わたしのこと

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広い家の中を通り、綾乃は美登利の部屋に入った。 綾乃は異世界に足を踏み入れたような感覚に陥った。 『友達の部屋か…。なんだか…凄い懐かしい感じがする…。』 豪華な部屋を想像していたが、実際はシンプルで、冷たさすら感じるほど殺風景だった。 しかし、綾乃に異世界を感じさせるには十分すぎる「友達の家」であり、「友達の部屋」だった。 しかし、その嬉しい異世界を感じたのは数秒だった。 すぐにその不自然さと妙にちぐはぐな部屋の様子に気が付き、心がざわめき始めた。 大きな家の中だというのに、美登利の部屋は八畳ほどしかなかった。 小学校から使っていた様子の使い込まれた学習机が白い壁に沿って設置されていた。 その机上には何も置かれていないのが、不思議さと不気味さを醸し出していた。 部屋の窓際には明るい色の木枠のベッドがある。 そのベッドに乱れた様子の掛け布団が置かれているのが実に不気味だ。 部屋の中央には黄色一色のラグマットが敷かれており、足の短いガラス製の小さなティーテーブルが置かれていた。 ラグマットは綺麗に清掃されているが、ティーテーブルには少し離れた位置に立ち尽くす綾乃の目から見てもわかる塵芥が無数の星のように積もっていた。 フローリングの床は輝くほど綺麗に清掃されている。 綺麗な箇所はあるのに乱れているところは乱れているというアンマッチさが、狂気に侵食された芸術家が生み出した彫刻のような美しさを感じさせた。 『な、何か…よくわかんないけど…友達が来るってなったら私…めちゃくちゃ掃除して…めちゃくちゃ片付けてたけど…。美登利ちゃん…そんな気にしないタイプかな?私もあんま気にはしないけど…。』 「座って?はい、これ、クッション。今お茶持ってくるよ。オレンジジュースもあるんだけど。どうする?」 美登利は大きなクッションを観音開きのクローゼットから出して綾乃に渡した。 『ま、真っ赤な…クッション…。』 綾乃は美登利に激しい違和感を感じながらも、素直にそのクッションを受け取りラグマットに置いた。 「あ、ありがとう。お茶がいいかな。」 「うん、分かった。座って待ってて。」 美登利はニッと大きな口を横に開いて笑うと部屋から出て行った。 「あ、いい匂い…。」 綾乃はクッションに腰を下ろすと、ふわりと優しい花のような香りを感じた。 その香りは綾乃を安心させた。 「誰だってこういうとこあるよね。私だって…。」 このような香りがするものに普段から触れている人間が、狂っているわけがないと綾乃は確信していた。 狂っていたり、罪を犯すような人間は穢れたものであり、それは実体においても汚れた存在であると勝手な思い込みをしていたのである。 「はぁ…いい匂い…落ち着く…。」 「そう、ありがとう。」 綾乃は思い切り体を跳ね上げて、ドアの方を向いた。 コップを二つ乗せた光沢のある上品なお盆を持ち、足を揃えて立ち、綾乃を満面の笑みで見下ろす美登利がそこにいた。 「ハァ!ハァ!び、び、びっくりしたぁ!ハハハハ…。い、いつの間に来たの!?」 綾乃は精一杯の作り笑いで、抜けかけた腰を保たせようとした。 「そんなびっくりしないでよぉ。ホラ、お茶持って来たよ。」 美登利は何も気にする様子もなく、綾乃の向かいに移動して汚れたティーテーブルにお盆を置いた。 「あ、あ、ありが…」 「ねぇ…綾乃ちゃん、天くんを殺したのは綾乃ちゃんでしょ?」 お盆に手を伸ばした綾乃はそのまま体が固まった。 時間が停止する。 空想の世界で用いられる表現としか考えてもみなかった現象が己の身に起きた。 まずは、「天」という言葉で汗が吹き出てきた。 その後に、発汗とは正反対の凍りつくような寒気に襲われ、文字通り凍りついたように動けなくなった。 「あ…う…あぅあ…」 綾乃はまるで飢えた鯉のように口をパクパクと動かした。 何かを言わなければならないという思いに反して全く言葉が出てこないのだ。 やがて、水気を失ったその口はパクパクという軽快な音からニチニチと歯切れの悪い音へと変わっていく。 「天くんを殺したのは綾乃ちゃんでしょ?」 綾乃はかろうじて動く目を美登利の方へ向けた。 表情は変わらず満面の笑みだ。 綾乃は顔全体と頸動脈に引きちぎれるような力を込めて、まるで自分の声帯を口から吐き出すように声を出した。 こめかみが脈打つのを感じながら綾乃は言った。 「な…に…を言ってる…?私…何も…」 「本当に?何も知らないの?綾乃ちゃん。」 一蹴された。 微細な血管は破裂して、一部出血しているかと感じる、鉄の味を舌のつけ根に感じながらひねり出した声を一瞬でねじ伏せられた。 綾乃は憤りを武器にしてもう一度声を出した。 すると栓が抜けたように言葉が次々と出てきた。 何も考えていない上辺のさらに上澄みではなく、間違いなく深く鋭い自分の真実だった。 目の前がチカチカと星が煌めいた。 恐らく、言葉が止むのがもう少し遅ければ綾乃の目は飛び出し、床に毬が弾むような音を立て、落ちていただろう。 「ふざけたことを言わないで!殺す!?天くんを殺す!?私の命や私の時間を何だと思ってんの!?逆だ!!逆だよ!!逆ぅう!!私が殺されそうになったんだ!!それを私が殺すだってぇえええ!!??切り落とした首をまたくっつけてまた切り落とすのかぁ!?お前のしてることとぉ!!言ってることぉは!!それと同じことだ!!」 綾乃は口の端から出血するほど大きな口を開けて美登利の真正面から吐き捨てた。
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