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帰宅
「どうでしょうか」
美容師さんに声をかけられ、私は目を開けた。
「うわ……」
鏡の中には違う自分がいた。
「どこか気に入らない所があったらいってください。すぐに直しますよ。切った髪は戻りませんが」
そういいながらも満足げに鏡の中で微笑む美容師さん。
「素敵です。気に入りました。ありがとうございました」
学生時代のショートとは違う、大人っぽくて女らしいショートだった。とても軽やかで気分まで軽くなった。今まで悩んでいた事が髪と一緒に切り落とされたようだ。
足取りも軽く美容院を出た。が、家に近付くにつれ気が重くなってきた。
拓人は何というだろうか。もしかしたら離婚を切り出されるかもしれない。でも、それならそれだけの男だ。私の中身なんてどうでもいい、長い髪にしか興味のない男だったのだ。
考えた末に私は気付いた。私が髪を伸ばす理由、オシャレをする理由。それは拓人に気に入られたいからだ。拓人を好きな自分がいる。拓人を私だけのものにしたい自分。そんな自分のためにした事だ。決して自分を偽ってなんかいない。私は自分を生きているのだ。自分のしたい事をしているのだ。昔と変わってなんかいない。
玄関ドアのノブが重く感じた。リビングからテレビの音が聞こえる。拓人はいる。このドアを開けると拓人はいる。私を見てどんな顔をするだろう。何ていうだろう。怒るだろうか、悲しむだろうか。でも、今更髪を元に戻すなんてできない。私は意を決しリビングのドアを開いた。
「ただいま」
「おかえり……えっ!?」
拓人は表情も血の気も失くし、呆然と私の頭を見つめた。
「ど、どうして……髪は女の命だろ?」
拳を握りしめ、深く息を吸い、拓人を見据えた。
「私、女は捨てました」
「え……」
この髪型に似合う思い切りの笑顔で、お腹に手を当てて私はいった。
「栄養は髪じゃなくてこの子にあげます。今日から私は母になります!」
拓人の顔が、ピンクに染まった。
〈終〉
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