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思わず開けた口から言葉がでてこなかった。ダダルの中では永遠に歳を取らないのがエリッタなのだ。歳を取らないということで死ぬこともないのだと思い込んでいた。
「百年……」
人間なら百年生きることはまずない。八十年生きたら、語り継がれるほどの功績だった。長老と呼ばれているコリンですら到達できていない領域だ。
エリッタが永遠に生き続けると思い込んでいたダダルには、命の期限があることが既に衝撃だった。長老と同じくらいの歳ならば、ダダルのほうがエリッタを見送ることになるということなのだ。
「エリッタは知らないのか……」
「ああ。記憶から抜け落ちているらしい。図書館に通い詰めて色々と調べているようだが妖魔だとは思ってないのであろう? それならば、そのまま知らんほうがいいのかもしれないと思っているのだ。残酷じゃないか、急に命の期限を知らされるのは」
ダダルはしばし沈黙した後、仮定を話し始めた。
「しかし、エリッタの時は止まったままなのだし、その間は寿命のカウントもされてないのでは?」
コリンが扉に近付いたので、重い扉をダダルが押した。冷たい空気がなだれ込んで二人は身をすくめる。
「わからんな。しかし、エリッタの力は年々弱まっているように感じなくもない。まだお前の婆さんが生きていた頃、誰かの時を一日や二日戻すくらいでは出血などせんかった。今は違うだろう?」
アシュトンの時を二日戻したとき、エリッタは目から血を流した。それに、ダダルの腕の傷を治した際も暫く体調が優れなかった。
「それは……血を飲むのを嫌がって体を痛めつけているからだ」
反論したが、コリンの表情を見ていると哀しみをたたえていて、ダダルはなんとも例えがたい気持ちを襲われていた。認めたくないがエリッタは確かに弱っている。
「これはお前にだけ言うが……ワシの最大の後悔はエリッタを妻にしなかったことだ。エリッタはそれを望み、家族を欲していた。それが分かっていて与えてやれなかったのだよ。スリと結婚の約束をしていたことよりも、神の使いであるエリッタとそうなることを恐れたのだ。惹かれていく気持ちはあったが……神を穢すようで怖かった」
「そんなこと──」
絞り出して言うがその先は口にできなかった。聞きたくないが、長老の意向は伝わってきていた。聞かせたいのだ。前々から、ダダルにエリッタを妻に迎えて欲しそうなことを何度も匂わせていた。それがなぜなのか聞くことはなかったが、今こうして聞いてしまうと酷く複雑な気持ちになるのだった。
祖父とエリッタが恋仲だったことも、エリッタを振って祖母と結婚したことも、そうして生まれてきた子が自分の親であることも、複雑に絡み合っていてどう噛み砕けばいいのかダダルには整理がつかない。
「スリを愛していたよ。そこに嘘はない。ただ、エリッタは何時までも特別な存在だ。ワシが我儘を言うことを許せ。お前にはワシにできなかったことを期待している」
言い終えて外に踏み出そうとしているコリンに「エリッタは俺を見ていない。だから、期待には添えないだろう」と小さく伝えた。
「アシュトン王子だな。それならそれでいい。エリッタが幸せになれればそれでな」
そう言って離れていった。
「勝手だな、爺さんは」
ダダルは風に煽られて炎を大きくした松明を自分から出来るだけ離した。
父親の話だと祖父母は幼い時から決められていた許嫁同士だったらしい。そういう習慣は村がなくなった時に消えたとも聞いた。
「爺さんはエリッタと一緒になりたかった、ただそれだけだろ」
それを言えない風潮も、相手が神のような存在だったことにも嘘はないだろう。でも一番大きかったのはスリを裏切ることが出来なくて、エリッタの手を離した後悔だと伝わってきていた。スリを愛していたと言わなければ、家族をも裏切ることになる。
ダダルは目を閉じてため息をついた。
エリッタは昔からダダルなど一切眼中にない。赤子の頃から知っている、昔の恋人の孫なのだ。今ここでダダルがどんな気持ちを抱こうがそこはかわらないだろう。昔、愛した人に似た男と再びそうなりたいかと問われたら、ダダルなら嫌だ。エリッタだって嫌だからこそ、外から来たアシュトンに惹かれはじめているのだろう。
「まったく……」
振り返り、石像に火を翳す。トリオクロンの誰よりもエリッタに似ている。これはきっとエリッタだ。
「やり直せるものなら、俺がコリンになってエリッタと共に遠くへ行くのに」
今のダダルに出来ることはエリッタの幸せを願うだけだ。それは結局のところ祖父のやっていることに近かった。
「妖魔か。人を惑わし滅ぼすとも言われているが……滅ぼすことはないな。心を捕らえて離さないだけだ」
揺らめく火の明かりで石像が微笑んでいるかのようだった。
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