四章

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四章

「もう一枚いるか? 遠慮することはない」 「だーかーらー、気持ちはうれしいけどもうお腹いっぱいなんだってば!」 「む……貴様は歳の割に小さすぎる。もっと食うべきだ」  問答無用とばかりにクッキーを口に突っ込んでくる金糸(きんし)の吸血鬼──ブラムの膝上にちょこんと座らされているドーラは、もごもごしながら「どうしてこうなったんだろう……」と遠目で事の経緯を思い返していた。  遡ること、五時間ほど前。  林檎で空腹を満たして少し元気を取り戻したドーラは悪魔と別れたあと、彼に教えられた道を進んでいたが、遺跡地帯を越えて車輪後(しゃりんあと)がついた細い道に出た頃には陽が傾いており、辺りはすっかり薄暗くなっていた。  昨夜までは青年と共に焚火を囲み夜を明かしたが、今夜はドーラ一人で過ごさなければならない。  暗くなっていくにつれて心細さが増していき、旅人や行商人が偶然にも通り掛からないだろうかとしきりに周りを見回すが、夜の生き物たちが物珍しげにドーラを見ている気配だけがあった。 (こんなことなら、遠回りになってもいいからお兄さんといればよかったかなぁ……)  青年は彼女の目的地であるカランとは違う方向にある、この大陸で一、二を争うほど栄えた街へ仕入れにいく用があり、早く匣を見つけたいドーラは一人で行くのは危険だという青年の反対を押し切る形で今朝から別行動をしていたが、今になってそれを悔いるように(うつむ)き、立ち止まってしまった。 (疲れた……ベッドで、なんてぜいたく言わないから、せめてどこか建物の中でねたい……)  ここ数日は荷車の上で休息を取っていたドーラだったが、一人で野宿をしたことがない彼女はホームシックもあいまって、今すぐにでも帰りたい気持ちが湧いてくる。  しかし、責任感の強いドーラは何としてでも匣を見つけ、孤児院の皆を救わなければと自分を奮い立たせるように顔を上げて一歩踏み出した、そのとき。 「……!」  突如(とつじょ)両側の木々がバサバサッと音を立てて揺れ、数匹の蝙蝠(こうもり)が飛び出してきた。 「──我が領地に見知らぬ幼子がいると、ウィリアムが騒ぐので来てみれば。貴様、こんな時間に一人で何をしている」  今夜は満月。  いつの間にか昇っていた月の光によって夕暮れよりも明るく、声の主と思しきソレをはっきりと視認することが出来るが、かえってそれがドーラの恐怖心を煽る。  彼女の目の前に現れたソレの背には一対(いっつい)の、蝙蝠のような皮膜(ひまく)の羽が揺らめき、美しい金糸の隙間から覗く耳の先は人間とは違い尖っているように見える。  何より、昼間に出逢った悪魔の髪よりも紅い瞳が、昔読んでもらった絵本に出てくる怪物を彷彿とさせ、ドーラは無意識に喉を鳴らした。 「口が利けないのか、それともこの私を恐れて声が出ないのか。どちらでも良いが、一人で森をうろつくな。それとも私の餌にでもなりに来たのか?」  餌という言葉に、じわりと涙が浮かぶ。 (ど、どうしよう……わたし食べられちゃうの?)  今にも泣き出しそうなドーラに近付き、(あご)(すく)い上げて視線を合わせた男は「……貴様、もしや」と何かを言い掛けたが、彼の頭頂に何処(どこ)からともなく飛んできたミミズクが留まったかと思うと金糸を咥え、くいと引っ張った。 「おいウィリアム、私の髪を引っ張るんじゃない不敬だぞ! ……なに? 幼子への吸血は死のリスクが高いから止めろ? そんなことは(わか)っている、冗談も通じないのか貴様は」  興が削がれたように深々と溜め息を(こぼ)した男はドーラを(おもむろ)に抱き上げると、次の瞬間には羽を揺らして飛び立っていた。  腕の中で縮こまっているドーラは、いつもなら遠くに見える月が今はとても近く、手を伸ばせば届きそうな気がして思わず魅入ってしまう。  そんな彼女を一瞥(いちべつ)した男の表情が緩んだことに気付いたのは、頭頂から肩に移っていたミミズクのウィリアムだけだった。 「着いたぞ」  男が降りた其処(そこ)は、道を外れた森の中にある洋館前だった。  ドーラを抱えたまま中へ入ると、数名の使用人であろう装いをしている人間たちが並んで男を出迎える。 「おかえりなさいませ、ブラム様」 「ああ」 「そちらのお嬢様は、ええっと……」 「そこで拾った。人間のことは、同じ人間である貴様等がよく知っているだろう。あとのことは任せた」 「そんな、猫と同じノリで拾わないでください。お嬢様が怯えていらっしゃるでしょう」 「はぁ? 保護してやっただけなのに何故怯えているんだ」  ドーラを下ろした、ブラムと呼ばれた男はやや不機嫌そうに呟く。  物怖じすることなく使用人の一人は続けた。 「何の説明もなしに連れて来られて怯えない子供はいないかと」 「うるさい、今から貴様等が説明してやれば済む話だろう」 「あのですね? 何事にも順序があると再三申し上げましたよねぇ? そんなだから、領民からも怖がられるんですよ」  やれやれと肩を(すく)めた使用人に舌打ちしてそっぽを向いたブラムを、先程から静かに見守っていたドーラは、彼等の一連のやり取りに少し気が抜けてようやく口を開いた。 「……ねぇ、あなた。見た目が貴族っぽいし、そうなのかもしれないけど、あんまりえらそうだとみんな愛想つかしちゃうわよ?」 「…………、は?」 「あのね? 院長先生が言ってたけど、おうへい?なひとよりも、けんきょでいる方がすかれやすいし、人生をゆたかにするコツでもあるんですって」 「…………」 「あ、あと感謝の気持ちと言葉も大切よ? ちゃんとここにいるひとたちに言ってる?」 「…………」  彼女が言っていること自体は理解できるものの、想定外の言葉が飛び出してきたことに驚きを隠せずにいるブラムと、すっかり調子を取り戻したドーラ。  ここに居る使用人たちは、理由は様々だがブラムの解りにくい優しさによって住まいを与えられている。  ブラムをよく知る彼等は、ブラムの言動に今更どうとも思わないものだが──どうやら訳アリらしい人間の少女の言葉がツボに入ったようで、使用人たちは主人のフォローに回らなければと思うが、それよりも先に(こら)えきれず笑い声が漏れてしまった。 「ん、ふふ……お嬢様、お気遣いありがとうございます。私たちは大丈夫ですよ。この方がこうなのには理由がありますから」 「そうなの?」 「ええ。とにかく、よーく観察していればこの方が優しい方だとすぐに解ります。でもその前に、温かいお湯に()かって身体を癒してくださいね」  メイドの一人に連れられて浴室へ向かう彼女の背を見送ったブラムは、 「……。アレの食事が済んだら、書斎に連れてこい」  側に控えていた執事長にそれだけ告げた。  入浴後、肌触りの良いシルクのネグリジェを着せられ、院内で毎年催されるクリスマスパーティーより豪勢な食事を振る舞われたドーラは、喜びよりも罪悪感に押し潰されそうになりながら、執事長と共にブラムの書斎へ向かっていた。 (わたしだけ、こんなぜいたくしてていいのかしら……)  こうしている間にも、病に(おか)された家族たちは苦しんでいる。  一人良い待遇を受けていることが心苦しく、礼だけ言ってすぐに館を出て行こうと思考しているうちに書斎へ着くと、中から話し声が聞こえてきた。 「どうやらドーラ様は探し物のためにカランを目指しているようです」 「カランだと? その探し物とやらは何なんだ」 「そこまでは。一先ず、今夜は泊っていただくようお伝えしてありますが」 「……。好きなだけ滞在させろ。場合によっては、雇ってやっても構わない」 「そう仰ると思っておりました。……あら。お食事はいかがでしたか?」  話が一段落したタイミングを見計らい、執事長が扉を開けると、ブラムとドーラの入浴や着替えを手伝ったメイドがいた。  メイドはドーラと目線を合わせるように屈んで微笑みかける。 「おいしかったです。それと、さっきはありがとうございます」 「ふふ、いいんですよ。今夜はよく眠れるようハーブティーをご用意いたしますので、ブラム様とおしゃべりしてお待ちくださいませ」  花が(ほころ)ぶように()むメイドと、よく読み聞かせをしてくれるシスターの柔和な表情が重なり、一瞬寂しさを覚えたドーラは、メイドが書斎をあとにすると椅子に座っていたブラムの傍へ寄った。  純血種であるブラムは、生物がそれぞれ持つ感情の機微(きび)に敏感だ。  彼女の心情を察すると腕を掴んで自身の膝上に座らせ、 「食え」  元々置いてあったものか、それとも彼女のために用意したものなのか、机上(きじょう)に置かれたクッキー缶から一枚クッキーを摘み上げると、ドーラの口に突っ込んだ。 「え? お腹いっぱいだからいらな、むぐ、……ふぁひぃふんふぉふぉ!」 「ふ、ははは! 何を言っているのか全く解らないな」  文句を言いながらも吐き出さずに食べる様子には上機嫌でまた一枚差し出した。 「もう一枚いるか? 遠慮することはない」 「だーかーらー、気持ちはうれしいけどもうお腹いっぱいなんだってば!」 「む……貴様は歳の割に小さすぎる。もっと食うべきだ」  ──こうして、冒頭に戻るのだが。 (うーん。さっきとは別人みたい)  出逢ったときとまるで印象が違うブラムに戸惑いながらも、暫くの間は大人しくされるがままでいるドーラだったが、時刻が二十三時を迎える頃、 「いろいろありがとう。わたし、早くハコを見つけなきゃいけないから、そろそろ行くわ」 「匣? 貴様の探し物か」 「そう。中に希望が入ってる、特別なハコ。家族を救うためにそれがどうしても必要なの」 (そういえば昨夜、街外れに正体不明の四角い物体が出現したとウィリアムから報告があったか) 「その探し物とやらに心当たりがある、……が、今夜は大人しく寝ろ。睡眠は大事だ」  駄々を捏ねて逃げられては面倒だとドーラを抱き上げたブラムは、彼女の寝室にと(あて)がった部屋まで送り届け、 「おやすみなさい……」  若干不服そうに閉められた扉を一瞥すると、部屋をあとにする。 『おにいちゃん、ねんねしない?』 『吸血鬼(わたし)に睡眠は不要だ』 『なんでー? ねるのだいじなんだよ? いっしょにおひるねしよ』 『…………、はぁ。仕方ない、今日だけ付き合ってやる』 『やったー! あ、このえほんよんでー!』 『おい、寝るんじゃなかったのか』 「流石に、読み聞かせをせがんではこなかったか。人間の成長とは早いものだな」  ドーラは全く覚えていないようだったが、数年前に二人はドーラが育った孤児院で出逢っている。  夜も更け、人気のない廊下を戻りながら彼女との記憶を辿り、懐かしさに浸っていたが、不意にあることに気付いて立ち止まった。 「テロプレの孤児院からここまで、人間の足でおよそ五日。馬を使っても三日ほどはかかる。そしてウィリアムから(くだん)の物体の報告があったのは昨夜。……こちらより先に、どうやってドーラは情報を得たんだ?」  ぞくりと、ブラムの背中に悪寒が走った。  何やら嫌な予感がする──大抵、ブラムのそういった勘は当たるもので、ブラムはすぐさま眷属(けんぞく)であるミミズクのウィリアムにドーラの故郷テロプレの様子を見に行かせ、自身は救済の匣について調べるべく地下の書庫に向かった。
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