ラーシュ (五)

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ラーシュ (五)

 チケットを買い、自分の複製データをつくったけれどもだからといってラーシュ自身に何か変化があるわけではない。さして多くもない家財が減りに減って部屋ががらんとしてしまった。  万聖街旧港倉庫街に確かにあった複製人格運搬式移民船事務所は、後日足を運んでみたら跡形もなく消えていた。  詐欺に遭ってしまったのだろうか。――そんなはずはない。  ラーシュはデバイスで自分の籍を確かめた。十年前に亡くなった母親と三年前に亡くなった父親に自分の名が紐付けられている。さらに自分のデータから新しく紐付(ひもづ)けられた籍ができているのが分かる。  複製体だ。  親や兄弟など世代を示す分岐とは違う。並列のそのデータは籍を与えられているけれど、まだ生を()けていないため暗く表示されアクティブになっていない。  ラーシュ・ヨハンソン=ver.2(アナスタジオ)。  アナスタジオという通称は、複製人格運搬式移民船の説明係に勧められてつけた。まだただのデータでしかないのに、と躊躇(ためら)うラーシュに説明係は ――名前は大事です。  食い下がった。 ――お顔も同じなら、途中までとはいえ同じ記憶をお持ちでもあるおふたりです。いかに宇宙が広いといいましても出会さないとも限りません。  ラーシュが何者か、知らないらしい。  すでに旅立った複製体アナスタジオと相見(あいまみ)えることはない。地球残留派思想団体グラスルーツの後始末、父親の尻拭(しりぬぐ)いがあるのだから。氷に(とざ)される地球で朽ちていくのだから。  一昨年より去年、去年より今年。環境は厳しくなっていた。気まぐれに小春日和があったかと思えば、油断を(いまし)めるように酷寒が襲ってくる。赤道近くにある万聖街も雪の日が多くなってきた。食糧や燃料の配給が減り、薬品が不足し、軌道エレベータを除きインフラの整備が後まわしになり、人々の暮らしも厳しさを増す一方だ。急進派が暴れようが白河派が安楽死を救済だと唱えようがグラスルーツの会員は急速に減っている。  三つ残っていた残留人類居留地のひとつが閉鎖になるとの報は、デバイスに配信されるニュースより早く人づてに伝わってきた。 「――オレらはどうせ、宇宙に行けねえんだからよう!」  ラーシュは旧港近くの教会で人々の治療にあたっていた。長椅子を取り払い簡易病床を並べた聖堂は薄暗く冷えがしみついている。管を巻く男に点滴で水分を投与してやる。  男は仲間とともにメタノール入りの密造酒を飲んで急性アルコール中毒を起こした。仲間のうちの数人は重篤な中毒症状で亡くなってしまった。頑健な(たち)なのか、男はひとり息を吹き返した。 「駄目ですよ。密造酒なんて飲んじゃ」 「うるせえぞ、説教か? ああん?」 「アルコール中毒には治療薬がないんですよ。体が代謝するのを待つほかないんです」 「飲まなきゃ……やってられ、ねえんだよ」  男の目の焦点がぼやける。  以前は先ほど亡くなった仲間とともにグラスルーツの会合によく顔を出していたものだ。妻子を宇宙に送るために自分たちはこの星でコールドスリープの順番を待つのだと、しんみりとした笑顔で語っていた。 「うちの女房と子どもたちは、どうしてるんだろ、ねえ」 「きっと――」  言葉につまる。  男の妻子が旅立ってまだ二年。近場の居住可能惑星は一世紀以上前に人口増加により移民受け入れが不可能となった。まだ人類が光の速さを超えることができていない現在、男の妻子が乗った船は数百年の計画で空を渡っている最中だ。コールドスリープの順番が回ってこない限り、男の生涯で愛する家族からの便りを受け取る可能性はない。男だって重々承知しているはずだ。妻も子どもたちもみな、冷凍ポッドの中で眠りについていると。  でも、それを口にすることはできなかった。 「お元気ですよ。新しい惑星で楽しく暮らしておいでです、――きっと」 「そう、か」  曇っていた目が刹那、明るく宙に焦点を結ぶ。 「なら、いいんだ」  しばしのちに男は息を引き取った。  コールドスリープの順番がまわってきた者は幸いだ。新たな冷凍睡眠式移民船の就航でいったん空きが出る静止軌道上のスペースポートの待機所にポッドの中で眠った状態で次の船を待つ。そうでないものは空きが出るのを祈るように待つ。そして地上でたくさんの人々が健康を損ね死んでいった。  分からない。ラーシュは分からなかった。  この星で死ねと説く思想団体を率いるために残っているのか、それとも医師として残留人類をひとりでも多く生き延びさせるために奔走しているのか。  アナスタジオ、――スタージョ。  大昔の言葉で復活を意味する名だ。魂を分けたきみがクロエを探してくれると知っているから俺は耐えられる。錠でロックされ地球で朽ちる俺に代わってクロエと再会しまた恋をしてくれると知っているから。
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