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「ごめん、いろいろ気を遣わせてしまったみたいで。でも、大丈夫だから。確かにショックだけど、でも、この状況で俺のことを信じて待ってほしいっていうのはあまりに身勝手だよな。家が大変ならなおさらだ」
イアンはリチャードを心配させないよう、そして自分に言い聞かせるようにして、努めて明るい調子で言った。
「ディアナは家族思いのいい子だから、きっと親に泣きつかれて断れなかったんだろうなぁ。仮に俺の無実が証明されたとしても、男爵家より侯爵家に嫁がせたいって親としては当然思うだろうし」
自虐的に言いながら空笑いする。
そんなイアンをリチャードは痛ましげな表情で見つめた。その憐憫の眼差しから逃れるように、イアンはすくっと立ち上がった。
その拍子に、手から紙の束が零れて床に散らばった。
取るに足らないほんの些細なアクシデントだ。なのに、追い打ちをかけられたような気持ちになって、無性に泣きたくなった。
イアンは涙をぐっと堪えて、床にしゃがみ紙を掻き集めた。
「うわっ、ちょっと、見ないでくれよ。結構、小っ恥ずかしいことを書いたんだ。見られたら恥ずかしくて死にそ――」
おどけて言いながら紙を拾うイアンの手を、リチャードの手が掴む。
床から視線を上げると、隣に膝をついてリチャードがこちらを見つめていた。
イアンよりよっぽど辛そうに顔を歪めるリチャードに、目を見張る。
リチャードは勢いよく手を引き、イアンを抱きしめた。いつも仄かに香る上品な香水の匂いが鼻腔の奥にまで迫りくる距離に戸惑う。
「リチャード……?」
顔を上げてその表情を見ようとしたが、さらに強く抱き込まれ動きは封じられた。
「……イアン、無理しなくていいから。ここには僕しかいない。辛かったら、泣いていいんだよ」
耳の傍でさとすように囁く。その声に哀れみの色はなく、ともすればリチャードの方こそ心の傷を抱えているような痛切さがあった。
気づけば、目から涙がぽろぽろと溢れ出ていた。
イアンはリチャードの胸に顔をうずめて、泣きじゃくった。
「うっ、う……、ほんとは、ん……っ、まって、ほしかった……っ、なんでっ、うぅ……っ、おれ、なんで――」
「うん、そうだよな、待ってほしかったよな」
嗚咽にまみれて聞き取りにくいだろうに、リチャードは真摯に耳を傾け、時には優しい相槌を打ってくれさえした。
その優しさが心に染みて、より一層、嗚咽の勢いが増す。
イアンは縋り付くようにリチャードの背に腕を回して、心の傷から溢れ出る血を外へ流すように、いつまでもいつまでも泣き続けた。
気づけば、イアンはベッドに横になっており、天井近くの窓からは朝日が降り注いでいた。
部屋にはリチャードの姿はなかった。その代わりに、ベッドの脇に置き手紙が残されていた。
内容は、挨拶もなしに帰ることへの詫びと、イアンが好きな作家が近々新しい本を出すらしいという情報だけで、特に昨晩のことには触れていなかった。
昨日は随分と恥ずかしい姿をさらしてしまった、とイアンは泣きすぎて腫れた目元をこすりながら、苦い気持ちで溜め息をついた。
ふと、床に散らばった手紙のことを思い出して、ベッドの上から床を見回す。しかし、紙は一枚も落ちていなかった。
イアンは首を傾げた。
もしかするとリチャードが集めて、どこかにまとめて置いてくれているのだろうかと思ったが、部屋のどこにも見当たらなかった。
結局、どこを探してもディアナへの思いを綴った手紙は見つからなかった。
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