滴るもの

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 エリッタとダダルは学校を早退し、トリオクロンへと戻ってきた。変な時刻に帰ってきたので門番は慌てていたし、農作業中の農夫は背筋を伸ばして何事かと見ていた。 「じゃあ、シャツを替えたりするからここで」  いつもは律儀に階段を上がって最上部にあるエリッタの部屋まで送り届けるダダルだが、今日はトリオクロンに入るなり別行動になった。 「また明日」  血液の付着したシャツは目立つ。着替えたいダダルの気持ちを汲んで、いつものように長話をすることなく、エリッタはすんなり挨拶して階段を上がっていこうとした。 「もし、少しでも体調が優れなかったら来てくれ」  珍しく別れの挨拶後もダダルはエリッタの背に言葉を投げかけてきた。 「平気。早く洗わないとシミになるわよ」  エリッタは振り向かずに手をヒラヒラさせて階段を上がっていってしまう。ダダルは険しい顔つきで見上げていたが一度も振り返らないエリッタの態度に諦めて、ダダルも家へと戻っていった。  普段はまだ学校にいるはずの時間。太陽はまだほぼ真上辺りにあった。  エリッタは自分の部屋には行かず、道をそれてトリオクロンの中でも特別な建物へと向かった。  トリオクロンが小さな山を利用した要塞城だ。その建物は山の中腹辺り、南側の突き止まりにあった。  この祈りの館はトリオクロンでもとりわけ古く、しかもどこよりも手の込んだ作りとなっている。柱一本、窓枠一つとっても細工がなされており、明らかに特別な意味がある建物だった。 「あ、コリン!」  祈りの館前にあるベンチに長老コリンが腰をかけていた。コリンが時々ここでのんびり時を過ごしているのはトリオクロンの民なら誰もが知っていた。 「おお、エリッタ。今日は早いな」  言いながらエリッタを見上げたが、直ぐにベンチの隣を叩いて座るように促した。エリッタは嬉々としてコリンと並ぶ。 「ちょっとね」 「学校は楽しいか?」 「ええ、楽しいわ。ずっと通いたいけど……あと二年だわ」  二人は暫く空を舞う鳥を眺めていた。 「私、ダダルにワガママばかり言っちゃうの」  エリッタの視線は深いシワが刻まれたコリンの横顔に向かう。 「ダダルは若い頃のあなたにそっくりよ」  コリンは小さく頷いて「孫の中でも一番似てると思っている。あれは俺に似ているよ」と、認めた。  エリッタは自分の膝に肘を乗せて頬杖をついた。 「違うのはコリンと違って私を神格化しないことね。対等でいてくれるからワガママも言いやすいわ。私のワガママに対して文句も言うし釘もさすもの」 「はは。エリッタは我々からしたら神だから、そこは勘弁して貰わんと」  視線を地面に向かわせるとよく喋る口を一度噤んでから、再び話を続ける。 「神じゃないのに……。ずっとコリンが私を人間として見てくれる日を待ち望んでいたけれど、あなたってばしれっと結婚しちゃってさ」  コリンは静かに耳を傾けながら大きく息を吸った。 「ダダルならばエリッタと結婚することに抵抗感がないかもわからん。そうしたいのかい?」  クイッと空を睨みつけたエリッタは首を横に振る。 「ダダルのことを赤ちゃんから見てきたのよ? そういう気持ちはさらさらないわ。あなたの面影をダダルに見て、つい懐かしく思ってしまうだけ。そう、懐かしいわ。結局、私の恋は叶いませんでしたけどね! でも、あなたのスリは可愛かったもの。良い奥さんだったわね。お似合いだったわ」  仲睦まじく絡み合いながら飛んでいる鳥をコリンは目で追っていく。 「ああ、スリにそろそろ迎えに来てもらいたいのだが……なかなかなぁ」 「ええ。コリンは若い時から途轍もない生命力だったもの。まあでも、きっと遠くない未来にね」  コリンは柔らかく微笑んで「俺があっちに行ったらエリッタを迎えにきてやろう。みんなで盛大にな」とエリッタの手を握る。その皺々の手に包まれたエリッタの手は、未だ皺ひとつない。 「私みたいな化け物を天界で受け入れてくれるのかしら……」  コリンの手は皺々だが、未だ力強くエリッタの手を包みこんでいる。 「化け物じゃない。神から与えられた能力だ」 「血を吸うのよ? 化け物だわ……」 「血を吸う生き物は案外多い。そんなことは大したことではないさ。それよりも時を戻せる能力は唯一無二だ。神から与えられた力。要するに神の使いってわけだよ」  エリッタはまるで同意してないように息を吐いて「そうね」と言った。コリンは手を離し、一つ頷いた。 「俺たちが悪かったんだろうよ。エリッタを神格化してしまったから……君は自分が人間とは違うと思うようになってしまった。もし、嫌でないならダダルと家族を──」 「ううん。ダダルとは本当にそういう気にはなれないの。学校に行く数年だけダダルに時間をもらっていると思っているのよ。私はこの先もきっと歳をとることはないのだろうし……」  元気のないエリッタに「その謎を解きに学校の図書館に行っているのだろう?」と、コリンが励ます。 「見つからないの。ほとんど『時忘れ』の記述はないわ」  コリンの表情が曇る。 「悪いことをした。あの時、俺が助けを求めたばかりに」 「もう! そんなことないわ。あの事がなければトリオクロンにひとりぼっちだったのだと思うもの。皆と暮らせて楽しいから、それでいいじゃない」  いつの間にか励ます立場が逆転し、どんどん遠ざかっていく鳥の番を二人とも目で追っていく。 「お腹空いてきたわね」 「あはは。確かに」  それでも暫く二人は動かず飛んでいった鳥を追うように空を眺めていた。
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