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登校時に剣術の稽古の話をしていたので、放課後いつも通り図書館に居る二人のもとにマトリク王国第二王子アシュトン・ディオンが声を掛けてきて驚いていた。
王族といっても学校にいる同級生なので話さないこともないが、さすがに身分が違いすぎるので気軽に声を掛けてくるのは思いもよらぬ出来事だった。
夕方のオレンジ色の光はアシュトンの金髪すらオレンジに見せる。それはそれで神々しいのは持って生まれた威厳がそうさせるのだろう。
「いつもこの時間に揃って図書館にいるというのは本当らしいな」
アシュトンは他の貴族よりもずっと階級などわけ隔てなく話すことで有名だった。とはいえ、従者として連れているサディアス・カーティスは公爵家で貴族の中でも最上位の爵位を持つ者だ。基本的に住む世界が違う。
「ワォ」
エリッタは口から思わず出た言葉を慌てて手で押さえたが、アシュトンの横で従者のサディアスが肩を震わせ笑いを堪えている。どうやら完全に聞こえていたらしい。
「アシュトン王子」
ダダルはスッと椅子から立ち上がったが「掛けていて構わない」とアシュトンは言った。そうはいかないのでダダルは立った状態で頭を軽く下げる。
「ダダル、君の噂を聞いてやってきた。剣術が得意だとか。良かったら俺と剣を交えて貰えないだろうか」
エリッタは自分の口を押さえたまま、目を見開いた。危うくまた声を上げてしまいそうだった。
「それは……難しい事だと思います。万が一、王子に怪我でもさせたらこちらがただではすまないでしょう。俺の使命は王子に従うことではなく、エリッタを守ることです」
迷いなく断るダダルにエリッタは眉根を寄せた。ダダルの剣術の腕は相当なもの、エリッタは出来れば王子の申し出を受けて欲しかったのだ。身内が王子から直々に剣術の稽古の相手に指名されるなんてこんな名誉なことはない。
従者のサディアスは全部予期していたらしく、王子に加担するでもなくただ腕を組んで納得していた。
「ほら、言った通りだろ」
「それではいつまでも俺の剣術の腕が上がらないのだが……」
ここで有無を言わず相手をしろと言わないのがこの第二王子アシュトンだった。
子供の頃からアシュトンを支えてきた指南役が貴族の出ではなかったらしく、王族だからと抑圧的な態度をとることを許さなかったという噂だ。お陰でアシュトンの物腰の柔らかさは多くの者の知るところとなっている。王族の中でも一二を争う人気なのも頷けるというものだ。サディアスもまた格下のダダルが断ったことを闇雲に咎めたりしないのは、アシュトン同様階級で差別しないということだ。
「アシュトン王子はかなり腕が良いと認識しています。俺ではなく近衛隊の方々に稽古をつけて貰った方がよろしいのではないでしょうか」
ダダルの言葉にアシュトンではなく従者サディアスが可笑しそうに応えた。
「ずっとそうしてきたから、もう相手の癖も互いに知り尽くしてしまってさ、アシュトンは物足りなさを感じているんだよ。もちろん、俺とも同じ理由で楽しくないらしい。そりゃそうだ。俺とてアシュトンと剣を交えるともはやダンスだよ。右左、右左、右、右」
「楽しそうだわ」
嬉々として話に加わったエリッタをダダルが怖い顔で睨んだ。
「稽古といえど真剣にやらねば怪我をしかねない。たとえ刃が板に替えてある模擬の剣でも肌を切ることもある。刃が鈍いと致命的な傷にはならないが、切り口が鈍くて無駄に痛い」
ダダルの低い声に「まぁまぁ」とサディアスが間に入った。そしてエリッタに手を差し出す。これは挨拶の儀式。エリッタが立ち上がってその手の上に自分のを重ねる。エリッタの手の甲に軽く唇を寄せてサディアスは「エリッタだったね」と笑顔で挨拶をする。
「ええ。サディアス様」
「サディアスでいいよ。ほら、王子が悔しがっているから王子とも挨拶を」
サディアスに促され、エリッタに差し伸べられたアシュトンの手に掌を持って行く。
「お近づきになれて光栄です、アシュトン様」
「アシュトンでいい。話してみたいと思っていたよ、エリッタ」
サディアスと同じくエリッタの手の甲に口をつけて、エリッタの手を解放した。
「ええっと、王子」
エリッタの呼びかけに「アシュトンでいい」と再度言う。
「アシュトン。あなたの申し出を断ったダダルにお咎めはないのかしら?」
アシュトンは表情を崩す。氷が溶け出すような緩やかさで笑みを浮かべた。
「それはない。剣を交えたかったから残念ではあるが、懸念は理解できる。時々、自分が王族であることが疎ましいよ」
「そう? 利点の方が多そうだわ」
エリッタのツッコミにアシュトンもサディアスも笑うしかなかった。
「まぁその通りだエリッタ。息苦しい生活のかわりに、多くの特権を得ているのは確かだよ。時に君の爵位を聞いてもいいかい?」
アシュトンの青い目を見上げて「爵位? ないわ」とエリッタ。これにはアシュトンとサディアスが顔を見合わせた。
サディアスが「でも従者なんだろ? ダダルは」とダダルに話を振った。
「そうです。エリッタに爵位はありませんが、トリオクロンの代表という立場です」
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