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4,戌の年 多江と邦男
幸代は盆踊りに参加する前に、もう一度部屋を見回した。
そして、冷気をまとっている干支の犬の置物に再び目を据えた。
犬の置物は可愛かったが、なじみがなかった。毎年干支の置物は、幸代が選んでいたのに。
幸代はふと思いついたように、リビングから自分の6畳の洋室に行った。いつも散らかっている机の上は異様なほど整頓されていて、幸代は思わず「誰が片付けたの!?」と大きな声を上げた。
返事はなく、シーンとした空気に押しつぶされそうになった幸代は、部屋から逃れるように盆踊りの会場へと向かった。
その戌の年も、盆踊りはいつも通り開催された。
外に出て行った幸代と入れ替わりに、父邦男が帰ってきた。
「おかえりなさい」
幸代が外に行ったのには気付かなかったが、台所に立っていた多江は夫が「ただいま」というのとほぼ同時に声をかけた。
「これ、そこで買ってきたよ」
邦男は、リビングの食卓に白い米の菓子が入った袋を置いた。
多江はカウンターキッチンから食卓を見て、「ああ、バクダンね。幸代が好きで、盆踊りの時いつも食べてたわ」
そう言って多江はバクダンが入った袋を手に取ると、仏壇の前の盆棚に置いた。
そこには、新盆の白い盆提灯があった。
「夕飯出来てるけど、すぐ食べる?」
「そうだな、食べてから盆踊りに行くとしよう」
多江は夕飯のおかずを食卓に並べ、2人は差し向かいで食べた。
おととしまでは4人座わっていたその食卓が今は2人きりで、空いたスペースには思い出が夏草のようにはびこっていた。
4人が2人になる、その締め付けるような淋しさに耐えるため、多江は1人きりで食べないよう邦男の帰りを待って食事し、一方邦男は妻の心情を思いやって仕事後の酒の誘い等断ってなるべく早く帰宅した。
2人でも、逝った2人の空白の重みに耐えるのは精一杯だった。
仏壇には、祖母芙紗と幸代の写真が仲良く並んでいた。
写真の中の幸代は呼びかければ返事をしそうで、見るたびに多江は娘が死んだことの悲しみと信じられない気持ちがいや増すのだった。
幸代は去年の9月、川に流されそうになった子を救おうとして川に飛び込んだ。
折しも先日の豪雨で川は水かさを増して流れが速くなっていて、小学低学年の子はかろうじて助かったものの、幸代は流されて後で水死体で発見された。
多江の脳裏から、あの日幸代とした「銀河鉄道の夜」に関する会話が離れなかった。
幸代は結局、カンパネルラの行為を正しいと認めたのだろうか。それとも、その是非は保留されたままで、川の周りに悲鳴を上げている小さい子しかいなくて自分が助けなくてはと、無我夢中で行動したのだろうか。
あまりに急だったので、危険だとか自分が死んだら親が悲しむといった考えが浮かぶ余地がなかったのだろう。
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