陽菜とアイスコーヒー

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 ――どうせ、コーヒー買って帰ってくるんでしょ?  頭の中に、また、陽菜の声が響いた。馬鹿にするような、嗤うような、呆れたような、愛想をつかしたような、よく聞きなれた声だった。  そうだ。僕はいつだって、こうして悩みに悩む。そして、手掛かりがあるならばそれを買うし、手掛かりがなければ、コーヒーを買う。  まるでロボットか何かのように、めったやめったには逸脱しない行動をとる。  このいつも通りのコンビニ旅の結末だって、どうせふたつのコーヒーだ。そうに決まっている、と、顔から笑みを消し去った。  馬鹿にするように、嗤うように、呆れたように、愛想をつかしたように、僕はひとつ、息を吐く。  それから、アイスコーヒーのカップをふたつ手に取って、レジへと向かった。 「大変申し訳ありません――」  ばつが悪そうに笑いながら、店員さんは僕に、『コーヒーマシンが故障した』と告げた。  僕は自分で新たな道を切り開くでもなく、コーヒーマシンの故障によって、新たな道を歩き出すこととなった。  両手が空っぽのまま、とぼとぼと家へ帰る。 「ただいま」  と、呟くと、ふてくされたような顔をした陽菜が、壁からひょこりと小さく顔を出して、僕を見た。  一瞬、目が合った。陽菜の視線は、すぐさま僕の手へと降りていった。  珍しく空っぽの手を見て、驚いたのだろう。陽菜はきょろきょろと目を泳がせると、すっと頭をひっこめた。  カメみたい、と、ぼくは思った。 「どう、したの?」  不満をどうにか押し込めているような、不安を抱えているような、ほんの少し心配しているような、困惑しているような声だけが、僕のもとにふわりとやってきた。 「どうしたって、なにが?」 「らしくないじゃん。お兄ちゃんは、いつだってコーヒー買って帰ってくるじゃん」  陽菜の声は、どんどんとはっきりと震えだした。  数年、いや、十年位前のことだろうか。遠い昔、刹那はぐれて再会した時に聞いた、わんわん泣いて、少し落ち着いた頃にようやく喋りだした声の震え方に、よく似ている気がした。 「うん。そうだね」 「そうだね、って」 「コーヒーマシンが、故障してたんだ。それだけ」 「本当に?」  僕は、はぁ、とため息をついた。   「なんだよ。疑ってんのか?」  返事はなかなか来なかった。 「怒って、る?」  ようやく言葉が返ってきた。それは、僕の想像とは異なるようで、心の奥底ではそうなるだろうと想像できていたことのようにも思えた。   「怒ってないよ。そういう陽菜は? まだ怒ってる?」 「怒って、ない」  とん、とんと廊下を進む。  ついさっき、ひょこりと顔を出していた壁の向こうを、そっと覗く。  そこには、膝を抱えて小さくなった、陽菜がいた。 「なにしてんの?」 「いや、その……。ごめん」 「なんで謝るの?」 「いや、だって」 「いつものことじゃん」 「まぁ、そうかも。いつものことかも。でも、お兄ちゃんはいつもと違うじゃん。だから、その。いよいよ、ほら、何だっけ? ええっと」 「堪忍袋の緒が切れた、とでも思った?」 「……うん」    あの頃のようにもじもじしているくせに、あの頃とは全然違う。  同じだけ時を過ごして、その分だけ成長した僕らは、あの頃とは違う。  けれど、僕の目には、今の陽菜に、あの頃の陽菜が重なって見えた。  僕が守ってやるからな、なんて、あの頃はまっていた戦隊ヒーローみたいに、かっこつけて言っていた小さい頃の、小さい陽菜が目の前にいるように思えた。 「まぁ、似たようなものかもしれない。でも、兄ちゃんが切ったっていうより、コーヒーマシンに切られたっていったほうが、いいかもな」 「え?」 「陽菜、この後暇? 暇なら、コーヒー飲みに行くか? 兄ちゃん、陽菜が好きなカフェ、なんだか恥ずかしくて行ったことないんだ。注文の方法もわからない。だから、一緒に行ってくれるっていうなら、行ってみようかなって思うんだけど」  陽菜は、またきょろきょろと目を泳がせると、 「ああ、うん。まぁ、いいよ?」  と、探るような目で僕を見ながら言った。  その日飲んだコーヒーは、濃くて苦くて香ばしかった。 「あたし、ミルクとか入れたことあるんだけど、香りがなくなって、美味しさ半減しちゃって、後悔したの。ブラックで頼んだら、ブラックのまま飲んだ方が美味しいよ」  という陽菜の教えを無視して、僕は僕のコーヒーにミルクを入れた。すると、香りは本当にどこかへ飛んでいった。確かに、美味しさは半減した。僕も、かつての陽菜と同じように後悔した。  陽菜はその様子を間近で見ながら、くすっと笑った。
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