02. 片翼の印

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「――リー! シェリー!」 自分の名前を呼ぶ慣れ親しんだ声に気付いてゆっくり目を開けると、父と母の顔が映った。 ……まぁ大変、二人とも心配そうな顔ね。 「おはよう……お父様、お母様」 呑気にそう言うと、母・セイラは子供が泣くようにクシャッと表情を歪めた。 「『おはよう』じゃないわよ……。もうシェリーったら、心配したのよ」 セイラにそう言われて思い出す。 木の下でユリウスと一緒にいる時に胸が痛くなったのだった。 そして記憶がプツンと途切れていて、気が付けばここは王城の客間か何かだろうか。自分の家でないことは確かだ。 「ユリウスは?」 「とても心配していたわ。殿下がすぐに医官を呼んでくださったのよ」 「そう……後でお礼を言わなくちゃ」 優しくて気弱なユリウスのことだ、とても驚いてショックを受けているに違いない。 それにしても、あのとてつもない胸の痛みは何だったのだろう。今は治っている。 するとセイラがハァッと短く息を吐いて顔を手で覆う。 「もうっ……医官は『食べすぎで腹痛を起こしたのでしょう。問題ありません』っておっしゃってたわよ」 「えっ!?」 「シェリーったら……朝もたくさん食べたのに、クッキーまでたくさん食べるからそうなるのよ」 「えぇぇぇ~、だって美味しかったんだもん」 「しばらくお菓子はダメね」 「待って、誕生日に約束したリンゴとカスタードのタルトは?」 毎年誕生日には、シェリルの大好物のタルトをセイラが焼いてくれるのだ。 するとセイラがじっとりとした視線をシェリルに向ける。 「それまでお菓子は禁止よ」 「そんなぁ! 誕生日までまだ10日もあるのに!」 「我慢なさい」 しょんぼりと俯きつつ、これから10日もの間、クッキーもマドレーヌも食べられないんだと思うと気が塞いでならない。 それにしても…… (食べすぎの腹痛で、胸が焼けるように痛くなるものなの?) シェリルは違和感を感じつつも、お菓子禁止令がショックで項垂れたのだった。 その後屋敷に戻ると、鳥かごにいるはずのキュイの姿が消えていた。鳥かごの扉も部屋の窓も閉まっているのに突然いなくなってしまった大切な友達。 「キュイ……どこにいってしまったの?」 ユリウスには心配をかけるし、お菓子は食べられないし、キュイはいなくなるし……。シェリルの心はトリプルパンチで沈むばかりだ。 主をなくした鳥かごは妙に物寂しく見え、指でツンと突いた鳥かごの扉はギギッと錆びついた音を鳴らした。 (さすがに落ち込むわ……) ―――――――― 「ねぇお母様、お父様がとても忙しそうね。何かあったの?」 その日、夜になっても姿の見えないブラッドのことが気になってシェリルが問うと、セイラは少しだけ不安そうに微笑んだ。 「えぇ、そうね……とても大変なことが起きているのよ。この国の女神様とも言われる聖女様が亡くなったの」 「聖女様って、『聖女伝説』の人?」 「そう。お話に出てくる聖女様は初代の方。今はもう何代目になるのかしら……。今の聖女様も聖なる力を秘めている立派な方だったから、そんな尊い方をなくして国中が大騒ぎなの」 「へーえー……」 「もうすぐ封印の儀式を行うはずだったのだけれど、まだ30歳を過ぎたばかりでお元気だった聖女様が急に亡くなられたから……儀式はどうなってしまうんだと、みんな不安になっているのよ」 昔から国に伝わる『聖女伝説』。 王城のずっと東の森の奥、立入禁止区域の中にある神殿。その神殿を封印する聖なる力を秘めていると言われているのが聖女だ。 初代聖女は不思議な力を操ってこの国に幸福と富をもたらしたことから、この国の守護を司る女神とされている。そしてその力は何代にも続く聖女たちに受け継がれているらしい。 ただ、東の神殿の辺りには魔物が出没することから、その立入禁止区域には決して近づいてはならないと聞き飽きるほど言われてこの国の子どもは育つ。 だからシェリルも実物の神殿を見たことはないし、近づいたこともない。 「お母様、その神殿には何かいるの?」 「それは私にもわからないの。でもずっと昔に最初の聖女様が、この国に現れた魔物を聖なる力で封印なさったと伝えられていて……封印っていうくらいだから、恐ろしい魔物はまだ中にいるのかもしれないわね」 大人ですらも近づくことが禁じられているその神殿は、限られた人しかその実を知らない謎の多い場所とされている。 「恐ろしい魔物? 聖女様がいなかったら、魔物はまた恐ろしいことをするの?」 怖くなってシェリルが自らの腕で身を包むと、セイラがそばに来て抱きしめてくれた。 「大丈夫よ。聖女様が亡くなると、またすぐに次の聖女様が現れるって言われてるから、きっとすぐに現れるわ」 包み込むように抱きしめてもらうと、ずいぶん怖さが和らいだ。 いずれユリウスが統べることになるこの国。魔物の暴れる恐ろしい国となってはユリウスが大変な思いをするだろう。そんな怖い国にはなってほしくないとセイラもシェリルも思うのだ。 「そう……それなら安心かな」 「早く次の聖女様が現れて、魔物に怯えずに済む平穏な毎日に戻ってほしいものだわ。みんなそう思って聖女様を待ち侘びているのよ」 セイラが抱きしめてくれると腕が震えているのがわかる。きっと怯えの気持ちの表れなのだろう。 「お母様、大丈夫。私がそばにいるから心配しないで」 そう言ってセイラを抱きしめ返すと、セイラはフッと笑う。 「シェリー……あなたって子は……」 ギュッと力をこめるセイラの腕の中で、シェリルは近くの窓から夜空の星を見上げて願う。 ……早く現れて、聖女様。お母様を安心させてあげたいの。 ―――――――― その後、シェリルが湯浴みを済ませると―― 「あら、シェリルお嬢様……こちら、どこかにぶつけましたか?」 「えっ?」 世話をしてくれている侍女のマチネに示された胸の真ん中からやや左側の位置。小さく薄っすらと痣のようなものができていた。 「覚えはないけど、気付かないうちにぶつけたのかも……」 えへへ、と笑ってごまかすと、マチネはクスッと笑う。 「まぁ、お転婆なところもかわいらしいですわ」 「もう、マチネったら。お転婆もかわいらしいもあまり嬉しくないわ」 シェリルが不満げに口を尖らせると、マチネは「そうでしたね」とからかうようにクスクス笑う。 そしてその痣は翌日目が覚めるとずいぶん濃くなっており、それはまるで片翼のような形に見えた。
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