一つ葉のクローバー

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一つ葉のクローバー

 足が悪くても一応、外に出ることは出来る。  久しぶりに直接陽の光を浴びたくて、俺は病院の門の正面に広がる庭に松葉杖をつきながら向かい、そこにあるベンチに座った。  どうせ病室にいたところで話す以外何もやる事はない。いつも頑張って働いていたのだから、ぼけっと日光浴をしてもバチは当たらないだろう。 「お前達もいいもんだよなあ」  何の気なしに正面の花壇にある花に話しかけてみる。篠原さんの奥さんも、花が好きな男は良くても花と話す男は許容しきれないのではないか。   「あれはパンジーで、こっちはコスモスか?お、あれは奥さんが言ってたサフランだな」  普段気にかけてなかった花達も、意外と目を凝らせば個性がある。そうやって観ているだけで、少し退屈な入院生活の気分が晴れる様だった。 「花が好きなの?」  後ろから急に話しかけられ、つんのめってから背もたれがあるにも関わらず、倒れんばかりに仰け反って驚いた。情けない。 「君は・・・」  後ろに立っているのは、先日窓越しに姿を認めた彼女だった。失礼だが、その時の物憂げな雰囲気とあまり健康的とは言えない身体つきから、「立てたのか」と感想を抱いてしまう。 「目、合ったでしょ?この前」 「覚えていたのか。あの時はジロジロ見て悪かったね」  何も悪い事はしてないのだが、若い少女を20代の男性がジロジロと見るのは窓越し、いや、病棟越しでも犯罪に抵触しないだけで何処か悪い気がしたので謝った。 「謝らなくていいよ。わたしも偶然そっちを見たから目が合っちゃっただけだし」  そう言いながら、彼女は俺の座っているベンチの隣に腰を下ろした。何故隣に?と疑念を抱いて彼女を見ていると、彼女もその意図を察したのか、理由を話す。 「ここ、いつもわたしが座ってる場所だから。あなたがいてもそれは変わらないよ」 「そうだったのか、じゃあどいた方がいいかな」 「いや、気にしなくて良いよ。あなたと話してみたかったし」 ただの骨折して入院している成人男性に、見たところ10代の少女が何の用なんだろうか。甚だ疑問だったが、まあ当人がいいなら良いだろう。と流した。 「さっきの質問だけど、花は最近履修中だ。有識者によると、男が花好きでも何も恥じる事はない様だぞ」 「それはそうでしょ?ヘンな事言うね」  少女は不思議そうな顔をしてそう答える。どうも掴みどころがないというか、実態を感じない様な雰囲気を漂わせる子だ。 「ちなみに、君は好きなのか?」 「ん・・・好きっていえば、好きかな」 「何か自信のない回答だなあ」 「花というか、花を見る事が好きなのかな?わたし」 「そう聞かれても」  話していても、どうも要領を得ない。だが、そこが彼女が持つ魅力なのだろうな。と自然と納得させられる印象を抱いた。 「あ、自己紹介してなかった・・・私は大須磨(おおすま)咲。歳は18歳。周りと同じなら、今は高校生だね」  唐突に始まったどこかおかしな自己紹介に戸惑いながらも、されたからには返すわけにはいかず、俺も返す。 「佐々木圭、23歳だ。今は訳あって入院中だ」  別に年齢まで言う必要はなかったのだが、彼女に釣られて言ってしまった。 「そうなんだ。じゃあ仕事は今はお休み?」 「そうだな。教科書を扱う倉庫で働いてたんだが、そこで教科書の下敷きになって働けなくなったからな。今考えたら笑えるな」 「飼い犬に手を噛まれるみたいな?」 「ちょっと違うが、まあそんなもんかもな」 「ふーん・・・でも、教科書っていいね」  教科書っていいね、なんて言う10代は今まで見たことが無い。この子は勤勉な子なのだろうか。  自然に興味が湧いてくる。 「それを言ったら、君も学校は休みか?」 「ううん、学校は行ってない」 「そりゃあ、今は行ってないだろ」 「そうじゃなくて、行ってないの。通ってない」  「周りと同じなら」とはそういう事か。しかしまさか、このなりで不良少女という事はあるまい。  隣に座る彼女を見るが、長く伸ばされた髪に、見た目に化粧っけは無い。しかし、少し茶色がかった目は吸い込まれる様に綺麗で、全体的に整っていて比率が絶妙な顔立ちをしている。そして貧弱そうな体躯に入院着の上からカーディガンを羽織っているその姿はどこからどう見ても悪く見えない。 「じゃあ、今は何をしてるんだ?」 「あなたと同じ。入院だよ。でも、生まれてからほとんどそうだったかも」 彼女の声は話していて聞き取れないものでは無かったが、手を伸ばして引き寄せなければ消えてしまう様なものにも思えた。 「昔から?じゃあ君は今までずっと病院で過ごして来たのか?」 「うん、そう。昔からずっと病院の部屋の中でお母さんがくれた本を読んだりしてた。その中の本に綺麗な花の本があってね、良いなって思ったの。見たいなって。だから、ここは私の特等席」 「そうだったのか」  かける言葉が見つからず、ただ、そう返した。 世の中にそういう子がいると知ってはいても、良く理解はしていなかった。そうした無意識にしていた現実に存在する物への逃避に今、向き合えと神様に責め立てられている様な気分になる。 「どこが悪いんだ?」 適切な質問では無いだろうが、そう聞かずにはいられなかった。 「よく分からない。でも、お母さんとお父さんはいつも私に優しくて、最近時々悲しそうな顔をするの。だから、私はそんなに生きられないんだと思う」  淡々と話す彼女には諦観も自棄を起こした様子も見られない。むしろ、そこら辺の大人より自分が直面している現実に向き合えている様な気がした。その現実が多分誰よりも厳しい物なのは皮肉な物だ。 「あなたは、スベリヒユみたいだね」  最初は何を言ってるのか分からなかったが、恐らく花の名前を言ってるのだろうと彼女のさっきの話を思い出して推測した。 「それはどういう意味だ?」 「無邪気って事。さっきも花に話しかけたり、私が外を見るときも、何かいつも楽しそうにしてる」  安藤さん達と話しているところを見られていたのか。完全に気を抜いて風呂場で熱唱していた歌を、ご近所さんに実は聞かれていた様な恥ずかしさを感じる。 「あなたのお父さんとかお母さんって、どんな人だった?」 「母親は優しかったけど、父親はスパルタだったな。でも、教育熱心ってよりは俺が何か行儀の悪いことをした時に他の家の父親の数倍厳しく叱りつけたり、引っ叩いたりみたいな、そういう厳しさだったよ。今はもうすっかり老けちまったけど・・・」 「そっか、良いよね、そういうの」 「そんな良いもんでも無いと思うぞ」 「わたしは、憧れるな」  彼女は目の前にある花壇の花を一瞥してから、目線を遠くにして、空を見上げた。 「お父さんもお母さんは生まれた時から優しくて、わたしのことをいつも気にしてくれるし、そばにいてくれる。それはきっと、「恵まれてる」事なんだろうけど」  彼女が父と母の事を不満に思っている訳ではない事は、口ぶりから分かった。 「病院のテレビとかに映るアニメとかではね、元気に駆け回る子供をゲンコツ親父が「コラー!」って叱ってたりするの。そういうのを見るとね」  ゆっくりと、彼女は言葉を紡ぐ。 「"いいなあ"って思っちゃうな」  この子は、きっとまだ精神的に孤独を抜け出せていないのだろう。  いや、むしろ生まれて来てからずっと孤独で、その孤独と今も寄り添って生きている。  俺は、いても立ってもいられなくなり 「コラー!!!」 と、庭中に響く声で叱った。  隣の彼女は呆気に取られて、こちらをぽかんと見つめている。 「身体が良くないのに外に出て来て、お前は悪い子だ」  そう言うと、彼女は「ああなるほど」と言わんばかりに納得の表情をして、破顔した。 「悪い子だなんて、生まれて初めて言われちゃった」  庭を吹く風がそっと彼女の頬を撫でる。 「うれしいな」  そう言って、満悦そうにただゆったりとベンチの背もたれにもたれかかりながら、彼女はそう呟いた。
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