善性のメフィスト

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       ◇ 「自己紹介は――まあ、しなくって良いよな。めんどっちい」  罪人番号七A四五FY六番、梧桐実樹。なんとまあ、植物特化みたいな名だよなあ――分厚い紙が何十――何百とか、何千かもしれないが、判然としない見た目だった――枚も紐で束ねられた和綴じの書類を捲りながら、彼は言った。 「オレの名は、まあ、分かるよな? 胸のトコ」名札を指差す。「字、読めるかい? 目が潰れてる手合いじゃあねえよな、見た所」 「は、はい。目は、大丈夫です。視力は悪いですが」近づき、目を凝らす。喫煙者らしく、煙の匂いがした。桃の匂いに少し似ていた。 「あんま近づくんじゃねェよ、うっとうしい。オレ、あんたみたいなプー坊はシュミじゃねぇんだ」  プー坊とは何だ、と心の中だけで思いながら、ごちゃごちゃとシールの貼られた、字の判読性がとても悪い名札を読む。格式ばったゴチック体で、「フェリス・ラルクナ」、とあった。 「格好良いだろ」 「フルネームあるの、珍しいですね」梧桐は言った。他の看守達はマグナとかラッドとか、三文字くらいのシンプルな物が多かった。 「ああ、アイツらのは通り名だよ。ブツ切れになった舌でも、罪人共がオレらを呼びやすいようにだと」看守――フェリスは顔をしかめる。 「オレは、そんな下らん理由のために改名なんてゴメンだぜ。何せオレっち、格調高い、お高貴な生まれの者だからな」  そもそも、オレらを名前で直接呼ぶふてえヤローなんて、ほとんどいねえしな。  ハハハ、と大口を開けて笑い、「これ、オレの歴代フレンズ」と、名札の上で指をスライドしてみせた。見た所、ゲームセンターで撮ったプリントシール――プリクラらしい。これ地上で撮ったんだろうか、と梧桐は思った。 「何か……キョリ近いですね」  ほとんどが男性とのツーショットなのだが、……相手のシャツの胸元に手を沿わせていたり、いかにも悪魔っぽいハート形の尻尾が腰に巻きついていたりと、その……初対面でいきなり見せられる写真としては、かなり、いや、――非常に気まずくなる類のものだった。 「結構ね。オレこう見えて、ネコ好きだから」  一見文脈の読めないことを言い、尻尾をくねらせる。 「いきなりそんな話されてもですね」 「安心しろって。再三言うけど、オレは青二才のプー坊には興味ねーから」  ベンチに足を組んで座り直し、「まあ、オレ様のフレンズ達のことなんざもう良いんだ。全員別れたしな」と笑う。名札をぴん、と指で弾き、「退屈そうな顔してたから、声をかけたんだ。オレと同じでな。なんか話しよう、話」向かって右側のツノを撫でた。根元に、黒いベルベットのリボンが巻かれているそれは、中腹のあたりでぱっきりと折れて断面が見えていた。象牙の質感に近いのか、と、梧桐はどうでも良いことを思った。 「それ、どうしたんです? ツノ……」 「あ? うるせェよ。話しかけんじゃねぇ、ブッ殺すぞ」  梧桐が訊くと、フェリスは目を剥いてそう言った。どうやら、地雷を踏んでしまったらしかった。「すみません」とりあえず慎重に話題を選ぼう、と、梧桐は近くを見渡す。 「このベンチ、センス良いですね。イカしてます」 「そりゃあねえぜ、プー坊」フェリスは腹を抱えてひとしきり笑った。 「こんなオンボロベンチ、どこが良いってんだよ、全く? 田舎のバス停の方が、まだ上等なモン設えてあっぞ」 「いや…なんというか、ヴィンテージ感がですかね」ペンキの剥がれ具合とか、あと。ざらざらした座面に手を置く。かつては綺麗な朱色をしていたであろうそこは、今は見る影もなく褐色に寂れていた。 「まあ、これはオンボロだよ。けど、そこが良いんだよなあ」フェリスがそう言って、ベンチの背の部分をぺしぺしと叩いた。機嫌が良いのか、ハート形の尻尾の先が、くるくると円を描くように回っている。「これ実は、オレが置いたんだぜ、ここに」
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