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エピローグ1 アリゾナからの出発
「所長ーっ! 早く早く!」
「ちょっと待て、急がせるな!」
さて一ヶ月後である。
ジャスティスは再びアリゾナの宙港に居た。
そしてバーディは軽い荷物を揺さぶりながら、早く早く、とその場で駆け足をしている。
「これに間に合わないと、今度はまた一週間後なんですよ!」
「だから判ってるって言ってるだろうが!」
夕方の光が、ぎらり、と宙港に飛び込んでくる。
来た時とは逆の窓から、その光は穏やかに床に模様を描き出していた。
*
スペイドと、気を失ったままのイリエ製作所の若い者を連れて、彼等がアリゲータに戻ったのは、それから三日後だった。
「だって所長、あれから丸一日寝っぱなしだったんですよ!」
というのがバーディの言である。
一方スペイドもこう言う。
「寂しかったから、おねーさんと仲良しになってしまったもんね、俺」
ねー、と二人で手を握り合ってしまってたりするから、ジャスティスは目を白黒させるしかない。
もっともそれは、自分をからかっているだけのようで、特に困ったことは起きていないようだったが。
どちらかというと、女の子同士のいちゃいちゃに見えるあたり、自分の目がどうかしたのか? と彼は思わずにはいられなかった。
結局、イリエ製作所の若い者は、彼等が連れていく間、ずっと目覚めなかった。
スペイドは言う。
「皆が皆、あんた程タフな神経持ってたらそれはそれで困ったもんだけどさ」
「そうですよ、何で所長、無事なんですか?」
お前等に言われたくはねえな、とジャスティスは内心毒づいた。
実際あの時、「ランプ」出身の、たかが軽いテレパシイを持ってるだけの自分が、本当にあれで正気で居られるか、なんて自信があった訳ではない。
だが踏み込んでみなくては判らないことだった。だから彼は自分のしたことに、後悔はしていない。
そして水と食料を持って、二日掛けて、四人はアリゲータまで歩いて戻ることとなったのだ。
「俺一人だったらすぐなのにさー」
とスペイドは言ったが、さすがにジャスティスも、聞いてなんかやらなかった。
「だいたいお前が車壊すから、こういうことになるんだぞ」
「だからあれは警告だって言ったじゃん」
「まあまあ、おかげで今度は私もあの谷を見られたから嬉しいです」
道中のバーディの顔は緩みっぱなしだった。
彼女にしてみれば、帰りは水も食料もあるのだし、と調査旅行みたいだ、と喜ぶばかりだった。
なんせ、「どうみてもここにこれがこう積み重なってるのはおかしい」地層状態に、これでもかとばかりに、宝石の原石が山となっている谷を両側に見ながら、戻ることができたのである。そんな美味しいことは、まずない。滅多にない。
と言うか、あってはおかしいのだ。
何かの作為があって当然だ、ということを、きっと彼女は後で見つけるだろう、とジャスティスは思っていた。
正直、歩いて二日掛かったのは、彼女がそれにたびたび立ち止まってメモしていたからである。
持っていたメモ帳に書くところが無くなってしまうと、彼女は自分の白い腕や足にまで書き込んだ。
しかも長いボトムの、裾をわざわざ折り曲げて書くのだ。そのたびに、細い白いすねが、ももが、外にさらされる。
別に短パンを履いていたなら問題は無いのだが、何故長いズボンの裾を上げられると、妙に目の毒なのか、そのあたりの効果というものは不思議である。
「…お前それだったら、いっそ服に書け…」
思い切ってそう言ったら、こう返された。
「だって所長、服の方がインクの吸い込みが良すぎて、もったいないです」
そういう問題ではない、とイリエの若い者を担いだジャスティスは頭を抱えた。
しかしまあ、それは後になってずいぶんとデータとして役立ったので、そう彼女の行動は間違いではなかったのかもしれない。
*
アリゲータに戻った彼等は、まずとりあえずイリエ製作所へ行き、相変わらず意識の戻らない男を届けた。
父親らしい所長は、何が何だか判らないが、という彼等の説明にも関わらず、とにかく連れてきてくれたことに非常に感謝した。
「やっぱり家族っていいですねー」
「家族っていいのよ、おねーさん」
しんみり、とスペイドは言った。そうですね、とバーディは答えた。ジャスティスは、何も言わなかった。
*
登記書は、何と有効だった。
時々そんなことがあるのだ、と役所の年老いた次長は言った。
「まあ戦争のせいですね。大半の理由は。戸籍にしても、だからこの土地の場合、下手すると、百年二百年してから『そういえば俺の家の籍残ってるか?』って言ってくる方も居りますよ」
はあ、とジャスティスはうなづいた。
「それで、手続きですが、どの方に」
「あ、こいつが」
「ご関係は?」
「あ、俺、息子」
おい、とジャスティスは言ったが、スペイドは平然としていた。そして何故か、次長も、平然と、それを記帳している。
「…あの… それでいいんですか?」
「ま、別に、人の年齢が幾つったって、大した問題ではないですし… まあ役所ってのは、そういう所ですよ。ここは相変わらずコンピュータなんて便利なものは入れませんし」
入れませんし、と来たぜ、とジャスティスは片目を細めた。
*
ようやく戻ってきた営業所では、よくご無事で、とロクオンの涙ながらの襲撃を受けた。
「あ~とにかく風呂貸してくれ。それとメシの手配頼む。四人… いや、十人分くらい取ってくれ。何でもいいぞ。バーディお前は風呂はどうする?」
「あ、所長の後でいいです。それともご一緒していいですか?」
「な、何を」
「わー、ジャスティスさん、照れてやんの」
へへへ、とスペイドは指さして笑った。
「うるさい。お前も来い! その身体の垢思いっきり落としてやる! バーディお前は入る前にコーヒー入れておいてくれ」
そう言うと、眼鏡を拭いていたバーディの目が大きく見開かれる中、既に上だけ脱いでいたジャスティスは、スペイドの腕を掴むと、ずるずると風呂場へと引きずっていった。
「…十人分… 何取りましょうねえ、バーディさん」
はっ、と彼女は言われて、はい? とロクオンの方を見る。
「あの方は何ですか?」
「まあ… お得意様、ってとこですか」
「お得意様、ですか」
「…と思いたい… なあ」
たはは、と彼女は自分が情けない笑いになっていることに、気付いた様だった。
「ロクオンさんの食べたいものでいいですからね。今回絶対大仕事ですから、その前に力つけなくちゃ!」
「大仕事ですか! それは確かに!」
慌ててロクオンは、幾枚もある出前用のちらしの中から、皆で食べられる様なメニューのある店を選び出し、通信端末に向かう。
そしてバーディは、とりあえずコーヒーを淹れよう、と立ち上がった。
*
「痛ぇーっ!」
「…お前まじで風呂なんか入ってなかったろ」
「いいじゃねーの。風呂が無くたって水浴びはしてたしさあ。それにあんまりこすりすぎても健康に良くない気がするぜーっ」
「そういうことは、ちゃんと垢を落としてから言え」
そう言いつつ、ジャスティスは問答無用で、泡立てた風呂にスペイドを押し込んだ。そして頭から背中から腕からごしごしと堅めのタオルでこすり出す。
「ああでも、元々は白いんだな」
ボトムで隠れている部分だけ、色が違っていた。それ以外は、と言えば、アリゾナの太陽に焼かれて、実に健康そうな小麦色になっていた訳だが。
「あんたも白いね」
仕返し、とばかりに自分をこすり続ける相手を見る。
「悪いか。俺の行く惑星はここ程だいたい暑くはねえんだよ」
へー、とスペイドはうなづいた。
「色んなとこが、あるんだよね」
「ああ。だから、色んな所へ行けばいいさ」
「…そうだね」
にやり、とその時スペイドが笑ったのに、ジャスティスが気付いたのかどうか。
「…ずいぶんと長いお風呂でしたねー。ごはん来てますし、コーヒー煮詰まっちゃいますよ」
「あ~すまんすまん。こいつの垢ったらもう」
「このひとこすりすぎ! 見てよおねーさん、俺の玉のお肌がひりひり」
「あら可哀想。後で見てあげるからねー」
何処まで本気なのやら、とジャスティスはタオルで頭を拭きながら思う。
「じゃあ私も、入ってきますね」
「行ってらっしゃーい」
ひらひら、とスペイドは手を振った。
「それじゃあ私は今日は、これで」
「ああ… そう言えばもうそんな時間か。すまなかったなあ」
「いえ、ご無事なのが判れば」
では、とにっこり笑ってロクオンは事務所を出て行った。
「…で、ごはん、食べてもいいのかい?」
「あ?」
十人分の食事が、テーブルの上に、所狭しと置かれていた。
「…ま、いいだろ。バーディも女だから長風呂かも知れないし」
そだね、と言って、とりあえず手元にあった鳥の唐揚げにスペイドは手を出した。煮詰まってる、と文句が来たが、ジャスティスはコーヒーを取り出して、呑むか、とスペイドに注いでやる。
そして二人とも八人分くらいをたいらげた時。
「…それにしても、おねーさん遅いね」
今更の様に、スペイドが言った。
そう言えば、そうだった。時計を見ると、既に一時間は経っている。
急に心配になって、彼は風呂場の扉を叩いた。
「バーディ、おいバーディ、まだ入ってるのか?」
返事が無い。
「おい」
がんがん、と二度叩くが、やはり返事がない。
「どしたの?」
「…もしかしたら中でのぼせてるかもしれんな…仕方ない、非常事態だ」
ばっ、と彼は扉を開けた。そこには確かに彼女が倒れていた。
「おいバーディ、しっかりしろ」
スペイドも慌ててその辺りにあった大きなタオルを持ち出してくる。
ぴたぴた、とジャスティスは呼吸やら熱やらを軽く確認する。
「…大丈夫?」
「…寝てる」
はあ、とジャスティスは大きくため息をついた。のぼせてもいないし、貧血も起こしてはいないのはいいのだが。
どちらにしても、このまま放っておく訳にはいかない。スペイドの手からタオルをぶんどると、まずそれで一回り身体をくるんだ。
「そっちの戸棚に毛布があるからな、そこのソファに広げておけ」
はいよっ、と威勢良くスペイドは飛び出して行く。すると腕の中で、柔らかい身体が身じろぎする。
「おいバーディ、気付いたのか?」
「しょちょー…」
目は開いていない。
「置いてかないで、下さいねー」
そしてまたすうすう、と寝息を立てる。
何だ寝言か、と少しばかり穏やかな気分で、彼女をソファまで運び、その身体に毛布を巻いた。
「…おねーさん大丈夫かな?」
「こいつはタフだから、大丈夫さ。まあそれでも一人前は残しておけよ、スペイド」
う、と九人前分に手を伸ばした相手に、ジャスティスはそう釘を刺した。
*
「…それにしても怒濤の一ヶ月でしたねー」
バーディは船の席について、ほっとした様に言う。
ああ確かに、とジャスティスも思う。
会社にも、スペイドにも有利な条件というものに頭を悩まし、帝大スキップの彼女の手腕が発揮された一ヶ月でもあった。
結果、莫大な金額がスペイドに転がり込んだ訳だが。
「俺どーやって使えばいいのか判らないよ」
という本人の言により、どうせこいつは外に出るんだし、と星間共通銀行の口座を持つことを勧めた。
何せ、戦前から続く、「誰であっても」口座を開くと銘打つ銀行である。例え彼がこの先何百年と生きていようが、そのIDさえ証明されれば、彼はその金を引き出すことができるだろう。
その口座の取得。自分は宝石に関してはそう詳しく無いから、と宝石に関するエキスパートの招来の要請、そして「レッドリバー・バレー」に目をつけていた同業他社との関係。
同業他社に関しては、イリエ製作所の口添えが効いた。所長の息子はようやく目を覚ましたということだが、社会復帰はしばらく向こうらしい。それでも生きていて良かった、ということだろう。
ジャスティスがかついででも連れてきてくれた、というのが所長の胸を打ったらしい。スペイドの所有している以外の分に関して、他社が分割してその所有者を捜して交渉することに、何とか話がついた。
そしてそこまで手配した段階で、いきなり長距離高速通信が入ってきた。
誰か、と思ったら、今度は猫だった。
「…人事部長…」
『やあジャスティス。相変わらず君は元気だね』
「…芸風が変わりましたね、部長…」
『それで君の次の行き先だが』
は、と彼は口を大きく開けた。
「行き先?」
『そう。今回も見事な仕事をありがとう。君には実に冒険が似合っている。という訳で、次はノーヴィエ・ミェスタに飛んでくれないか』
「ノーヴィエ・ミェスタって… ちょっと待って下さいよ、あそこって確か、共通語がキリールで… 俺、話せませんぜ!」
『ああ、それに関しては、バーディが大丈夫なはずだから』
さらり、と人事部長は言う。
こうなると開いた口が塞がらない。返す言葉を失っている彼に向かって、猫帽子をかぶった人事部長は、こう言った。
『いやあ、人生って楽しいねえ』
「―――でお前、本当にキリールは大丈夫なのか?」
「ええまあ。日常会話には困りませんが」
「ならいい。俺はさすがにあれは苦手だ」
「大丈夫です。私が居ますから♪」
何か異様に楽しそうな彼女に、何となくジャスティスは、むずむずとするものを感じる。
そしてもう一つ。先程から、別の「むずむず」が感じられていた。
彼はおそるおそる後ろを振り向く。
殆ど乗客の居ないこの船の中で、とても長旅に出る様な格好をしていない男が―――そこに居た。
「あ、スペイドさん」
やっほー、と彼は手を振る。
「よーやく気付いたんだもん。ねえそっち行っていい?」
「席は指定だろ?」
「さっき聞いたよ。どーせこの航路は人が少ないから、空いてる時には、移動してもいいって」
という訳で、とばかりに彼は二人の後ろにまで移動して来た。
「行き先は、ノーヴィエ・ミェスタってとこだって?」
「ああ」
「どんなとこかなー。俺、楽しみ」
ちょっと待て、と今度は二人して後ろを向いた。
「俺、アリゾナ以外知らない田舎者だからさー。しばらくあんた等に付いて行かせてね♪」
おねーさんよろしく、と何とほっぺたにキスまでする。しかもそれをバーディも別に嫌がっていない。
……やっぱり女の子同士のじゃれつきに見えてしまう自分が、彼は怖かった。
「あ、そーだ、ジャスティスさんにも」
ほっぺたにキス、ならまあ親愛の情、だしいいか。
勝手にしろ、とつぶやいたら、いきなり彼は首をぐい、と掴まれた。
そしていきなり、ぶちゅ、と。
横でバーディが硬直しているのが、判る。判るのだが。
待てお前舌なんぞ入れるなーっ!!
触れてるんだから伝わっているはずなのに、どうも聞き入れる様子はないらしい。
約二分、たっぷりとその状態が続いたところで、にしし、という笑いとともに、スペイドはようやくジャスティスを解放した。
「…大丈夫ですか、所長…」
大丈夫じゃ、ない。
しかしそれを言う気力が、今の彼には残ってなかった。
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