七夕の恋人と正月の父親

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 わたしはある男性に恋をしてしまった。  細身で背が高くダンサーのような体、切れ長で涼しげな目、鼻筋がまっすぐ通った三角定規のような鼻、薄く引き締まった刃物のような唇。  まるで少女漫画から抜け出してきた王子様のような男性だ。  七夕にわたしは思いきって彼に告白をした。 「わたしと付き合ってくれませんか」  告白してから彼の顔を見ることが出来ず、バクバクする心臓を両手でおさえうつむいたまま彼からの返事を待った。 「いいよ」  彼からの返事を聞いた瞬間、飛び上がって喜んだ。  しかし、彼と付き合うにはある条件があった。それはわたしにとって受け入れがたい条件、考えられないことだった。 「ほ、ほんとうにお付き合いしてくれるんですか」  返事を聞いて舞い上がり、信じられなくて声が上ずってしまった。 「うん、いいよ。ただし」  彼は人差し指を立てわたしに向けた。 「あっ、は、はい」 「今日だけにしてほしいんだ」  彼の薄い唇の両端がキュッと上がった。 「今日だけ?」  わたしはその意味がわからず首を傾げた。 「そう、今日だけ。君は毎年七月七日、七夕だけに会うぼくの大切な恋人だよ」  彼は涼しげな眼差しで、そう言った。 「そ、それって、七夕以外はわたしはあなたの恋人でないってことですか」 「君は毎年七月七日、七夕だけに会うぼくの大切な恋人だよ」  彼は涼しげな眼差しのまま同じ言葉を繰り返した。  わたしは全く理解できなかった。今日は恋人でも明日には別れるということだろうか。 「じゃあ、七夕以外は、わたしはあなたの恋人じゃないんですか? 明日になったら別れて来年の七夕にまた恋人にもどるってことですか」 「うーん、ちょっと違うな。君は一年中ずっとぼくの恋人でいてほしい。だけど会うのは七夕だけにしてほしいんだ」  ちょっと違うって言うが、来年の七夕まで会えないならそんなに変わらない気がする。 「そんなの、おかしいですよ。恋人ならいつでも会えるのが普通じゃないですか。なぜ七夕しか会えないんですか」 「ぼくには、今、三百六十四人の恋人がいるんだよ。だから、ぼくは毎日違う恋人とデートしなければいけないんだ」 「え、えー、……」  目の前に星がチカチカと飛んだ。わたしの頭は混乱してしまい整理しようとしたが、その暇もなく彼は続けた。 「だから、七月七日、七夕のぼくの恋人になる君は今日しか会えないんだ」  まさかリアルな織姫と彦星なのか。そんなの絶対にありえない。目の前の星が一段とチカチカした。 「そんなの恋人とは言わないです。毎日、わたしのことを思っていてほしいし、せめて週に一度くらいはデートしてほしいです」 「それはできないよ。そんなことしてたらぼくが他の恋人に会えなくなるよ」  そんなこと? わたしと会うことがそんなことなの。他の三百六十四人の女性がそれで納得していることが不思議だ。 「一年のうちで七月七日、七夕だけの恋人は不満なのかい」  彼は眉を八の字にし、腕を組んで首を少し傾けた。 「あなたの他の恋人たちは、それで納得しているんですか」 「そうだよ。でないと、ぼくは彼女たちと付き合わないから」 「わたしはそんなの嫌です」 「それなら、ぼくは君とは付き合えないよ。そんなわがまま言われたら困るから」  首の後ろをさすりながら呆れ顔でいうが、呆れるのはこっちの方だ。それにどっちがわがまなんだと思った。  遠距離でもないのに、一年に一度しか会えない恋人なんて本当の恋人じゃない。 「どうするの? 君が七夕の恋人になってくれるなら、今から君とデートするし、ダメならぼくは今から他の女性を探さなければならなくなる」  彼の顔が少し歪んだ。苛ついているのがわかった。 「うーん」  やっぱり、わたしには無理だ。 「なんだか不服そうだね」 「はい、やっぱり不服です。せっかく付き合うなら、毎日でも会いたいです。デートもしたいです。七夕だけなんて絶対に嫌です」 「だけど」  彼はそう言って、わたしの両肩に手を置いた。そして、わたしの体をスーッと引き寄せ、顔を近づけてきた。わたしは避けるようにして俯いた。心臓が激しく暴れだしておさまりそうにない。彼は、俯いているわたしの耳元で囁くように続けた。 「七夕は特別な日だよ」  彼の吐息が耳にかかる。脳みそが沸騰して溶けていきそうだ。まともな思考でいられなくなる。  確かに七夕は特別な日だわ。一日違いだけど七月六日や七月八日とは全く違う。この男性にとってわたしは特別な女性なんだと頭の中がパッと明るくなった。 「わたしは特別なの」  彼の唇とわたしの唇が重なるくらいの距離で呟いた。  彼はわたしの頬を両手ではさむようにしてこたえた。 「そうだよ、クリスマス、バレンタイン、お正月、ホワイトデーに次いで、ぼくにとって特別な日だ」  熱くなった体がスーっと冷めていくのがわかった。脳みそも氷のように固まっていった。  特別な日でも五番目かよと突っ込みたくなった。 「特別な日のすべてを一緒に過ごすのが恋人じゃないんですか」  わたしは彼の手を払った。 「そういう考えの人もいるけど、ぼくにとってはみんな大切な恋人だからね。こればっかりは譲れないよ」  そういう考えの人もいるじゃなくて、そういう考えの人が大半よと言いたい。  やはりやめておこう。この男性はちょっとおかしい。いや、ちょっとじゃない、だいぶおかしい。 「わたしは一年に一度しか会えないなんて我慢できないです。わたしから告白しておいて申し訳ないですが、あなたと付き合うのはやめておきます」  彼への気持ちを断ち切るように深々と頭を下げた。 「そう、それは残念だな。ぼくは君のことが本気で好きになっていたのに」  そんなこと言われると、もったいない気になるでしょ。でも、ダメ。好きな人と一年に一度しか会えないなんて耐えられない。この男性は絶対におかしいんだから。 「ごめんなさい。好きな人と一年に一度しか会えないなんて、わたしは耐えられないです」 「一年に一度会えるんだから幸せじゃないか」 「ダメです。あなたはおかしいです」 「ぼくがおかしい? 意味がよくわからない」 「あなたのことを好きだと思ってくれてる人と一年に一度だけしか会わなくても平気でいられるんですか」 「一生会えないわけじゃないから、いいじゃないか」 「それは、おかしいです。毎日でもあなたに会いたいと思ってる人がいるのに、一年に一度しか会わないで平気でいられるなんて、あなたは相手の気持ちを全く考えていない冷たい人間だと思います。だから、わたしは無理です」 「仕方ないな。それじゃあ、ぼくもあきらめるよ。でも、君はぼくのことを冷たい人間っていうけど、君も同じようなことをしてるいるよ」 「わたしは、わたしを愛してくれる人に、そんな冷たいことはしません」 「そうかな」  彼は首を傾げた。  この人はわたしのなにを知っていると言うんだ。 「君をすごく愛してくれている人と今年の一月二日に会ってから会ってないんじゃない。そして次に会うのは来年の一月二日のつもりなんでしょ。それでも君は平気そうじゃない」  薄い唇の両端を上げてニヤリと笑った。 「えっ、それって、うちの父のことを言ってるんですか」 「そう、君のお父さん。君のお父さんは君を愛してる。そして毎日でも君に会いたがっている。だけど君は毎年一月二日にしか会ってないでしょ。お父さんが寂しがってるのに気付いてるのに無視してるでしょ。だから君もぼくのこと冷たい人間なんていえる立場じゃないよ」  確かにわたしが社会人になって実家を出てから、父親に会うのは毎年一月二日だけだった。大晦日から元旦は友達と過ごして、二日の朝に実家に顔を出しておせちやお雑煮を食べる。のんびりとテレビを観てから、少し早めの夕食をとる。  一月二日の夕食は毎年決まってすきやきだ。父親の大好物だからだ。すきやきを食べながら、父親が目を細めてわたしを見つめているのには気づいている。  父親は母親とわたしが無駄話を延々としているのを母親の隣で静かに聞いているだけだ。母親がわたしに恋愛の話や結婚の話をふってくると、父親のすきやきを食べる箸はとまる。無口な父親がわたしに話しかけることはほとんどない。  わたしが帰る時、玄関まで来て母親の後ろから、そっとわたしをみつめている。優しい眼差しだが確かに寂しそうにも見えた。  今年見た父親は頭に白いものが目立つようになっていた。背中も丸く小さくなった気がした。  わたしと一年に一度しか会えないことは父親にとって辛いことなのだろうか。  これまで深く考えたこともなかった。 「お父さんにもっと会いに行ってあげたらいいのに」  男性はニカッと白い歯を見せた。そして続けた。 「じゃあ、また、気が変わったら連絡くれるかな」  男性はそういって、わたしの右手を引き寄せ紙切れをわたしの手のひらに置いた。 「あ、はい」  わたしは紙切れを開いた。そこには十一桁の数字が並んでいた。携帯の番号だ。  わたしは紙切れを握りしめ、頭を下げて男性に背中をむけ、そのまま立ち去った。振り返らずまっすぐに歩いた。  曲がり角を曲がったところで立ち止まり、フーッっと息を吐いた。手に握ったままの紙切れを開いてみた。十一桁の数字に見覚えがあった。念のために十一桁の数字をスマホに登録しておくことにした。登録名は七夕男とでもしておこう。  すると、その番号はわたしのスマホにすでに登録されてあった。登録名は山野茂男となっている。わたしの父親だった。スマホに登録してあったが、これまで一度も電話したことはなかった。  彼はなぜわたしの父親の電話番号を書いた紙切れを渡したのか、不思議に思ったが、わたしはそのまま登録を中止してスマホをバッグにしまった。 「お父さんかー」  視線を宙に向けた。今年のお正月、すきやきを食べている父親の顔と白くなった頭、わたしが帰る時にみせた少し俯きなからみせる笑みがグルグルと頭の中で回った。 「よし」  バッグからもう一度スマホを取り出した。  紙切れに書いた番号をタッチしてから、スマホを耳にあてた。呼び出し音がしばらく鳴った。 「はい、もしもし」  痰がからんだような掠れた父親の声が聞こえた。 「あっ、お父さん、今、大丈夫?」 「愛美か? あっ、あー、大丈夫だ。どうした、何かあったのか?」  普段電話しないわたしからの電話なので声が心配モードになっていた。 「別に、何もないよ」 「そうか、なんか困ってるんじゃないのか」 「大丈夫よ」  何故か涙が出そうになった。 「そ、それならいいんだが。愛美が電話してくることなんてなかったから、びっくりしたよ」  お父さんと電話で話すなんて何年ぶりだろうか。 「うん、大丈夫。ただね」 「ど、どうした?」  わたしの声が涙声になってしまってたので心配したのか、父親の声は慌てたような強い口調だった。 「うん、あのね、今年のお盆休みに帰ろうかなと思ってね」 「な、なに。お盆にも帰ってきてくれるのか」  父親の声が跳ねて語尾だけ裏返った。 「うん、お盆はすきやきより焼き肉がいいな」 「よ、よし、わかった。母さんは知ってるのか」 「お母さんには話してないから、お父さんから伝えておいてよ」 「よ、よし、わ、わかった。ちゃんと伝えておくからな。お母さんにな。間違いなく伝えておくから。母さん、きっと喜ぶぞ。絶対だ。母さんの喜ぶ顔が目に浮かぶわ。ハハハ」  わたしは、今、父親の喜んでいる顔が目に浮かんだ。  
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