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エリッタはグレーのドレスに包まれて言葉を失っていた。ベルベットの生地に黒い刺繍がこれでもかと施されていて、豪華であり上品な作りになっていた。
「良いじゃないか。これは貴族のご令嬢にも負けない美しさだ」
サディアスの賛辞は話半分に聞くとしても、エリッタ自身このドレスはとても似合っていると感すぎていた。
「少し印をつけさせていただきますよ」
店の従業員に声を掛けられなければ、クルリと回っていただろう。
「隣でワガママな病人がお待ちかねだ。急かして悪いが早めに頼むよ」
サディアスに言われて、従業員が二人がかりでウエストの太さを測ったり、生地をつまんだり、大慌てだった。
「直すのにどれくらいの日数が必要だ?」
「ほとんど手直しがいりませんので、二日でお渡しできます」
店員の返事にサディアスが満足したところで、カーテンで仕切られた先ほどの部屋からダダルが「おい!」と慌てた様子で呼びかけてきた。
「今行くのにせっかちだな、ダダルめ」
サディアスはエリッタに手を差し出すと、エリッタを伴いカーテンを開いた。カーテンが開かれるとダダルがエリッタに顔を向けることなくサディアスの隣で耳打ちをした。
「アシュトンが変だ。体調が悪化している」
ダダルの尋常ではない表情に、サディアスの表情が一変し、エリッタの手を離してアシュトンの元へ走り寄る。
「悪いが君たちはここで待っていてもらいたい」
心配そうに覗き込む店員にそう告げるとダダルはカーテンを閉め、店員たちを締め出した。ダダルとエリッタも直ぐアシュトンの元へ行くが立膝をついて屈み込んだサディアスが「アシュトン、アシュトン」とアシュトンの膝を揺すっているところだった。
「先ほどまでは具合が悪そうなだけだったが、突然意識を失ったんだ」
ダダルは説明しながら一度言葉を切って「俺が思うにこれは毒に侵されている状態だ。口の中が痺れるのは典型的な毒の中毒症状だったはず」とエリッタを見た。
「助けなくちゃ」
絞り出すようにエリッタが言い、サディアスが「どうすればいい! 水で吐き出させるのか?」といつになく焦ってアシュトンを抱え込む。
「……私なら治せるわ」
エリッタの声が震え、アシュトンからダダルへと顔を向けた。懇願する眼差しにダダルが険しい顔でエリッタを見つめ返していた。
「私、アシュトンを助けたい」
ダダルは一度宙を仰いでから「二日前から症状があったらしい」とエリッタに伝えた。それからサディアスの肩に手を置き「アシュトンを助けたいならエリッタと場所を代わってくれ」と伝えた。
サディアスは半信半疑ながら二人の顔を見て、それからアシュトンから離れることに躊躇ってから立ち上がった。
「アシュトン?」
声を掛けながらエリッタはアシュトンの元に屈み込んだ。アシュトンの血の気が引いた頬に手を添える。アシュトンは息をしているものの返事はない。
エリッタがアシュトンを見つめると、サディアスが「なんだ……?」と辺りを見回した。地震でもないのに目の前がグラグラと揺れている。暖炉の火で温い部屋の空気が真冬の早朝の張り詰めたものに変わっていくようだった。
「二日だ、エリッタ」
ダダルが言うと、エリッタの目から何かが零れ落ちていく。それは赤い線となって頬を伝った。
「エリッタ……目から血が」
サディアスが駆け寄ろうとするのをダダルが手を掴んで止める。
「近寄らないでくれ」
みるみる間に青かったアシュトンの頬に赤みが戻り、浅く細かい息遣いが次第に健康な人のものと変わらなくなっていく。
「エリッタ、もういい。血を吸うんだ」
エリッタはダダルの言葉に頷き「アシュトン。ごめんなさい」と呟くとアシュトンの首元に噛み付いた。
「エリッタ! 何をするんだ! やめ──」
止めに入ろうとしたサディアスが、いつの間にか懐からナイフを出していたダダルから刃先を首元に突きつけられて言葉を飲んだ。
「心配するな。エリッタは──アシュトンの時を戻した分のマナを吸っているだけで危害を加えているわけではない」
「時を……戻す?」
二人の目の前でエリッタの纏う空気が一変し、サディアスがゴクリと唾を飲んだ。言葉には出来ない艶かしさにサディアスは息を吸うことしかできなかった。サディアスは一度このエリッタをみていた。別人のように輝き出すエリッタを忘れられるはずがない。
振り向いたエリッタは掌で頬を伝っていた赤い筋を拭った。
「サディアス……気持ち悪いでしょ。隠していてごめんなさい。あの、アシュトンは二日前まで時を戻しているわ。それに少し記憶が飛んでしまっていると思う」
それ以上何を話して良いのかわからないエリッタは俯いてから「ドレスを脱いでくるわ」と逃げるように隣の部屋へと行ってしまった。
我に返ったサディアスはアシュトンの元に駆け寄って体調を確認する。アシュトンは規則正しい呼吸で眠っているだけだった。
「エリッタの秘密を誰にも漏らさないで欲しい。我々ももうこの先、あなた達には近づかないから」
ダダルはナイフを仕舞うと頭を下げた。しかし顔を上げた時「そちらも我々には構わないでもらいたい」というハッキリとした拒絶をみせた。
「孤独なエリッタを喜ばせてくれたことは忘れない。俺たちは徒歩で戻るからサディアスはアシュトンを城に連れ帰るといい。アシュトンは元気になっているはすだが、血を吸われて貧血気味だろう。休ませてやってくれ」
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