滴るもの

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 どうやら模擬試合をするらしく、簡易的な防具をダダルもその対戦相手も身につけていた。鎖帷子に模してあるが猪の革製であるのだとエリッタはアシュトンから教えてもらった。 「鎖では作っていないが、皮を編んで作ってある。木製の剣ならあの防具は切れない」 「思ったより軽そうね」 「ああ、木製の剣もあの鎧も実際のものに比べたらずっと軽い。まずはあれで動きを覚えて、だんだんと重みを増やして実戦でも通用するようにしていくんだ」  上半身だけ捻ってアシュトンたちの方に顔を向けたエリッタが「私、鎧姿の挿絵をみたことがあるのだけど、それはもっと顔も腕も脚にもいろいろついていたわ」と身振り手振りを交えて説明する。 「それか正しい形だ。練習は相手の動きをみたり、自分の力量を感じ取ることに重きを置くから胴体用しか着けないのだ。慣れてきたら重い鎧も付けたりする」  詳しく説明してくれたアシュトンに頷きながら耳を傾けていたエリッタが「優しいのね。教えてくれてありがとう。王子にしておくのには勿体ないわ」とまた前を向いた。  これにはサディアスが反応し「王子じゃなく何ならいいんだい?」とエリッタの背中に問う。 「そうね。うーん、優しい語り口に美しい顔立ちかぁ、神父かペテン師かしら」  サディアスは吹き出しそうになるし、アシュトンは声を押し殺して笑いだす。王子に対してペテン師と言うなど無礼千万だが、あっけらかんと言ってのけるエリッタに二人とも笑うしかなかった。 「あ、試合開始だわ」  当の本人はダダルに夢中で二人の様子などお構いなしだった。  試合の前に誓いを立てる。それから「始め!」と声がかかると二人とも剣を振りかざした。まるで素人のエリッタが見てもダダルの動きは無駄がなく、流れるように相手の剣を受けては流していく。防戦一方に見えるが、それは下級生の相手が闇雲に剣を振り回すから上手に受けてやっているという感じだった。 「ダダルはダンスをしているみたい。相手の子は……ハチにでも襲われて暴れているように見えるわ」  鋭いな。と、サディアスがエリッタに近づいてきて「剣さばきがうまいものほど優雅なんだよ。余裕もあるだろ?」と、説明する。 「ええ。いいなぁ、私もやってみたいわ」  ダダルの動きを真似するように人差し指で宙に線を描くエリッタ。その指を捕まえたアシュトンに「あ、びっくりしたわ」とエリッタが見上げた。 「剣よりダンスのほうが似合うよ。ダンスは踊れるかい?」  エリッタはアシュトンの青い目をしばらく見つめてから「ああ、ええ。踊れるわ。ねえ、アシュトン。あなたの目って今日の空の色そっくりね。とってもステキだわ」と口にした。言われたアシュトンもサディアスも息を飲むように驚いた。 「あ……? えーっと、率直な感想で深い意味はないの」  二人の反応に驚いたエリッタはあたふたと自分の発言の説明をした。アシュトンがそれに対して何かを言おうと口を開きかけた時、試合を観ていた生徒たちのどよめきが起こって三人とも振り返った。  教員に羽交い締めにされた対戦相手の剣には血がついており、ダダルは自分の腕を押さえていた。シャツからは鮮血が滲み出している。 「ダダル!」  状況を把握したエリッタの動きは素早かった。隠れていたことなど忘れて、血相を変えダダルの元へと駆け出していた。 「エリッタ。やめろ」  向かってきたエリッタに、ダダルの元にたどり着くより先にダダルがエリッタにやめるように低く叫ぶ。しかし、エリッタはダダルの腕にしがみつくと怪我の具合を確認した。 「エリッタ! ダメだ。皆が見てる」  小声で絞りだりだすダダルに、傷口を食い入るように見ていたエリッタがゆっくり反応して「医務室へ行きましょう」と、いつになく険しい表情で告げた。 「すみません。ダダルを医務室へ連れていきます」  エリッタは教員に許可をとるというより宣言をして、傷付いたダダルと一緒に足早にその場から離れていく。  まだ柱の陰にいたアシュトンとサディアスが、エリッタたちを目で追ってから、まだ騒いでいる対戦相手の様子を窺っていた。 「ずっと上手いこと剣を流されていたことに腹が立っているみたいだな。試合終了後に襲ったことに観客たちが憤っている」  サディアスの言葉に「冷静さを保てない者は戦いの場でも失態を犯す。あとであの者の名を調べてくれ。ブラックリスト入りだ」と、アシュトンは言い放つ。 「間違っても近衛兵にでもなられたら困るからな」  サディアスが言うと、アシュトンは嫌そうに頷いた。 「素質がなくても家柄だけでゴリ押しして近衛兵になる輩もいるから困る」  もっともだとサディアスが答え、二人は医務室へ向かう二人の背中へ視線を移す。 「気になるか? アシュトン。見に行ってみるか。傷口はどれほどなのだろうか」 「あれだけの身のこなしだ。腱はやってないだろうが、万が一のこともあるしな。これも縁だ。医師を紹介してやってもいい」  二人の意見が一致し、エリッタとダダルの後を追うことになった。
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