アザレア返し

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アザレア返し

「あなた、本当にいきなりねえ。いきなりすぎるわよ」  俺は病室に戻り、篠原さんの奥さんに電話をかけていた。篠原さんと奥さんの間には子供がいない。なので、子供がいれば俺くらいの年齢になっていた事もあってか、篠原さんはともかく、奥さんの方は俺のことを妙に可愛がっている節があり、連絡先まで交換していた。 「やっぱり厳しそうですかね」  俺は一縷の望みをかけて、奥さんに縋る様な気持ちでいた。こういうのは、時間の勝負なのだ。 「何言ってるの。いきなりすぎるのがむしろ嬉しいわ。若いって良いわねえ本当に、うん、本当に良い」 「無理なお願いなのは承知なんですけど、用意して欲しいんです」 「馬鹿言わないの。無理なんかじゃないわよ。私がなんとかして見せるわ」 「本当に、ありがとうございます」   奥さんの着丈な返事に胸を空く様な安心感を覚える。この病室で本当に良かった。と思うまでだ。 「とりあえず、明日の18時までには絶対に用意するから、あなたはきちんと気の利いた言葉を考えておくのよ?」  奥さんはそう言って、電話を切った。気の利いた言葉か。咲にアザレアと言われた時から考えてはいたが、やっぱりスベリヒユで、頭が足りない俺にはおしゃれな言い回しなんて一言も浮かばない。  だから、こういう時は直球だ。 「マンサクで行くしか、無いよな」   俺は1人、そう呟いた。マンサク、マンサク、満作、満咲く。良い名前だな。  当日になると、奥さんはちゃんと俺の頼んだものを持ってきた。しかも、それは季節外にも関わらず「きちんと」していた。 「本当に、ありがとうございます」 「こちらこそ、遅くなって申し訳ないわね。本当はもっと早く持ってこれれば良かったんだけど」 そんな事はない。本来、無理なお願いをしているのはこちらなのだ。 「しっかし、良いものだよなあ。俺も若い頃を思い出すよ」 安藤さんはガッハッハ、と俺を少し揶揄うようにそう言ってくる。 「君も本当に良くやるよなあ」 篠原さんはいつの様に微笑みながら、そう奥さんに言った。 「当たり前でしょ、息子の晴れ舞台なんだから!ここで応えなきゃオンナが廃るわよ!」  どうやら、もうすっかり俺は奥さんに息子として認定されてしまっているようだ。だがそれも、決して嫌な気分にはならない。  彼らと過ごした病室と、彼女と過ごした庭。色々な事があったが、間違いなくこの生活に色をくれたのはこの人達と、そして紛れもない、彼女だ。  今日に限って勢揃いなのは、むしろ嬉しい。俺は今までの入院生活を振り返る様な気分だった。  「なーにしんみりとした顔してるの!むしろこれからが本番なんでしょ!ほら、準備準備!」  もう18時まで5分を切っている。俺は準備してもらった物を手に持ち、心の中で彼女にかける言葉を反復する。それはたった一言なのに、とてつもなく重い一言で、1文字1文字が俺にのしかかってくる様だった。おかしいな。俺はそれなりにこういう場面を経験してきたはずだったんだが。  病室の時計は刻、一刻と時を刻んでゆく。そして、18時になる直前で俺はカーテンを開き、窓を開ける。それと同時に、彼女も向こうの部屋の窓を開け、顔を出してきた。多分、今が18時ぴったりなのだろう。  俺は手に持った物を、思い切り前に突き出し、一言。こう言った。 「好きです」  前に庭で叫んだ時よりも声量は小さかったが、その時よりも数倍、力強い声が出た。  手に持つアザレアは、季節外れにも関わらず綺麗な花を咲かせていて、正面の彼女と重なる。本当に、奥さんは良く用意してくれた。  彼女はじっと俺の様子を見ていたが、告白を受けてにっこりと笑いながら、身体を返して何かを持った。彼女はその花を持って、俺と同じ様に突き返す様に前に出した。 その花は、俺と全く同じ満開の、アザレアだった。  どういう事だ。と後ろを振り返ると、篠原さんの奥さんが腕を組みながら頷いている。  この人、仕組んでいたんだな。  横にいる安藤さんも篠原さんも、笑ってこちらを見守っている。  そして、彼女はゆっくりと息を吸い、そして今まで彼女から聞いた中で一番大きい声でこう言った。 「ありがとう」 そう返してきた彼女の顔は、今まで見てきたどんな花よりも綺麗な笑顔を咲かせていた。  
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