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アシュトンの視線はエリッタの唇へと落ちていく。
「既にエリッタだけを見ていると言ったら?」
何かを言いかけたエリッタだったが、上機嫌なサディアスと不機嫌なダダルが戻ってきたので、弾けるようにアシュトンから距離をとった。ただ、熟れたリンゴのように真っ赤であることにアシュトンは気をよくし「今はここまでか」とエリッタの頬を指の甲でスッと撫でた。
「こっちもそっちも首尾よくいったようだな」
サディアスはそう言うが「俺はまだ納得していないが」とダダルが反論した。サディアスはダダルの肩を組んで「まぁ仲良くしようじゃないか」と、軽く受け流した。
「言うなと言っておいたのに、これだぞ。信用できると思うか?」
「もう言わないさ。ダダルとて、主であるエリッタにはなんでも話すだろう」
「時と場合による」
これにはエリッタが黙っていられず「え? そうなの?」と口を挟んだ。ダダルは苦々しい表情で「やめてくれ。悲しそうな顔をするな」と言い放つ。
「従者としては主に話せないこともあるのは理解する」
サディアスのそれにダダルが「じゃあ黙っておけよ」と楯突くから、エリッタが居た堪れなくなり立ち上がった。水掛け論になっているし、ダダルの怒りも理解できた。
「えっと、そうね。帰りましょう、ダダル。話をしながら帰りたいわ」
「御者席に座るというのか? やめておくんだな。外は寒いし話す気力もなくなる」
イスから立ち上がったアシュトンが、サディアスに帰ろうと合図を送った。
「二人で話し合うのがいいだろう。何にせよ、助かったし、感謝している。ダダル、君が止めていたらエリッタは俺を助けなかったかもしれない。しかし止めないでいてくれた。本当にありがとう」
ダダルは返事をしないと思ったが、踵を返したアシュトンに言う。
「助けたかった気持ちは嘘じゃない。しかし、俺はエリッタを守ることが使命だ」
アシュトンと共に歩き始めていたサディアスが先に振り返り「わかっている。だからダダルの怒りも理解しているんだ。だが、アシュトンが毒を盛られていた事実も、それをエリッタが救った事実も、本人が把握しておかねばならないと俺は判断した」と伝えた。
「もし、エリッタに何かあれば我々は必ず手を貸そう」
言い終えたアシュトンはダダルを見てから、エリッタへと視線を動かして見せてから、再び背を向けて歩き出した。
二人の歩き去る姿を微動だにせず見つめていたダダルに「えーっと、ダダル?」とエリッタが声を掛ける。
「トリオクロン内で秘密を守っていれば何か起こるなんてことはないはずだった」
それは一理ある。片付けを始め「トリオクロンから出てきたことは後悔したくないの。もうずっとあの中だけで生きてきたからから。ダダルには迷惑をかけてると思ってる」と、言い終えて手を止めた。
「外の世界に出たいのはわかる。ただ、心配だ」
「数年間だけだわ。許して」
ダダルは深い深いため息を吐くと、馬車の準備をしてくると言って図書館を出ていってしまった。エリッタは図書館をもう一度見回して、生徒が比較的遠くに居ることを確認し安堵した。話が聞こえても断片的だろう。
抱え込んだ書物を棚に戻しに行くと、席からは見えなかった所に人が立っていてエリッタはギョッとした。思わず取り落としそうになった書物をその人物が手で抑えて止める。
「あっと、ありがとう」
制服姿ではないその男性は微笑んで薄い唇で「いいんだ、エリッタ・ニューマン」と答えたので、エリッタは本能的に身構えていた。
かなり上等な服に身を包んだその人をまじまじと見る。金髪碧眼で、以前アシュトンが話していたことによれば貴族に多いタイプの人だった。それから、特権階級によくある尊大さが離さなくても感じ取れる。
「ジャレッド・ディオンだ」
握手を求められたが手が塞がっていた。それをジャレッドが気が付き、持っていた物を半分受け取って改めて握手を交わす。雰囲気からいって学生ではなく成人した大人の男だった。
「はじめまして。学生ではないようですけど……」
「ああ、私もここで調べ物があってな。見たところ──」
ジャレッドは抱えていた本の背表紙を確認しながらしまっていく。
「同じものを調べているらしい。例えばこれは『聖女伝説』についてだ。何か収穫はあったか?」
エリッタも遅ればせながら、本を棚に戻していく。
「伝説だから雲を掴むような話ね。それに、夢物語のように壮大でいて空っぽなの」
ジャレッドは笑みを浮かべ、本を次々に戻していく。
「聖女はいると思うか? 君の率直な意見が聞きたい」
「そうね……率直に言えば居ないと思うわ。ジャレッド様は?」
ジャレッドはエリッタの抱えている書物をさらに取って、本棚に戻した。
「私は居ると確信している。いつかエリッタとそのことで話がしたい」
最後の一冊をしまい終えたエリッタが、ジャレッドを見上げる。
「私の知識なんてにわかよ? ここにある資料以上のことはわからないけれど」
返事をした時にダダルがエリッタを探す声が聞こえてきた。ジャレッドもその声に反応し、探しているようだと言った。
「ではエリッタ、また会おう」
ジャレッドのそれは別れの言葉だと理解しエリッタは「お話できて良かったわ、ジャレッド様」と、礼儀正しく返した。それから頭を下げるとダダルの元へと歩いていった。
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