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シェリルは焦りつつ、しどろもどろになりながら問う。
「え、えっと……ユリウスは何の本を読んでいるの?」
落ち着け、落ち着け……フゥーッと密かに息を吐いて淑女の笑みを作り直す。
「あぁ、これは……貿易史を勉強してるんだ」
隣に座っておずおずと覗き込むと、細かい文字と共に宝石のイラストが目に入った。
「とても難しそうな本ね」
ルミナリア王国は様々な鉱物が採れる国で、宝石などの装飾品の元になる鉱物も多数、他国と貿易している。
「そうだね。でも難しくても、僕はいろんなことを勉強してたくさんの知識を身につけて、この国をもっと豊かにしたいんだ」
勉強熱心なユリウスは、きっと将来立派な国王になるのだろう。その時に彼のすぐそばにいるのは自分でありたい。そう願っている。
『将来は僕のお姫様に』――4歳の時に言われたその言葉を母・セイラに伝えた時に教えてくれた。「それはね、殿下と結婚して子供を産んで、国王になられる殿下を王妃として支えるということなのよ」と。
だからその時からそれがシェリルの将来の夢になったのだ。
「さすがユリウスね。ユリウスならきっと国を豊かにできるわ。だってそんなに難しい本を読んでるのだもの」
そう言ったらユリウスは嬉しそうに微笑んだ。
「うん、ありがとう、シェリー」
よしよし、ほんの少しは挽回できたかしら? とシェリルの心中は失態をかき消すことに必死だ。
それにしても、ユリウスを見ていると二つ年上の人なのに、ついつい頭をヨシヨシとしたい衝動に駆られる。王子様相手にそんなことはできずにグッと堪えてはいるわけだが、ユリウスの笑顔がかわいらしくて口元が緩みそうになることが度々あるのだ。
そして今も相変わらず笑顔が眩しくて、ついつい頬がユルユルに……いやいや、だらしない顔なんて将来の夫に見せてはいけない。口角をキュッと上げて、キリッと表情と姿勢を整える。
「そうだわユリウス、今日も――」
「ウワッ!」
話し始めようとしたシェリルのすぐ目の前を、ブゥンと黒い何かが横切る。そしてそれは周回した後、ユリウスの半ズボンに止まった。大きなカブトムシだった。
「まぁ、元気な子ね」
ブリーチズの上を縦横無尽に走り回るカブトムシを見てシェリルがフフフッと微笑んで見ていると、ユリウスからは何も言葉が返ってこない。
不思議に思ってチラリと隣を見ると、ユリウスの顔は大いに引きつっていた。
「ユリウス……?」
あらあら、見たことないほど崩れた顔をしているわ、なんて呑気にユリウスを眺めていると、ユリウスはシェリルのドレスの二の腕部分をギュッと掴む。
「ぼ、僕……虫は苦手なんだ……気持ち悪……ッ……」
「……え?」
そうなの? 初めて出会った10年前は蛇をやっつけてくれたくらい勇敢な人だったから、その反応は正直言って意外だ。
……まぁ、蛇はよくても虫はダメということもあるわよね。うんうん、とシェリルは一人頷き納得。
その間にもユリウスは「ヒッ!」と悲鳴を上げて慄く。皺にならんばかりにシェリルのドレスの袖を掴む様は、まさに助けを求めて縋りつくかのようだ。
どうやら相当苦手らしい。
そこでシェリルはハッとする。
(これはもしや……そうよ、今こそ淑女教育の成果を見せる時だわ! 私、教わったの……淑女たるもの、影ながら粛々と相手を支えるべし、とね)
正直言って虫は、見てるのはよくても触るのはそう得意ではない。でもそんなことを言ってる場合ではない。
将来の夫のピンチ! 支えるのよ、シェリル!
そう自分を必死に鼓舞してスクッと立ち上がる。
「ユリウス、目を瞑って?」
「えっ!? で、でも……」
「大丈夫。さぁ、目を瞑っていて?」
「う、うん……」
ユリウスが迷いを見せつつも目をギュッと瞑るのを確認すると――
(さぁシェリル、今こそ陰ながら粛々と支える時よ! いざ!)
意を決して、シェリルはむんずとカブトムシを掴んだ。
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