リン 6

2/2
前へ
/2ページ
次へ
 が、  それは、一瞬… わずか、一瞬だった…  「…この葉問…お姉さんの助言を肝に銘じます…」  と、言って、笑った…  またも、ルシフェルの笑いを見せたのだ…  私は、頭に来たが、それ以上は、言わんかった…  変に突っ込むと、墓穴を掘るような気持ちがしたからだ…  だから、言わんかった…  言わんかったのだ…  すると、  「…たしかに、お姉さんの言う通り、葉敬は苦労人…それゆえ、したたかな男でもあります…」  と、笑った…  「…ボクもつい、甘く見てしまったかも、しれません…ですが、それは、お姉さんも同じです…」  「…私も同じ?…」  「…葉敬が、リンを連れて来日する…当然、お姉さんは、リンに接します…来日中のリンの面倒を見ます…」  「…」  「…そして、おそらく、葉敬の狙いは、それです…同時に、それは、アムンゼン閣下も同じ…」  「…なんだと、アムンゼンだと?…」  「…閣下もおそらく、それを、見抜いている…」  「…なんだと?…」  「…閣下は、常人ではありません…正直、突き抜けています…余人では、理解のできない行動をします…ただ…」  「…ただ、なんだ?…」  「…良くも、悪くも、お姉さんは、不確定要素なんです…」  「…私が、不確定要素? …どういう意味だ?…」  「…お姉さんの行動が、読めない…」  「…なんだと?…」  「…化学反応ではないですが、お姉さんが、関わることで、事態が、どう動いていくのか、読めなくなる…もっとも、それが、面白いのですが…」  「…面白いだと?…」  「…いずれにしろ、葉敬にしても、殿下にしても。狙いは。いっしょ…」  「…狙いは、いっしょ?…」  「…狙いは、リン…そして、お姉さんです…」  「…私?…」  「…お姉さんが、リンと関わることで、どんな化学反応が起きるか、それを狙っているんだと、思います…」  「…化学反応?…」  「…リンと関わることで、リンが、どんな態度に出るか、狙っているんだと、思います…」  「…」  「…リンが、一人きりでは、どんな人間か、わかりません…でも、お姉さんといっしょにいると、どんな人間か、素顔を晒します…」  「…素顔?…」  「…良い面も、悪い面も、お姉さんといっしょにいることで、素顔を見せるでしょう…そして、それが、葉敬と殿下の狙いでも、あるはず…」  「…二人の狙い?…」  「…そうです…ひとりでいても、どんな人間か、わかりません…誰かといっしょに、いて、おしゃべりをしたり、なにか、行動する…それで、その人間が、どんな人間か、初めて、見えてくる…初めて、わかってくる…」  「…」  「…とりわけ、お姉さんは、行動が、読めない…なにを、するのか、わからない…」  「…なんだと?…」  「…だから、いっしょに、いるものは、お姉さんに振り回される…そして、お姉さんに振り回されることで、その人間の素顔が、晒される…」  「…素顔?…」  「…誰もが、なにもなければ、素顔を晒しません…正直、思ってもみないこと…想定もなにもしていないことに、巻き込まれるから、素顔を見せる…想定もなにもしていないから、どういう表情をしていいか、わからない…どんな態度を取っていいか、わからないからです…」  「…」  「…正直、お姉さんは、劇薬です…非常に、毒の強い劇薬です…でも、お姉さんといっしょにいることで、どんな人間も、素顔を晒す…リンダもバニラもしかり…」  「…リンダとバニラだと?…」  「…彼女たちは、美人で有名です…二人とも、リンダは、ハリウッドのセックス・シンボルと呼ばれ、バニラは、有名なモデルです…決して、公では、お姉さんに見せるような態度は、取りません…」  「…なんだと?…」  「…二人とも、公の場では、いつもツンとすましています…滅多に笑うことも、ありません…二人とも、公の場では、作られたリンダ・ヘイワースであり、作られたバニラ・ルインスキーを演じているに、過ぎません…」  「…なんだと? 演じている?…」  「…でも、それが、お姉さんの前に出ると、その鎧(よろい)を脱ぎます…裸になります…」  「…裸になるだと?…」  「…一糸まとわぬ素顔を見せます…ちょうど、普段は、どう猛な虎やライオンが、母親の前では、甘えた姿を見せるのと、同じです…」  「…なんだと?…」  「…そして、その姿を葉敬は、見ている…」  「…なんだと? …お義父さんが、見ている?…」  「…そうです…だから、リンをお姉さんに預けたい…お姉さんと、いっしょにいさせたい…お姉さんと、いっしょにいることで、リンの素顔を知ることが、できるからです…」  「…」  「…それが、葉敬の狙い…この葉問は、葉敬の狙いを、そう見ています…」  葉問が、笑う…  堕天使ルシフェルの笑いを見せる…  が、  そんなことに、惑わされる矢田トモコでは、なかった…  そんなことに、騙される矢田トモコでは、なかったということだ…  「…で、オマエの役割は、なんだ?…」  「…役割?…」  葉問の笑顔が、引きつった…  「…オマエの取り分さ…」  「…取り分?…」  「…オマエが、お義父さんと、つるんでいるのを、私が、知らないとでも、思っているのか?…」  「…ボクが、葉敬と? ボクと葉敬は、犬猿の仲ですよ…それは、お姉さんも知っているはずです…」  「…かつては、な…」  「…かつて?…」  「…そうさ…以前は、オマエは、お義父さんと犬猿の仲だった…それは、当り前さ…オマエは、葉尊に現れた、第二の人格…実態がない…オマエの存在は、幻さ…だから、お義父さんは、オマエを嫌った…当り前さ…自分の大事な跡取り息子に現れた、第二の人格をお義父さんが、受け入れるはずが、ないからさ…」  「…」  「…でも、お義父さんは、苦労人さ…名より実を取る苦労人さ…きっと、オマエが役に立つことに、気付いたんだろう…オマエを使うことにした…オマエを利用することにした…」  「…」  「…だから、今の私に対する言葉も、きっと、お義父さんに頼まれたに違いないさ…お義父さんは、なぜか、この私に優しい…決して、私のことを、悪く言わない…これは、謎さ…いくら、考えても、わからない謎さ…」  「…」  「…だから、きっと、お義父さんは、オマエを、使ったのさ…私に面と向かって、なにか、言えない…だから、自分の代わりに、オマエを使って、言ったのさ…」  私は、断言した…  強く、断言した…  すると、目の前の葉問が、考え込んだ…  なにやら、考え込んだ…  それから、ブツブツと、  「…たしかに、辻褄は合う…話の辻褄は合う…」  と、言った…  ひとりで、ブツブツ独り言を繰り返した…  が、  私は、それに騙されんかった…  葉問の演技に騙されんかった…  私に言わせれば、この葉問と、お義父さんが、つるむのは、想定内…  想定内だった…  なぜなら、この葉問は、使えるからだ…  正直、頼りになるからだ…  だから、お義父さんは、いずれ、この葉問と、仲直りをして、葉問を使うのが、わかっていた…  葉問を利用するのが、わかっていた…  苦労人の葉敬は、使えるものは、なんでも、使うだろう…  それが、苦労人の証拠だ…  苦労人の証(あかし)だ…  白い猫でも、黒い猫でも、ネズミを捕る猫は、良い猫だ…  と、かつて、中国の鄧小平は、言っていたが、それは、彼が苦労人だからだ…  理想と現実との違いが、よくわかっているからだ…  だから、妥協すべきことは、妥協する…  あるいは、理想に近づくためや、その理想を、いずれ、現実化するために、妥協する…  つまりは、それが、葉敬が、葉問と、仲良くなること…  つまり、現実に、存在する、葉問を、どうこうするより、葉問を、利用することに、葉敬は、舵を切ったと、言うことだろう…  私は、そう、見た…  私は、そう、睨んだ…  この矢田トモコの目に狂いは、ない…  断じてない…  自信を持ってないと、言える…  私が、そんなことを、考えていると、葉問が、  「…いずれにしろ、リンは、まもなく、葉敬といっしょに、来日します…」  と、言った…  わかりきったことを、言った…  「…それで、すべて、わかります…」  「…すべて、わかるだと?…なにが、すべて、わかるんだ?…」  「…リンの狙い…葉敬の狙い…そして、アムンゼン閣下の狙いです…」  「…アムンゼンの狙いだと?…」  「…その通りです…殿下は、一筋縄では、いきません…非常に癖の強い人物です…」  「…なんだと?…」  「…その証拠に、今、サウジで起こっている暴動…おそらく、あの騒動の黒幕は、殿下です…」  「…なんだと? …アムンゼンだと? …どうして、オマエにそんなことが、わかる?…」  「…今度のサウジアラビアの騒動の発端は、オスマンです…オスマンが、ラーメン屋で、イスラム教徒の戒律を破ったのが、原因です…」  「…」  「…でも、誰が、オスマンが、ラーメンを食べる映像を撮ることが、できるのでしょうか? あのラーメン屋は、事前に日本の外務大臣が、やって来たほどのラーメン屋です…当然、サウジアラビアの大使館も、事前に、あのラーメン屋に訪れたに違いありません…つまり、誰か、暗殺者が、潜んでいたりすることのないように、綿密なチェックをしたに違いないということです…」  「…」  「…だから、普通に考えれば、オスマンが、ラーメンを食べる姿を、カメラに映すことは、不可能…ということは、誰かが、事前に許可を与えたと考えるのが、自然です…そして、その誰かとは、誰か? それは、関係者で、事前に一番権力のある者が、許可を与えたと、考えるのが、自然です…そして、関係者で、一番権力のある者は、誰か? そう考えれば、アムンゼン殿下しか、答えは、出ません…」  葉問が、言った…  自信満々な口調で、言った…  理路整然と言った…  私は、なにも、言えんかった…  私は、なにも、反論できんかった…  ただ、  「…どうして、アムンゼンが、オスマンを苦境に陥るような真似を…」  と、呟いた…  呟かずには、いれんかった…  当たり前だった…  「…それは、わかりません…ただ…」  「…ただ、なんだ?…」  「…案外、殿下は、オスマンを試しているのかも、しれません…」  「…おそらく、アムンゼン殿下の目から見て、オスマンは、圧倒的に経験が少ないと、思っているのかも、しれません…」  「…経験?…」  「…お姉さんは、さっきボクのことを、頭でっかちで、経験が少ないと言ったように、アムンゼン殿下から見た、オスマンも同じなのでしょう…」  「…同じ…」  「…だから、たぶん、歯がゆい…」  「…歯がゆい?…」  「…ひとを、成長させるのは、経験です…体験です…どんなことも、経験しなければ、わからない…ネットや本で見たり、聞いたりしても、それは、経験ではない…体験ではないと、いうことです…」  「…」  「…おそらく、殿下は、オスマンにそれを、教えたいのかも、しれない…」  「…どうして、オマエに、それが、わかる?…」  私が、聞くと、葉問が、笑った…  また、あの悪魔のルシフェルの笑いを見せた…  それで、私は、ピンときた…  「…まさか、オマエ…アムンゼンに協力したのか?…」  私が、聞くと、ニヤリと笑った…  そして、  「…それは、お姉さんの勝手な想像です…」  と、言った…  あの悪魔のルシフェルの笑いを見せながら、言ったのだ…  私は、震撼した…  文字通り、ブルッた…  まさか、そんなことが?  あってはならないことだった…  考えてもいないことだった…                <続く>  
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加