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「ただいま」
ふと玄関の方から聞こえた、この言葉の意味を考えた。瞬時にスマホで調べると、『たった今帰りました』から略されて『だだいま』となったとある。
「はいよー」
遅れて俺は返事をした。
「よう! 今日はどうだった学校は?」
帰って来た兄は、俺の部屋を一応ノックして遠慮なく扉を開けて顔を覗かせてきた。
「どうも何も、いつも通りだったよ」
「そうか、なんかお前疲れてそうだからさ。まぁ、あんまり無理すんなよ」
「ああ、ありがとう」
兄は静かに扉を閉じた。兄の足音が遠退いて、また静かになった。
「そりゃ、いつも通りなんだけど、いつも通り大変なんだよな……」俺は独り言のように呟いた。
『そうそう、そうだよな亮介!』
「レミー! 驚かすなよ」
彼は〝タダイ魔〟と呼ばれてる小さな悪魔。名前は〝レミー〟。
その容姿は頭に角が二本生えていて、丸い顔で、コウモリみたいな羽が背中にあって、手足は赤ん坊のように短くて、っで全身は紫色のふわふわな毛でおおわれてる。
俺はこのタダイ魔を使い魔として、一緒に行動している。
俺は見習いの〝魔法使い〟だ。でも、このことは唯一の家族の兄さえも知らない。秘密にしているのは話せば長いが、彼を守るために魔法使いとなったと言っても良いかもしれない。だから、彼には秘密にし続けている。
『ただいま』の言葉を使う時、大抵寝ているレミーは目を覚ます。何故か、『ただいま』という言葉に反応する悪魔に属する生き物なんだ。でも……。
「レミー、おかえり!」
「ちょっ、ちょっと亮介、その言葉を使うなって言ってるだろ? ね、眠くなっちまうんだからさ」
『おかえり』の言葉を言うとレミーは途端に眠くなる。
「ははっ、悪かったよ。ただいまレミー」
「もう、亮介はいじわるばっかりすんだもんな」
「ごめんて」
だから、俺は兄が帰って来たときには、『おかえり』は使わない。『はーい』とか、『はいよー』とか使うように意識してる。本当は『おかえり』って言ってあげたいんだけど。
「それより亮介、次のミッションクリアで晴れて一人前の魔法使いだぞ! 気合い入れろよ!」
「分かってるよ」
現代の魔法使いは複数のミッション、いわゆる試験で見習いから一人前の魔法使いになれるか否かを問われる。魔法使い協会から出題される複数のミッションに合格することで、魔法使いのライセンスが発行されるシステムなのだ。
俺は、出題されるミッションをあと一回合格出来れば、いよいよ本物の一人前の魔法使いのライセンスを受け取ることができる。
そして、まさに今夜が最終試験が課せられる日なんだ。
「じゃあ、そろそろ出掛けるか? 亮介」
「そうだなレミー」
俺は身支度を済ませて兄のいる部屋へ向かった。我が家は広く、廊下は長く、兄の部屋まで軽い徒競走が出来るぐらいだ。
「兄さん、行ってきます」
俺も遠慮なく、ノックもすることなく兄の部屋の扉を開けて言った。
「おお、行ってらっしゃい。今日もバイトか、気を付けてな」
兄は部屋の机で何か難しそうな本を読んでいた。
「ああ、ありがとう」
挨拶を済まして部屋の扉を閉めると、俺は玄関へ向かった。
完全に昼夜逆転の生活とまでは行かなくても、週に2、3回は夜勤のバイトをしている。という風に兄には見せてる。というのも、魔法使いのミッションは夜に行わなければならないからだ。ものによっては報酬が用意されてることもある。ただ、ミッションは突然不意打ちにやってくることもあるから、家の玄関を出るまでどのように試験がやってくるか分からないから厄介だ。
「ふむ、なるほど、やっぱりお前の兄さんは、お前のお父さんとかお母さんみたいな存在でもあるんだな。お前のことを本当に心配してるのがよく分かるよ」
「確認するけど、兄にキミのことは見えないんだよな? レミー?」
「そうだ、僕のことは魔法使いでないと見れないし、気配すら感じ取れないよ。安心しな」
「ああ良かった、いつも心配になっちまうんだよ」
「さぁ行こう、亮介」
「よし、最後のミッションだ」
俺は玄関のドアに手を掛けた。
……その時。
「ただいまぁー!」
部屋にいるはずの兄が玄関口から入ってきた。
「え? 兄さん?」
俺は動揺した。
「へ? 亮介どうした?」
「いいや、何でもないよ。お、おかえり兄さん」
声も仕草も確かに兄だ。驚いた俺はとっさにその言葉を言ってしまった。しかし、笑顔の兄はそれ以上何も言わず、その場でスーッと消えてしまった。まるで魔法のように。
「は? どういうことだ? これって魔法?」
『ど、どう見てもそうだろ~』
「レミー、ま、まさか今のって……いや、今のが試験的な?」
『りょ、りょうすけぇ~眠いぃ~』
どうやら、このシンプルで、最も手の込んだ最終試験は、言うまでもなく不合格になってしまったようだ。今回の試験の真意を想像するに、魔法使いとして重要な咄嗟の対応能力を問われてたみたいで、それに反応できなかった。その証拠に赤いバツの字が描かれた銅の不合格メダルが1枚、フッと現れて床へカランと落ちた。
一人前の魔法使いへの道のりは、まだまだ遠そうだ。
『りょうすけぇ~』
「ああ、ごめんて、レミーだたい……」
その言葉を言おうとしたが、レミーは可愛い顔で完全に眠ってしまった。
今日はもうゆっくり眠らせてあげよう。きっとタダイ魔のレミーも1日疲れていたんだ。だから、心地好く眠りついたんだ。
『おかえり』って安心する言葉なのかな。タダイ魔が、唯一弱い言葉な理由が分かる気がする。『ただいま』って言うとレミーが目を覚ますのは、家にいる時間を大切にしたいと思うからなのかな。俺はそう思った。
「そういえば、魔法と言えど何で兄さんの幻だったんだろう……」
もしかしたら、魔法で現れた兄の幻影は、おかえりを言って欲しかったのかもしれない。これからは『だだいま』と帰ってきたら、少しだけでも『おかえり』を言おうかな。
俺は、玄関から出るのを止めて、大きい声で「ただいまー!」と言ってみた。
広い家からは、兄の部屋にある振り子時計の音だけが帰って来た。
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