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E氏
生き物はマウントを取りがちだ。
それは生物としての本能であり、当然の行動であると私は思う。
生き物としてマウント欲を持つことは悪いことではない。
我ら人類は地球上唯一の知的生命体であり、思考と感情が複雑に混じり合った「モラル」というものを持ち合わせた実に公的な行動を取る事ができる生物だ。
私がなぜ冒頭「生き物は…」と述べたかというとその点である。
我々人類は他の「生き物」とはまるで違うのである。
知的生命体だ。
環境に適応する為に数多の犠牲と長い時間をかけて「進化」する生き物に対し、人類は犠牲を伴わず、短時間で己をその環境に思考の底から適応させる「学習」という能力を持ち合わせているのだ。
類は友を呼ぶというのは真理であり、私の周りには救いようもない低能、下等生物で溢れているが幸いにしてそうではない人間も現れる。
興味深く観察してみると「そうではない人間」はマウントを取らないし、取りたがらない。
回りくどい言い方をするのが私の悪いところだ。
申し訳ない。
一言で言ってしまうと、
「馬鹿、低能、下等生物は意味が無いマウントを取りたがる。何も誇れるものがないからだ。」
である。
「そうではない人間」はマウント合戦がいかに下等生物の下等な争いかというのを知っているし、本物の人間がマウントを取ろうとすればそれはマウントではなく「いやみ」になってしまう。
だからマウント合戦はしないのである。
しかし世の中、私を含め圧倒的に下等生物が多い。
馬鹿が多様性という利便性の高い言葉を武器にしてしまった昨今、馬鹿はより馬鹿を極めんと天高く駆け上がろうとしている。
馬鹿の進化は止まらない。
本来であればその馬鹿のサラブレッドが驚異的なスピードで馬鹿として成長、進化するのを止めにかかるのは我々人生の先輩である「中年」の役目ではあるのだが、残念なことにその勢いを止めることはもちろん無理だが、その馬鹿のサラブレッドを遥かに凌駕する超変異体スーパー馬鹿が我々中年層の中に存在するのだ。
それではそろそろ本題に移ろう。
「馬鹿のサラブレッドを超える馬鹿」
「馬鹿の最終到達点」
「マウントに全振りした下等生物」
「自意識過剰のキングオブキングス」
「自称・キラーアイの使い手」
「誰よりもモテたかったモテなかった男」
「本物になれなかった自称・本物」
これらの栄誉ある称号を全て手にした男がいた。
その男の名は「E氏」。
五十二歳の悪名高き団塊ジュニア世代だ。
彼の生活を私、「A」と共に覗いてみようではないか。
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