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もしこの仮説が正しいとすれば、自分は処刑から逃れることはできない。それは、絶望以外の何ものでもなかった。
「何か心当たりがあるのか?」
顔を青くして震えるイアンから何かを察したのか、肩に優しく手を置いて、リチャードが再び訊く。
その手の頼もしい温もりに思わず口を開きかけたが、寸前でぐっと堪えた。
この世界が前世で読んだ小説の物語などと言い出したら、処刑の恐怖から頭がおかしくなったと思われるかもしれない。そうとまで思われなくとも、信じてもらえる可能性は極めて低いだろう。
イアンは本当の心当たりは喉の奥に飲み込んで、代わりに自分がこの事件について覚えた違和感を話した。
「心当たりってわけじゃないんだけど……、ただ、聖女様が襲われた現場に俺の万年筆が落ちていたり、犯人を俺だと証言したり……、俺に覚えのない証拠や証言ばかりが出てきて、なんだか誰かが俺をはめようとしているような気がしてならないんだ」
その誰かはこの世界そのものかも知れないが……、という言葉はもちろん口にしなかった。
リチャードはこの意見について強く同意を示した。
「実は僕もそこが引っ掛かっていたんだ。もし、誰かがイアンを陥れようとしているなら、万年筆は事前に盗んでおけば現場に落とすことは可能だし、聖女の証言もその誰かが指示して言わせた、もしくは聖女自身の嘘か……。いずれにせよ、その辺りをもっと突き詰めれば、イアンの無実を証明できるかもしれない」
そう言うと、リチャードは真っ直ぐイアンを見つめた。
「不安かもしれないけど、僕が必ず真犯人を見つけるから、ここでしばらく身を隠していてほしい。もちろん水や食料、必要なものがあれば他にも、毎日持ってくる。だから僕にこの件、預けてくれないか?」
誠実で力強い眼差しを真っ直ぐ向けられる。それは、絶望で染まりきっていた心に希望の光が差し込んだ瞬間だった。
イアンは瞳を潤ませながら、熱い塊が喉元にこみ上げてうまく言葉にできない代わりに、何度も頷き返した。
そんなイアンを見て、リチャードは微笑ましげに目を細めた。
「なんだか弟の小さい頃を思い出すよ。泣きそうな時、嗚咽が漏れないよう口を固く閉じて、首を縦か横に振るばかりだった」
「……そこまで子どもっぽくない」
バツの悪さから、イアンは鼻を軽くすすって拗ねるように言った。
「でも、本当にありがとう。嬉しいよ。刑まで確定したのに、俺の無実を信じてくれて……」
「当たり前だよ。イアンが女性を襲うなんてそんな卑劣な真似をするわけがない。……それに、君にはディアナがいるからね」
耳元でいたずらっぽく囁かれ、イアンは顔を赤らめた。
ディアナ・リーガンはイアンのクラスメイトであり、数ヶ月前に交際を始めた恋人でもある。
最近ようやくキスをしたくらいの清らかな関係だが、イアンとしては彼女との結婚を真剣に考えていたし、彼女と二人の将来の話をすることも多々あった。それほどまで、ディアナとは深く愛し合っていた。
「彼女に首ったけの君が他の女性に目移りするはずがない」
「悪かったな、首ったけで」
からかって笑うリチャードに唇を尖らせつつも、その朗らかな笑いはこの暗い部屋で唯一の希望のようにきらめいて、イアンの心を温かく照らした。
「すねないでくれよ。大丈夫、きっと君はすぐに無罪となって、愛する彼女のもとへ戻れるよ」
そう言って、リチャードは優しくイアンを抱きしめた。
事態の深刻さに反した軽い口調はあえてなのだろう。
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