トリオクロン

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トリオクロン

 首を包み込むような襟、ゆったりとした身ごろに見事で繊細な刺繍、マトリク王国学校の制服は黒を基調とした優雅なものだった。貴族の子女ばかりか王族まで通う由緒正しい学校に相応しいものだ。  黄昏時にステンドガラスの大きな窓から差し込む日差しは全体を淡い褐色で染め上げている。 「エリッタ、そろそろ帰路につかねば、本当にトリオクロンに着く前に暗くなってしまう」  分厚い古書に熱中していた赤髪のエリッタが顔を上げた。あたりをキョロキョロ見回しながらイスからガタンと音をたて立ち上がる。シンとした図書館内にその音が波紋のように広がっていった。 「あらやだ、もう火が灯されているじゃない! 早く言ってよ」 「三回は言ったが」  従者ダダルは冷めた口調でエリッタが積んだ本をテーブルから取り、本棚へと戻しに行く。 「嘘よ。聞いてないわ。今日こそは早く帰る予定だったのに」  悔しがるエリッタの方を振り返ったダダルが「それならさっさと片付けて貰いたい」と告げ、本棚と本棚の間に消えた。エリッタはダダルの鳶色の髪が消えた棚へと本を抱えて駆けていく。 「羊飼いのルタに赤ちゃんが生まれたんですって! 聞いた? 見せてもらいに行く予定だったのよ。今日はもう無理かしら」 「図書館内だ。静かに」  ダダルは本をテキパキと戻しながら注意をする。エリッタは口を尖らせ「私たち以外居ないのだからいいじゃないの」と独り言ちた。 「赤子が見たいなら朝に行けばいい。いいから早く本を戻してくれ」  ダダルが急かすのは二人が住む要塞城トリオクロンに着く前に日が沈むのを危惧しているからだった。学校周辺は王都でも一番栄えている地域なので街灯に火が入られて夜でも比較的明るいが、トリオクロンに近づくに連れ、建物は絶え絶えになり暗くなるのだ。 「はい! 戻したわ。走って帰りましょう」  返事を聞かずに駆け出したエリッタが、先程までいたテーブルへと行き、テーブルに乗っていた教科書の類いを抱えてまた走り出す。 「赤ちゃん、赤ちゃん」  常に機嫌が良さそうな上がった口角、そしてキラキラと輝く鳶色の瞳。エリッタは大抵の者を魅了する美しい容姿の持ち主だが、性格は大雑把でせっかちおまけに底抜けに明るかった。深窓の令嬢という言葉は黙っているエリッタにピッタリのようだが、ひとたび動いて話し出すと単なる跳ねっ返りになってしまう。 「明朝だ」  自分の荷物を掴んだダダルが大股で追いかけていく。 「走れば間に合うわよ」 「羊飼いの家はもう夕飯時だ」 「もう、わかってないわね。赤ちゃんが成長しちゃうじゃない」 「一日で成長する訳がない」  小走りのエリッタにダダルが悠然とついていっていた。同じ十七歳でも小さなエリッタと身長の高いダダルでは歩幅が違うのだ。エリッタはリスのようにちょこまか動くが対するダダルは鹿のような優雅さだ。 「正論で返すのやめてよ。冗談よ、冗談」  そこにはダダルはもう返事をしない。ただ、黙々と足を動かし、途中からはエリッタの教科書を取り上げてそれも抱えて歩いていく。 「ダダル、お腹すいたわね」  従者ゆえ持ち物をダダルが持つのは当然だった。しかしエリッタは隙をみては自分で抱えてしまう。短距離であればダダルも好きなようにさせるのが常だった。 「休みの日にリンゴを山程採るつもりなの。崖の近くのリンゴの木は今年も豊作!」 「手伝わないぞ」  従者として付き従うのはトリオクロンの外のみという決まりだ。トリオクロン内では、エリッタは自らのことは自分でやるし、ダダルも他の者同様、家業の手伝いをしていた。 「わかってるわよ。そうじゃなくってリンゴを採ったらあなたにパイを作るわねって話」  最後に小声で「いつも良くしてくれるお礼に」と付け足した。それがダダルの耳に届いたのか庶民出にしては端正な顔立ちが少しばかり緩んで歩調が心なしか遅くなった。 「早く赤ちゃん抱っこしたいわ。ね、ダダル」  沈む寸前の太陽に髪をオレンジ色に染め上げエリッタの足取りは軽く歩いていく。むしろリズムを刻んで子どものように揺れていた。
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