冤罪悪役令息は甘い罠から逃げられない

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 優しく気遣わしげなその声には、聞き覚えがあった。そっと目を開けると、扉の向こうにはイアンの親友、リチャード・ブラットリーが立っていた。 「リチャード……?」  思いがけない人物に、イアンは目を見開いた。  リチャードは優しく微笑みながら頷いて、後ろ手に扉を閉めた。 「すまない、怖がらせてしまったね」  傍まで来ると、リチャードは片膝をついてイアンの目元を指先で拭った。そこで初めて、自分が恐怖のあまり涙を流していたことに気づいた。  久しぶりに触れた人の温もりと優しさに、涙腺がさらに緩んで、さらに涙が溢れ出た。 「リチャード……っ」 「ふふっ、さっきから僕の名前を呼んでばかりだ」  視界が涙で滲んでも、その柔らかな声からいつもの穏やかで上品な笑みが容易に想像できた。  イアンは安堵のあまり、リチャードの胸に勢いよく抱きついた。  突然のことにもかかわらずリチャードはよろめくことなく、イアンを力強く抱き止めた。  いろいろと聞きたいことや言いたいことがあるのに、嗚咽が止まらず、呼吸すらままならない。  そんな子どものように泣きじゃくるイアンの背中を、リチャードはいつまでも優しく撫で続けてくれた。    イアンの嗚咽が落ち着くと、二人はベッドに移動し腰を掛けた。  そこでリチャードは牢からここまで連れてきた経緯を話した。  ブラットリー公爵家の長男であるリチャードは、父の権限と金を使い、牢の管轄の役人と取り引きをして、牢屋からここに連れ出してくれたということだ。  もちろん、役人程度の力では聖女を強姦したという罪を帳消しにできるわけはなく、表向きにはイアンが牢から逃げ出したということになっている。 「ちなみにここは……?」  イアンは部屋を見渡しながら訊いた。 「ここは、ブラッドリー家所有の森にある小屋だ。昔は森番が住んでいたらしいけど、今はここから離れたところにある新しい小屋の方にいるんだ。使われていたのは随分前だから、ここの存在を知っているのはブラットリー家の人間でも少ない。だからここに来る人間なんて滅多にいないんだ。それに、野生の獣が中に入らないように高い場所に窓があったりという工夫は、獣だけでなく人間も寄せつけない。居心地は決していいとは言えないかもしれないけど、身を隠すにはうってつけの場所だろう?」 「確かに」  先ほどまで不安と恐怖を与えるばかりだった、固く閉ざされた鉄の扉やまるで手が届かない窓が、途端に頼もしい味方に思えた。 「まぁでも、たとえ身を隠すに最適な場所だとしても、急にこんなところに閉じ込められて怖かっただろう。僕が勝手なことをしたせいで君を怖がらせてすまなかった」  申し訳なさそうに謝られ、イアンは激しく首を横に振った。 「何を言ってるんだっ、むしろ感謝したいくらいだよ」 「それならよかった」  リチャードはほっと頬を緩めた。 「できることなら君にも事前に知らせておきたかったけど、牢の中の君に伝えるのは難しかったし、もし伝えることができても、伝える過程で君を連れ出す計画が漏れる可能性が高まる。何を置いてもまずは、君を確実にあの牢から連れ出すことを優先したかったんだ。……何が何でも、君を助けたかったんだ」    心から漏れ出たような痛切な声で言って、ぎゅっ、とイアンの手を両手で包み込むと、そのまま拳ごと自身の額に押し当てた。 「……間に合ってよかった。本当に、よかった……っ」
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