冤罪悪役令息は甘い罠から逃げられない

12/20
前へ
/22ページ
次へ
 遠慮がちにリチャードが訊いてきた。 「え……」  自分の貧相な体を見られることに抵抗がないと言えば嘘になるが、男同士だ。しかも相手は親友のリチャードだ。乙女のように恥じらうのもおかしな話である。  イアンは浴槽に掛けていたタオルで股間を隠し「どうぞ」と招き入れた。  リチャードはそっと衝立から顔をのぞかせた。イアンと目が合うと、やや緊張した面持ちにほっと安堵の表情を浮かべた。 「よかった、顔色がだいぶいい。ここのところずっと病人のような顔色の悪さだったから」  冗談っぽく言いながら、リチャードは浴槽の傍に膝をついて、イアンの顔を柔らかな眼差しで見つめた。 「それにしてもひどい隈だ。少しはよくなるといいんだけど」  そう言って、目元に手を伸ばして親指の腹で隈を拭う。親が子どもにするような慈しみに満ちた手つきに、湯の温もりとは違う心地よさを覚えた。 「最近、あまり眠れていないだろう?」 「うん……」  心配をかけているのが申し訳なく目を伏せて答えると、すかさず優しい声でリチャードが言葉を続けた。 「別に咎めているわけじゃない。こんな状況下だ。眠れないのは当然だよ。これで今夜は少しでも眠れるといいんだけど」  イアンの目元から手を離すと、そのまま湯に手をつけゆるりとかき混ぜた。湯の表面の揺らぎが胸元を撫でる。その淡く緩やかな感触が心地よく、イアンはそっと目を閉じた。 「……ありがとう。いろいろと気にかけてくれて。今夜はぐっすり眠れそうな気がするよ」  それは心配するリチャードを気遣っての言葉ではなく、本心からの言葉だった。 「それにしても、いい香りだね。さっき入れていたのは花の精油?」 「そうだよ。ジャスミンの精油だ。僕の好きな香りなんだ。気に入ってくれたようで嬉しいよ」  そう言って片手で軽く湯をすくうと、それをイアンの肩に優しくかけた。甘い匂いがより濃く香ったような気がした。   「ジャスミンの香りには、心を解きほぐして前向きな気持ちにしてくれる効果があるらしいんだ。……もっとも、君にとっての朗報を持ってくることが何より気持ちを前向きにするんだろうけど。すまない、こんなものしか持ってこられなくて」  リチャードが自虐的な笑みを浮かべ謝る。  そんなことはない、と言おうとしたところで「あっ、そうだ。これを忘れてた」とリチャードが遮るようにして言って立ち上がった。 「僕の名誉のために言っておくけど、入浴の途中で入ってきたのは決して君の裸が見たかったわけじゃない。これを入れ忘れていたんだ」  湿っぽさを霧散させるようにことさらおどけるように言って、ズボンのポケットからハンカチを取り出した。  いつもきれいに畳まれているハンカチが、この時は何かをふわりと包むように丸まっていた。  何が入っているか見当もつかず不思議そうに見上げるイアンに、リチャードは微笑みを向けてから、ハンカチを開いた。  パラパラと上から落ちてきたのは、クローバーだった。湯面を軽く覆うほどの量にイアンは目を見開いた。 「来る途中で見つけたんだ。もしかしたら、四つ葉のクローバーもあるかもしれない。探してみて」  リチャードは腰を下ろすと、浴槽の縁に両腕を重ねてそこに顔をのせて言った。  いつもなら、また子供扱いしてと、わざとむくれるところだが、こちらに向けられる眼差しがあまりにも柔らかで、少しのからかいも含んでいなかったので、イアンは言われるがまま湯に浮かぶクローバーに目を凝らした。
/22ページ

最初のコメントを投稿しよう!

97人が本棚に入れています
本棚に追加