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クロエ (一)
「トリック・オア・トリート!」
「お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ!」
吸血鬼や魔女、フランケンシュタインや骸骨、妖精など思い思いのコスチュームに身を包んだ子どもたちが歩道を楽しげに練り歩いていた。
混雑した通りをリムジンがゆっくりと進む。
万聖街と呼ばれかつて貿易港として栄えたこの古い街は赤道近くにある。
しかし満ちては引き、堤防を撫でていた波は遠く沖へ去ってしまった。残されたのは干からびて朽ちかけた波止場と新しい港――宇宙港へつながる軌道エレベータの地上駅だ。
冷え冷えとした風が吹きすさぶ。煤けた石造りの建物を削るかのようだ。
地球は寒冷化の一途をたどっている。
全球凍結は数世紀前すでに示唆されていた。人類は氷の惑星で生きられない。数世代ならなんとかなるかもしれない。またはごく少数ならば。滅亡の道すじが見えていながら母星にしがみつきつづけ、深宇宙への旅立ちが遅れてしまった。
理由はいくつもある。
深宇宙航行技術がテラフォーミング技術が、通信技術の進展がじゅうぶんでなかったから。冷凍睡眠式以外の移民方法の開発が遅れたから。そして、人々の意識が宇宙へ向かわなかったから。
これまで何とかなったのだから、これからもどうにかなるのではないか。
そうした心が連帯をねじり、もみくちゃにしつづけた結果、人々は地球残留派と宇宙移民推進派とに分かれた。議論と対立、諍いを重ねて両派の間の亀裂は深まっている。全球凍結が不可避だと判明しても、地球から脱出しなければ人々のあらかたが子孫を残せず死んでしまうとはっきり分かってもなお、旅立ちは進んでいなかった。
冷凍睡眠式移民の費用が莫大だからだ。
いや、だいぶリーズナブルになった。それでも生涯年収の三分の二を優に超える。現在、地球行政府から宇宙移民費用にいくばくかの補助が出るが焼け石に水のような些少な額でしかない。宇宙移民を盛んにするには行政府上層部に深く食い込む地球残留派を一掃することと、人々の強い要望が必要だ。
クロエ・フレーザーはむっすりと不機嫌にリムジンの窓から外を見つめていた。
商店街を練り歩く子どもたちのなかでひとり、小さな魔女が足を止めるのがスモークフィルム越しに見える。化粧品店の前だ。魔女に扮した少女の視線の先には色の褪せかけたポスターがあった。香水の広告ポスターには「深宇宙へスイングバイ」というコピーとともに美しい女の写真が使われている。ブルネットの髪に若葉色の、挑むような強い目。クロエだ。
「かちこちアースにさよなら」
「その歌、知ってる!」
口ずさむ小さい魔女に小さな狼男も加わった。
「ぐるんぐるんにエナジー」
「溜めてびゅびゅん!」
「遠くへGOGO」
ほかの子どもたちも加わる。楽しげな歌声がゆっくりと後ろへ過ぎていった。客室の離れた席に控えているごりごり強面の中年男が窓の外へ目をやり嬉しげに声をあげる。
「お嬢の歌ですよ!」
「セシル、やめて。もう昔の話なんだから」
言い捨てると、セシルはあからさまにしょんぼりと肩を落とした。ごりごりの強面が眉を八の字に、唇をへの字にしてうつむく。
「もったいないです。歌手を辞めてしまわれるなんて。あんなに――こんなに人気があるのに」
「仕方ないんでしょ? おじいさまのご意向なんだから」
「それは――もちろん、会長が望まれましたので……」
気まずげに目を逸らす中年男が、昔から気に食わない。
セシルはクロエの祖父、宇宙移民推進派政商フレーザー社会長アーサー・フレーザーの右腕だ。ごりごり強面のくせに名前だけかわいらしいのが厭だ。祖父に心酔しきっていてどこまでもついていくなどといいながら、命令されれば小生意気な孫娘のお目付役としてほいほいクロエとともにコールドスリープするつもりになっているのもまるで理解できない。ほんとうは祖父のそばで働きたいくせに。
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