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三章
森を抜けた先に広がるその遺跡地帯は、一言で表すなら〝異様〟だった。
ところどころ、陽光によって大理石のように艶やかな輝きを放つ地面と、その上に転がっている銀の杯。
時折視界の端に映る壁画らしきモノから、数百年、否、それよりも以前にこの地で一つの文明が築かれ、栄華を誇っていたのだろうことが窺える一方、そういった痕跡から推定できる時代と劣化状態が一致せず、まるで昨日突然滅んだかのような景観だ。
学者であれば知的好奇心よりも得体の知れない恐怖心を抱きかねないものだが、
「……?」
不思議なことに、少年は望郷に似た懐かしさを僅かに感じ、足は止めないもののどことなく視線はそわついたように動いている。
一休み出来そうな木陰は見渡した限り無いが、幸いにも倒壊せず等間隔に並ぶ巨大な柱と天井が日除けになりそうで、じっとりと滲んだ汗が首筋を伝うのを、不快そうに薄い衣の袖で拭いながら少年は陰へ避難した。
燦々と照り付ける太陽から一時的とはいえ逃れることが出来た少年は、奥に段差らしきものがあることに気付き歩いて行く。
ソレは、十段ほどの階段だった。
ところどころ、ヒビが入っていたり端が欠けていたりするが、登っても崩れる心配はないように見える。
「…………」
なんとなく頂上に何があるのか気になり、子どもが登るには少し高い段差に足をかけて登ると、恐らく地面と同じ石材で造られた正方形の台座と、その後ろには一面に描かれた壁画があった。
何かの儀式をしているのか、ここにある台座とその上に置かれた四角いものを取り囲むように多くの人々が膝を折り、彼等の遥か頭上、天から落ちる二つの生き物が描かれているようだが、これが何を意味するのか、読み取ることが出来ない少年にとってはただの絵でしかない。
台座の傍に腰を下ろし、身を預けるように凭れかかった少年は一息吐いて妖精の言葉を思い出した。
〝あなたの宝物を探しに行ってらっしゃい〟
「…………」
宝物とは一体何のことなのだろうか。
どれだけ考えてみても少年には思い当たるものなどなく、結局キボウが何なのか、目指すべき場所が何処なのかも解らないままここにいる。
ただ闇雲に歩くだけでは何も得られないかもしれない──何となく、そう思うがこれからどうすればいいか思案するには消耗していた。
前に、兎に角前にと内なる声が急かすように先へ進ませようとするが、その声を無視して目を伏せる。
意識を手離す直前、何かが羽ばたく音が聞こえた気がした。
「────、──────」
物語を紡ぐような音の羅列。
聞き馴染みのないソレの意味が気になって、薄らと硝子色の瞳を開くと、柔らかく、温かな床──否、何者かの膝上で眠っていた。
驚きで一瞬にして覚醒した少年は、しかし飛び起きることなく様子を窺うように体勢を変えて視線を上に向けると、何者かが紡ぐ音がピタリと止み、
「目覚めたか」
少年よりも色素の薄い銀糸iの隙間から覗く、太陽を映したような二つの金色と目が合った。
頭上には輝く茨の輪が浮かんでおり、背には二対の白い羽を携えている。
森で出逢った妖精とは明らかに違う生き物──天使に興味津々な少年、その様子に気を悪くすることなく、天使は抑揚のない声でまた音を紡いだ。
──神は、世界と匣をお創りになられた。
匣の中にはどんな絶望をも砕く希望が入っていると、神の遣いは仰ったそうな。
旧き伝えを信じる人々は星を詠み、精霊の森を抜け、地平線の果てへ手を伸ばす。
ソレに答える声などなく、無言の祈りを捧げた少女だけが、匣の前に導かれるだろう。
歌の中にキボウという言葉がはっきりと聞こえた少年は、はっとした表情で今度は起き上がると、前のめりで天使の衣を掴んだ。
「どうした」
「……!」
「嗚呼、待て。先にソレを外してやる」
少年の喉元に触れた瞬間、淡い光がソレの指先から広がり、直ぐに収まった。
「何か言ってみろ」
突然そう言われても困る少年は躊躇うように口を微かに動かした後に、
「……ありが、とう?」
たどたどしく礼を告げると、天使は静かに視線を上げて壁画を見た。
「これに覚えはあるか」
少年も壁画を見上げるが、特段何かを感じることはなく首を横に振る。
(やはり、抜け落ちているか)
「嘗て、地上には災厄が降りかかった。それを鎮めてほしいと、匣の中の希望に縋る人間共を描いている」
「……、キボウって、なに?」
「それは誰にとってのものだ」
問いに問いで返されて困惑する少年をよそに、天使は少年が眠る直前まで被っていた花冠を彼の頭頂に返して続けた。
「妖精共が好むこの花には希望の意がある。奴等にとって希望とは美しい花そのものなのだろう。──もう一度訊く。誰にとっての希望が知りたい?」
「……。キボウは、みんなちがうの?」
「違う。広義に解釈するのであれば最良の未来、或いは結末を指すが、個々によって様々な解釈がある」
「それじゃあ、あなたのキボウはなに?」
「……」
その問いには答える気がないのか、黙する天使の様子に何かマズいことを訊いてしまっただろうかと不安になる少年だが、次の問いを口にした。
「このはこはどこにあるの? はこにおねがいすれば、じぶんがだれかおもいだせる?」
「自分が何者か、知りたいか」
「うん」
迷わず頷いた少年を暫しじっと見つめる天使の視線は、慈しみと期待が入り混じっているように思えるが、その理由を少年が知ることはない。
天使は徐に少年を抱き上げると、自身の美しい羽を広げ、天井が開いた頭上へ羽ばたいた。
話すことに夢中になっていて気付かなかったが、三、四時間は眠っていたらしく、空が赤く染まっている。
「きれい」
生まれて初めて夕焼けを目にしたような反応を示す少年の瞳はキラキラと輝いた。
「ほかのいろにもなる?」
「季節や天候、時間帯によって空は変化する。もう少しすれば夜が訪れて、星が瞬くだろう。旅人は星を希望と呼ぶこともある」
「そのほし?ってやつも、キボウになるんだね。ぼくもみれる?」
「今夜は晴れる、よく見えるだろう」
この地の先、小さく見える街の外れを見遣って天使は続けた。
「あそこに匣はある。御前の目指すべきところだ。──匣とは、あくまでも納めるもの。それに願ったところで記憶は取り戻せないが、匣の中に希望が還れば、全て思い出せるだろう」
「キボウはどこにあるの?」
天使は思案するように視線を伏せたが、今度は黙することなく少年の胸元を指先でとん、と指した。
「希望は、ここに」
逆光によって天使の顔は暗く、見えにくいが、初めて表情が和らいだ気配がした。
その意味も、匣の前へ行けば解るだろうかと、教えられた街外れへ視線を移した少年は思考するのだった。
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