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結局綾乃は入院ということになった。
何が原因か不明だが意識が戻らないことには退院しようがない。
綾乃は様々な管を体に差し込まれたまま横たわっていた。
綾乃は戻らない意識の中で、夢を見ていた。
夢というよりも過去の思い出と願望が非現実的に組み合わされたものに近かった。
「亀になれよ、入江田。」
「本当だ、すげぇ。女のあそこってこうなってんだ。」
「入江田、もっとケツ上げろよ。」
三人組から自分がいじめを受けているシーンだ。
全裸のまま膝を両手と両膝を地に着けて、三人組に向かって臀部を思い切り上げて性器と肛門を見せつけている自分を第三者の視界で眺めていた。
三人組はまるで初めて見た昆虫でも観察するように綾乃の性器と肛門に見入っている。
幼い好奇心に溢れたその表情にはまるで性的な喜びは無かった。
綾乃にとっては見慣れた顔ぶれだった。
しかし、強い口調で命令してくる「天くん」の顔だけ黒く塗りつぶされていて顔を確認することができない。
まるで上手く絵を描けなかった子どもが癇癪を起こして鉛筆でぐしゃぐしゃに書き消したような塗りつぶし方だ。
「顔をこっち向けろ。」
夢の中の綾乃も現実も「天くん」の命令には絶対服従だった。
綾乃は歯を食いしばり、顔を後ろにいる三人組に見せた。
『天くん…。』
「天くん」が屈辱的な体勢をしている綾乃に近付いてくる。
綾乃の息が荒くなる。
本来であればこれから綾乃の性器に激痛が走ることになる。
その手順が記憶のそれそのままだった。
しかし、それはよくあるパターンによって頓挫した。
綾乃の深い闇の中ではその実、その痛みに期待していたことを目覚めさせるかのような頓挫の仕方だった。
自分自身に目覚めるのと同じように綾乃は薄っすらと目を開けていく。
「て、天くん…。」
か細い声が病室に響く。
その時である。
綾乃の視界に、夢の中ではしっかりと塗りつぶされていた「天くん」の顔が今度ははっきりと映し出された。
明らかに長身の男が綾乃を見下ろし、なんとも悲しげな表情で綾乃の右側の枕元に立っていた。
「天くん…私…」
綾乃は待ち焦がれていたかのような表情だ。
目を細め、疲れ果てたように口を開いて、管だらけの右腕を上げた。
それを見ていた「天くん」は涙を流しながら首を横に振り、まるで霧吹きに吐き出された水がゆらゆらと地に落ちるように頭からその姿を消した。
綾乃は追うこともできずにぱたりと右腕を下ろした。
だが綾乃の顔は喜びに満ちていた。
喜びの涙に顔を濡らした。
「私…今はっきり…わかったかも…」
綾乃は一人かすれた声で呟いた。
「私…天くんが…好き…。へへ、馬鹿みたいよね…。あんな酷いことされたのに…。でも何でだろ…天くんが好き、これだけははっきり
わかった…。いじめっ子の…天くんが好き…。こんなの馬鹿みたいだけどね…。」
綾乃が気が付いた感情は好意だった。
自分の好意という回路に異常があるのは綾乃自身は理解していた。
ただぼんやりとした記憶が、死んだはずの「天くん」が枕元に立っていたという非現実的な事象がなんとなく繋がった気がしたのだ。
今まで自分を守っていたものが「天くん」であり、非現実的な存在であり、しかしその非現実的な存在に心をときめかせているというのが自分で理解ができたのだ。
徐々に繋がり始めたものに、ある種宗教的な快楽が綾乃の心に芽吹き始める。
「天くんは…ここにいる…」
綾乃はその快楽に微笑み、まどろみ始めた。
そして綾乃は静かに、再び眠りに落ちた。
・・・
「入江田、天くんて誰だ?」
翌日の午後、天野が見舞いに訪れていた。
わざわざ半日年休を取り、見舞いに来ていたのだ。
綾乃は午前五時、目を覚ましたところを夜勤の看護師が見つけ、午前中に医師の診察やら検査を終えて昼食を終えたところに天野との面会が待っていたのだった。
天野は綾乃の体調を気遣う言葉を言う前に、疑問をぶつけた。
「天くん…。私を、私をね?その…昔いじめてた悪い子。何で天野さんが天くん知っているの?」
綾乃は電動リクライニングベッドをリモコンで操作して上体を起こした。
「お前が、うわ言を言ってたからだよ。気になってな。別に言いたくなきゃ言わなくてもよかったんだが…。」
天野は「いじめていた」というワードに違和感を覚えながら、綾乃に「天くん」の意味を聞いたことを少し後悔した。
自分を勝手に嫌な雰囲気に染め上げた天野は後頭部を軽くかいた。
「いやだぁ恥ずかし…なんか変なこと私言ってなかったかな…。」
「…いや…。」
天野は察しがよかった。
これに触れてはならないし、真実を伝えてはならないというのを綾乃の顔を見て何かを察したのだ。
「とにかく、さっさと退院して仕事に戻ってくれよ。お前が抜けると本当にきつい。」
天野はわざとらしく疲れ果てた表情を作り、疲れ果てたため息を吐いた。
「早くて明日退院だってさ。午前中の検査結果次第だけどね。すぐにばりばり仕事するからさ。」
綾乃は天野の顔を見上げて微笑んだ。
日光が綾乃の頬を照らす。
神々しいと表現しても差し支えないその表情は天野の心をえぐった。
『なんとなく、こいつはやばいかもしれん…。』
天野は綾乃のその神々しい表情をわざと強く、荒く、睨みつけ、無言で頷き病室から出て行った。
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