の建物の陰にエミリオがいた。その顔は痛々しく腫れている。 「ひどい目には合わないことにしてあげたのに」  とりあえず、生きていたのでよしとしよう。  周辺の建物では、バタリオンのミキサーに隠れていた村人たちが応戦していた。  ミキサーの中はさぞや臭かったに違いない。次からは、エミリオも素直に洗剤を売ってくれることだろう。  壁からすこしだけ身を乗り出し、敵に照準を合わせる。  民家の窓から撃っているやつ。  納屋の上で腹ばいになっているやつ。  次々と撃ち抜いていく。 「すっげえな」  エミリオの父親に感心される。 「よし。俺んちまでいくぞ!」  村人たちが森の端亭を目指して走り出す。  バタリオンとウラカもそれに続いた。 「ヒトグイ、やれ」 「了解した」  バタリオンが、酒場へ車体をぶつけて壁の一部を破壊する。  そこから村人たちが雪崩れ込んでいき、まさか体当たりされるとは思っていなかったであろう襲撃者たちを射殺した。 「ちくしょう、カネはらえ!」  中を覗くと、テーブルの上に食料や酒が食い散らかされていた。 「嬢ちゃん! 二階までいくぞ!」  うなずき、エミリオの父親について、カウンターの奥にある階段から二階へ駆け上がる。そこには敵の姿はなかった。 「エミリオ! 窓を開けろ!」 「わかった。あれ? ゆがんでる」 「どいて」  ライフルの銃床で窓ガラスを叩き割ることで解決した。  文句を言いたそうなエミリオは気にせず、外に向けてライフルを構える。  酒場は村の広場を見下ろせる位置にあるため、狙撃には絶好の場所だ。 「狙える」 「まかせたぜ。エミリオはここで嬢ちゃんを守れ」 「うん」  エミリオの父親が階段を下りていく音がする。二階から見守っていると、他の村人たちと一緒に酒場から姿をあらわし、広場の向こうへ走り出した。  そこを狙って襲撃者が銃撃をするが、地上はバタリオンが、バタリオンの死角になっている場所はウラカが攻撃をおこない、ひとりひとり沈黙させていった。  とはいえ、全員が無傷とはいかず、村人の中にも、被弾して地面でうめき声をあげる者が発生していた。襲撃者たちの数はわからないが、膠着状態になるとまずいかもしれない。  ふと、スコープの中に、それが見えた。  襲撃者たちが占拠している建物の向こうで、潜むようにして留まっている。  やがてそれはゆっくりと動き出すと、こちらに向けて移動をはじめた。 「まずい」  ウラカは窓から離れ、いそいで階下に向けて走り出した。 「え? ウラカ、ちょっと!」  事態を把握していないエミリオが、戸惑いの声をあげた。  五年前の、あの夜のことだ。 「わたしに食べられてくれないか?」  そう問いかけてくる戦闘車両に、ウラカはすぐさま「やだ」と答えた。 「そうか。ならいい」 「お腹がすいてるの?」 「ああ、食べさせてくれる仲間がいなくなったものでね」 「寂しい?」 「そうでもないかな。仲間と一緒にいるときのわたしは、ひとつのことしか考えられないようになっているから」 「ひとつって?」  バタリオンは、すこしだけ間をおいてから、こう言った。 「仲間に燃料補給しなくては」  酒場の一階におりると、壊れた壁から外に出る。  走りながら視線をむけると、建物の向こうからその姿が見え始めていた。それは、バタリオンとは別のヒトグイだった。  バタリオンの動きが停止する。  そしてゆっくりと、銃口を敵と銃撃戦を繰り広げているエミリオの父親たちに向けた。 「だめ!」  ウラカはバタリオンのもとに到達すると、手で銃口を押して傾けた。  ダラララッと機銃が発射され、その先にあった物置小屋をハチの巣にする。  排出された空薬莢が身体にあたって熱いが、目をつぶってそのままの姿勢で耐えた。  すぐに弾切れになったらしく、発射機構が空転する音が聞こえた。  敵の方を確認すると、もう一台のヒトグイが、こちらに砲口を向けようとしている。 「バタリオン、こっち! 食べるならわたしを食べなさい!」  ウラカはライフルの銃床でバタリオンを叩いてから、誘導するように走り出した。  タイヤが損傷しているために、いびつな動きになっているが、それでもバタリオンはウラカを追いかけてくる。  その瞬間、敵のヒトグイが発射した砲弾が、さっきまでバタリオンがいた位置に着弾し、地面で爆発した。  どうにかして正気に戻さねばならない。  戦っている村人たちのことは心配だが、いまのバタリオンを自由にさせると、より事態を悪化させるだろう。  まずは引き離そうと考え、敵のヒトグイとの間に建物が入るように走った。  バタリオンはウラカを轢き殺そうとしているようで、まっすぐ後ろをついてくる。タイヤの損傷がなければ、すぐにそうなっていただろう。  近くの建物が爆発した。どうやら敵のヒトグイが、だいたいの見当をつけて砲撃したらしい。  すこし違和感がある。  ヒトグイは自律思考する戦闘兵器だ。バタリオンを見ていると、思考も機構も、早く、なめらかに動作するように作られていることがわかる。  しかし、敵のヒトグイの動きは鈍かった。まるで――。  一瞬、意識が途切れ、気が付けば空を見上げていた。 「あ」  顔を横に向けると、すこし離れた地面にクレーターができている。砲弾の炸裂の跡だろう。どうやら、敵の攻撃に巻き込まれたようだ。  バタリオンとは、まだ距離があった。だが、動かねばすぐに踏みつぶされてしまう。  息をすると肋骨がひどく傷んだ。ヒビが入っているかもしれない。 「うっ」  なんとか立ち上がると、近くに落ちていたライフルを拾い上げ、ゆっくりと歩き出した。  後ろを見る。バタリオンが近づいてきていた。さすがに、この身体では逃げ切れないだろう。 「ふう」  ウラカは息を吐くと、バタリオンに向き直った。 「バカなバタリオン。あれは偽物よ。あなたは……」  痛みで言葉を切り、息を吸ってから、また続けた。 「あなたは、最後のヒトグイ。仲間なんていないの」 「ウラカ!」  エミリオの声。  そちらを見ると、崩れかけた建物から走り出てきたエミリオが、両手を使ってなにかを投げた。  放物線を描いてバタリオンの前に落下したそれは、対戦車ロケット弾の弾頭だった。 「撃て!」  言われるより前に身体が動いていた。  ライフルを構えて照準を合わせ、引き金に指をかける。 「やっぱり食べられてあげない。ごめんね」  引き金をひく。  ロケット弾はバタリオンのすぐ前で爆発を起こし、衝撃で巨大な車体を強く揺らした。  バタリオンの動きが停止する。  爆発で巻き上がった砂煙が薄れていく様子を見守っていると、やがて「ウラカ、すまない」と、いつものバタリオンの声がした。 「バカ……」  言いながら、こぼれそうになる涙を手でぬぐう。  そのとき、砲弾がバタリオンの車体を貫通した。  車体を突き抜けた砲弾は地面で爆発し、バタリオンの車体からこぼれ出た燃料を燃え上がらせる。  バタリオンの全身を、赤い炎が包み込んだ。  目をやると、倒壊した建物の向こうに敵のヒトグイの姿が見える。 「残し、ておいてよかっ……た」  炎に包まれながらも、バタリオンは砲口をヒトグイに向けた。  ドンっ、と空気を振動させて百ミリ砲を発射する。その砲弾はまっすぐに空中を突き進み、ヒトグイの正面に命中した。 「あ……バタリオン」 「ウ、ラカ」  バタリオンの内部で、さらなる爆発がおきる。 「きみには、たべも、のを運んでくれる……者たちがい、る。だから……」  バタリオンの言葉が止まった。 「バタリオン?」  そしてもう、ウラカを育ててくれた殺戮兵器が語りかけてくることはなかった。  一瞬、自分の心臓まで止まったような錯覚に陥り、目の前が真っ白になった。  しかし、手だけは意思と無関係に動き出す。  ライフルのボルトを引いて排莢。押し込んで再装填。  燃えている敵のヒトグイに向けてライフルを構える。身体の痛みはもう感じない。  スコープの中にヒトグイを捉えたまま、じっと待つ。  待つ。  待つ。  待つ。  ヒトグイの横に作られたドアが開き、片耳の男がよろめき出た。  その顔は血まみれになっている。  スコープの中の十字を男に合わせ、引き金を引いた。  その顔がこちらを向き、小さくなにかをつぶやく。  ――くそっ。  男は胸から血煙をあげて、その場に倒れた。 「まだ」  戦いの音は続いている。  ウラカは村の中央を目指して歩きながら、狙える敵をすべて射殺していった。  広場に到達する。  バタリオンの一撃で破壊されたヒトグイのまわりを目で探ると、血の跡がヒトグイの後ろへ続いていた。  とどめをさすために、それを追う。  ライフルをすぐに撃てるようにしながら身を乗り出す。ドンッと銃声がした。 「ちっ」  舌打ちの音。見ると、片耳の男が拳銃をかまえていた。  その胸からは血が溢れ出ている。ウラカの放った弾は、肺を撃ち抜いたようだ。  男は、みずからの血で溺死しようとしていた。  ライフルを男に向けようとしたが、うまくいかない。  なぜだろうと見ると、ウラカの左手の上半分がなくなっていた。血が吹き出すそこには、親指だけが残っている。  気にせず、左手首を使って男に銃口を向ける。  男はすでに息絶えていた。 「えっと……」  周囲の銃声が遠のこうとしていた。  どうやら、襲撃者たちが逃げ出しはじめたようだ。 「戦わくちゃ」  足を向けようとしたところで、だれかに後ろから抱きとめられた。  耳元でエミリオの声が聞こえる。 「ウラカ、あとは親父たちにまかせよう」  なぜか泣きそうな表情を浮かべているエミリオを見た途端、全身の力が抜け、ウラカはその場に座り込んだ。 「バタリオン」  炎をあげつづけるバタリオンに目を向ける。 「死んじゃった」  黒い煙が、雲ひとつない空に登っていた。  ***  目が覚めると、ベッドの上だった。  左手が強く痛むので見ると、包帯でぐるぐる巻きにされていた。  そういえば、何度か熱と痛みでうなされて起きたような気がする。  あちらこちらが痛むが、それを無視してベッドから立ち上がった。  いつの間にか、だれかの寝間着に着替えさせられていた。スカートなんて久々に履いたので、なんだか足が落ち着かない。 「靴は……」  探したが見つからない。まあいいやと裸足のままで外に出ることにした。  どうやら、村人の家の一室を使わせてくれていたようだ。  外に出るドアを見つけたので、それを開けると、冷たい空気が流れ込んできた。どんよりと曇っていて、いまが朝なのか夕方なのかはわからない。  足の冷たさを気にせず、ペタペタと村の中を歩いていく。  途中、何人かの村人とすれ違い、ウラカになにかを話しかけてきたが、なぜかうまく理解できなかった。  バタリオンは、まったく同じ場所にたたずんでいた。近づくと、ゴムが焼けたにおいが鼻をつく。  ウラカはそれを気にせず、傾いた車体にもたれると膝を抱えて座り込んだ。  背中に当たる金属が冷たかった。  もう、この殺戮兵器がウラカを暖めてくれることはないのだ。  視界の端に白いものが映り、空を見上げると雪が降りはじめていた。どうりで寒いはずだ。 「ウラカ!」  慌てた様子のエミリオが走ってきた。  ウラカの寝巻き姿に一瞬、戸惑ったようだが、気を取り直してこちらにやってくる。 「身体が冷えちゃうよ。帰ろう」 「あっちいって」  差し出された手を見ながら言う。 「もう……いくところはないから」  エミリオは困ったように手を握ったり開いたりしていたが、やがて、なにかを思いついたように言った。 「暖かいシチューを作ってあるんだ。お腹すいてない?」  どうだろうかと考える。  空いているような気もする。 「親父が獲ってきた鹿肉が入ってる。おいしいよ」  そういえば、人が料理したものを食べるのは久しぶりだ。  バタリオンの言葉を思い出す。  ――きみには、食べ物を運んでくれる者たちがいる。だから。 「わかったよ、バタリオン」  ウラカはエミリオに手を差し出した。 「おなか空いた」  エミリオが手を握り返してくれる。  その手は、とても暖かかった。
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