祈りの館

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 翌朝、エリッタは祈りの館まで行き、ドアを全開にしてみた。そうすれば朝の光が優しく奥まで室内を照らす。  室内はトリオクロンに移り住んで来た人たちが作った長椅子が整然と並べられている。人々は宗教を持たないが、その代わりに悩み事や祈りたい時にはここにやってくる。それから、子供が生まれた時や結婚式、そして人が亡くなるとここにやってきた。 「何事もなく、皇太子を追い返せますように」  エリッタも祈るが、石像が自分に似ていることもあり、ご利益があるようには思えなかった。それでも困ったことが起きたり、心の内を吐露したい時は石像に語りかけた。これはもう一人の自分に話しかけるようで、むず痒い感覚はある。 「いっそ、石の塊とかのほうが気が楽ね」  親しみを込めて石像軽く叩くと、祈りの館に唯一ある小部屋に入って行き、掛けてあったほうきを取って戻ってきた。 「昨日からダダルが変なのよ。思い詰めた顔をしちゃって。なにかあっても小さい時から全然相談してこないから! もう」  今日のことを怒っているのかと思ったが、怒っているのとはどこか違っていた。 「昔のコリンみたいなんですもの……」  思わず口から出てしまったが、エリッタは顔を顰めて言わなければ良かったと後悔していた。今日のダダルみたいに妙におかしな雰囲気が続いた後、コリンは近々スリと結婚すると告げたのだ。 「嫌なことを思い出したわ」  エリッタとコリンの間に恋愛感情があったのは確かだったが、踏み込んでこないコリンに何か理由があるとは感じていた。それが許嫁の存在であるというのは腑に落ちたが、同時に切なかった。いやでも、許嫁がいるという理由で振られたことにはどこかホッとしたところもある。化け物だからと断られるよりマシだった。 「選ばれなかっただけなのよ。恋愛ってほら、敗者もいて当然だし」  フンと鼻息荒く、箒を握ると熱心に床を掃除しだした。  スリは可愛らしい女の子だった。それに加え性格も良く、働き者でもあった。エリッタはそんなスリが好きだった。そしてスリは許嫁のコリンを盲目的に愛していた。認めないわけがない。二人とも素晴らしい人柄だったのだから。  ホコリを外に掃き出すと、扉の横にダダルが立っていて、エリッタは飛び上がりそうになるほどびっくりした。足元の雪は踏み固められている。 「来たなら来たって言ってよ!」 「来た」  そのふてぶてしさにエリッタは箒でダダルの方へとホコリを掃いてやった。 「もう皇太子が来たの?」 「いや、まだだ」  これはいつものダダルだ。内心、エリッタは胸を撫で下ろしていた。理由はわからないが、なんとも言えない嫌な空気のダダルから脱したらしい。 「体調は?」  ダダルが問う。エリッタはドアのところに蜘蛛の巣を見つけ、背伸びをして取ろうとしていた。 「体調? なんで? 元気よ」  箒を取り上げたダダルが、エリッタの獲物である蜘蛛の巣を取り、また箒をエリッタに戻した。 「少し、血を吸っておいたらどうだ」 「だから、なんでよ。元気だって言ってるじゃない」  血を吸えと言われるのはエリッタにとってあまり嬉しいことではない。それなのにそれを知っていて言ってくるダダルに憤慨していた。 「不測の事態に備えて……」 「ダダル。あなた頭でも打ったの? 不測の事態はあるかもしれないけど、時を戻した後でも血は吸えるのよ。なんで先に吸えとか言うのよ」  ダダルも僅かに怒りを感じさせる眼差しで「心配してるんだ。この前、目から出血したろ?」と睨みつける。 「もう回復したの! さぁ、門にでも行ってて。ここにいたってやることもないでしょう」  いつもならプイッと行ってしまうところなのに、ダダルは動かなかった。追い払っても動かないダダルにエリッタは再び嫌な気配を感じていた。言いたいことがあるのに言えなかったコリンみたいだ。 「なによ……」  深刻な話は聞きたくないが、ダダルから聞かされる話の検討はつかないから逆に聞いてみたくなる。 「エリッタは俺には何も話さないな」 「え? 話してるわ。いつもあんなにお喋りしているじゃない」 「昨日聞いた話。初耳のものが多かった。俺は従者として側にいるのに、実は何も聞かされてないのだと思った」  瞬きをしてからエリッタは考え込む。 「話せることは話してるつもり。でも、例えばコリンとそういう関係だったと聞いて、孫のあなたはどう思うの? 聞かされたくないかなって」 「そこじゃない。村を救った話は俺にしたってなんの問題もなかったろ? なんで話さないんだ」  エリッタは箒で足元を掃き出した。ただ、答えを引き延ばしているか、顔を見られたくないだけのようだが丸めた背中を見せて答える。 「だって……嫌なのよ。神格化されるのが。私は神じゃない。歳はとらないけれど普通の人として扱って貰いたいわ。だから言いたくないの」 「神? 今更そんなふうには思わない。俺からしたら単なる我儘な女だ」  半身だけ振り向いてエリッタが眉を上げた。 「我儘は余計でしょ!」
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