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転機
いつも通りエリッタとダダルは放課後に図書館で時を過ごしていた。常に人は疎らな図書館だが、日に日に寒くなると一層寂しくなってきていた。
マトリク王国学校の中庭の木々はほぼ葉を落としていた。風は落ち葉をさらい、一処に掻き集めている。
「寒くなって来たし、そろそろ帰るぞ」
書物に書かれた文字を指でなぞりながら読んでいたエリッタが顔を上げた。目で何かを訴えるがダダルは「なんだ?」とエリッタの心の内を読み取れない。
「馬車! 馬車があるのだからもう少し良いじゃない」
「そうは言うが馬車を御す身にもなってくれ。寒いんだぞ」
確かに御者は風にさらされるわけだから寒いだろう。トリオクロンには専用の御者を雇う余裕はないので、要するにダダルが寒いのを嫌がっているのだ。
「せっかく馬車になっても、早く帰らなければならないのは変わらないわね」
無念さを滲ませながらエリッタは立ち上がった。
「おっと、もう帰るのか?」
サディアスが図書館に入ってきて、二人の元にやってきた。珍しく一人なので、エリッタがサディアスの背後を覗き込んだ。
「アシュトンはどうしたの? いつも一緒だと言っていたけど」
サディアスは図書館の入り口を親指で示しながら「ちょっと捕まっているからね。あるご令嬢に」と、口の端を思い切り下げた。それでエリッタ達はアシュトンが誰を相手しているのか分かってしまった。
「許嫁と前置きしなきゃヘソを曲げるメリンダ様ね」
エリッタが名前を出したがサディアスは否定も肯定もせず、ただ肩を上げてみせた。
「それよりエリッタ。この前は色々ありがとう。ダダルも案内してくれて感謝している。それでお礼にアシュトンが今度は君等を王城に招待したいと言っているんだ」
トリオクロンの民が作ってくれた食事は種類も豊富で美味しいものばかりだった。けれど日頃、豪華で凝った食事をとっているはずのアシュトンとサディアスの口には合わないかもしれないと誰もが心配していた。そんな心配をよそに二人は終始美味しいと言いながら相当な量を平らげた。エリッタはもちろんダダルですら、これは嬉しい誤算だった。
「そんな、いいのよ。私たちはあなた方がトリオクロンの民と同じものを同じように美味しいと言ってくれたことに感激しているの。あれは何よりのご褒美だったわ。ありがとう」
「実際、美味しかったからね。エリッタの作った肉用ソースも最高だった。あれは何だったんだい?」
エリッタが持っていた書物を抱きしめて喜んだ。
「そう? 良かったわ。あれは玉ねぎとリンゴをクタクタになるまで煮込んだものなの。塩漬けの肉の塩っぱさとソースの甘さが合うわよね」
ここでダダルが「すまないが我々はもう帰路につかねばならない。農夫の話では雪がチラつくということだ。道がぬかるむ前に帰りたいんだ」と、話に割って入った。
「ああ、そうなのか。じゃあ、要件だけ伝えるよ。王城へ招くにあたり少々やってもらいたいことがあってね。というのも、こちらも結構決まりごとがあるものだからさ。エリッタにドレスを一着新調させてもらいたいと思っている。悪く取らないでくれよ? 君等の服を蔑んでいるわけではないんだ。ただ、どうしても口煩い輩がいるんだよ。アシュトンのためを思って受け入れて貰えないだろうか」
エリッタとダダルは顔を見合わせる。王城に招いてくれるのも身に余ることなのに、ドレスまで作ってくれると言うのだ。学校に居る時は全員一律に制服を着用しているが、学校以外となるとエリッタ達と貴族達の服に差があるのは当たり前のことだった。だから、王城に赴くためのドレスが必要なのは理解できた。
「でも……さすがに悪いわよ」
基本的に考えなしに飛びつくところがあるエリッタですら躊躇する話だった。
「あぁ、エリッタ。断られるのは悲しいことだ。違うかい?」
サディアスの切り返しにエリッタはグッと書物を抱え込んだ。
「それはそうね……」
軟化したエリッタにサディアスは「よし! 決まりだ。実はほとんどドレスは出来ていて、あとはエリッタに着て貰ってサイズ直しをするだけのところまできているんだ」と、驚かせる。
「準備が良すぎる」
ダダルは呆れて言い放つ。しかしサディアスは褒められた子供のように笑みを浮かべた。
「こういう根回しは俺の得意分野だからな。ダダルは従者なのだから服はラフで構わない。ま、そんなわけで近々サイズ合わせに付き合って貰うからよろしくな」
後で連絡すると足取り軽くサディアスは去っていった。なんとなく呆然とサディアスを見送ったエリッタがダダルをチラリと見た。
「一応、断ったわよ。一度は」
「ああ。責めてないだろ。エリッタがサディアスに敵うわけがないしな」
もう一度チラリと様子を窺う。
「でも、ちょっぴり嬉しいわ」
ダダルもほんの少しエリッタを見下ろして「ああ。だから口を挟まなかった。さ、帰るぞ」と動き出す。
後を慌てて追うエリッタが「私も御者席に座るわ」と言うと、そんな心遣いは無用だとあっさり断るダダルだった。
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