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遺品
「なんだこれ」
母親が死んだのは先月の頭。
定時制の高校を四年間通い卒業したのが先週。
大五郎はそれから、やっと母親の遺品整理に手を付けた。
最初からシングルマザー。トラック一本で息子を育て上げ、二月の寒いサービスエリアで休憩中、そのまま亡くなった。タバコの箱を握りしめたままだったのが母らしいと思った。急性心筋梗塞だそうだ。
母の数少ない化粧品と、それが収まる鏡のついた箱。
その箱にお菓子の紙箱を見つけた。振るとカタカタと音がしたが、少なくともチョコ菓子の音ではない。
擦り切れた開け口に指を引っかけて中身を確認すると、手のひらに出て来たのは割り箸の入っている紙袋だった。
「なんだこれ」
彼は開ける前と同じことを呟く。
母はなんのためにこんなものを集めていたのだろうか。
食べ物のソースでも飛んだのか、茶色い点の付いている一枚を手に取る。
「大翔軒……どこだっけ……ああ、国道沿いの定食屋だ」
小学校の頃に母と一度だけ行った、脂まみれの汚い定食屋。
席に座ると手がベタつくような、そんな店だ。
「あそこのハンバーグ美味かったよな」
それだけは覚えている。紙をひっくり返すと、鉛筆で何か書かれていた。
“ハンバーグ定食・一番おいしい。かかってるやつがいい”
なんとも雑な評価は子供の頃の字だ。
「ああそうだ。記念に箸袋集めてたんだわ」
大五郎の家はとにかく貧乏だった。
シングルと言う理由だけでなく、顔も知らない父親の借金の肩代わりをしていたらしい。
トラックを走らせて入った金はほとんど出て行き、小学校の入学式では彼だけが潰れたランドセルを背負っていたのを覚えている。
ボロボロをからかわれ、「これざぶとんになるんだよ!」と校庭の土の上にランドセルを置いて座ったら、みんな真似して彼だけ先生に怒られた記憶が後から追いかけて来た。
「なんで忘れてたんだろ」
母と二人で暮らしていたボロアパートの部屋に、呟きが寂しく消えた。
六畳二間のアパートで、母親と十九年暮らした。
終わりの七年間はほとんど顔を合わせる生活をしていない。
思春期特有の反抗をこじらせると同時に、子供の世話に手がかからなくなった母親は長距離の仕事に出るようになった。
それでも中学の頃は家を空けるのはせいぜい一泊で、定時制の高校に入れば今度は大五郎の方がほぼ家にいなかった。
つまりここ数年はほとんど一人で過ごすことが多かったのに、“死んだ”という事実は異様にこの空間を寂しく感じさせ、古い木造アパートから急に石棺の中に放り込まれた気分になった。
葬式の時にも流れなかった涙が急に溢れて来る。
ずっと貧乏は母のせいで、こんなクソ家庭に生まれたのは母のあのどうしようもないがさつさのせいだと思っていた。
がさつだから、忘れっぽいから、そのくせ人情だけは人一倍だから。
だから男を見る目がなくて、借金を背負わされて、親には勘当され、一人で産んで、ずっと親子で苦労しなきゃならなかったんだ。
溢れた涙は頬を伝い、手元に落ちて来る。
大事な想い出の欠片を濡らすわけには行かず、彼は慌ててトレーナーの袖で涙を拭った。
紙は全部で十三枚ある。
一年に二回、五月の大五郎の誕生日と、十一月の母の誕生日。この二回だけ、母親はなけなしの金を奮発して外食に連れてってくれた。
行先は大体母が仕事中に立ち寄ったことのある定食屋や中華屋。たまに洋食屋もあったが、子供時分、彼はその区別はつかず全部定食屋だった。
誕生日は二人にとって特別な日だ。
こんな世知辛い世の中に産み落とされたクソ面白くない日。
“ハッピー・ファッキン・デー”がどんな意味なのか分かったのは、中学校に上がってからだった。自分にはぴったりだと思った。
だからそんな日は二人揃って外食に出かけ、好きなものを食べ、いつもは満腹にならない腹を満たして笑う日だったはずなのに。
「ごめんなさい、母ちゃん」
箸袋の箱を額に押し付け、それがまるで母であるかのように謝罪する。
自分はどうして中学一年のあの日、母にあんなことを言ってしまったのか。
どうしてあれから口をろくにきかず、思春期特有の中途半端なワルを引きずってしまったのか。
石棺と化したアパートの一室にすすり泣きを響かせたところで、最早空白の七年を取り戻す機会は無かった。
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